<クロアチア>
 旧ユーゴスラビア4カ国の旅
    <2010.5.23(日)〜6.3(木)・阪急交通社>


        〜旅行4日目・5月26日(水)  晴れ〜





                                  No.15


<スプリット市内観光・・・ディオクレティアヌス宮殿>

mugio
 まず、スプリットがどんなところか?を説明しようか!
mugiko
 アドリア海沿岸最大の港町スプリットは、ローマ皇帝ディオクレティアヌス(245?年〜316?年)の宮殿がそのまま旧市街になったという珍しい起源をもっているなのね。
mugio

 そして、この宮殿に人々が住むようになったのは、ローマ帝国が滅亡し、異民族が大挙してこの地に入り込んだ7世紀のことらしいね。
 なぜ、異民族から追われた人々がここに来たのかといえば、宮殿跡という頑強な城壁に囲まれていて、安心安全を求めていた人々に好都合だったからのようだね。

mugiko
 さらに、人々は宮殿の基礎部分はそのままに、その上から建物を増築するする形で町を築いていったため、古代と中世が複雑に絡みあうような独特な街並みが生まれることになった、という話ネ。
mugio
 スプリットの北5qにはサロナという町があるけれど、ここは先ほど話が出てきたスプリットに避難してきた人々が住んでいた町らしいね。残念ながら、訪問しなったけれど・・・
mugiko
 最後にこの町に対するAさんの話に面白いことがあったわ。
 
「沖には石灰岩のとれるブラチ島*ホワイトハウスにも使われている!」


 < ディオクレティアヌス宮殿>

 <宮殿付近の様子>

mugiko
 ところで、スプリットには11時ぐらいに到着してから2時間ほど滞在して、それから国境を越えてボスニアヘルチェゴビナのネウムという町に立ち寄って、再びクロアチアのオレビッチというところから船に乗ってコルチュラ島に向かう予定になっているから忙しいものだわね。
mugio
 それじゃ、急いでスプリット見学をしようか!といっても、宮殿の面積は大きいだろうな!
mugiko
 左上の写真でいうと、南北が215m、東西が180mというから歩いて見学することが十分に可能ね。それにしても、周囲の壁の厚みが2m、高さが20mというから巨大なものね。
 宮殿内には東西南北にある門から入れるようになっている、という話だけれど私たちは、青銅の門(Mjedena vrata)といわれる南門から入りました。


  ディオクレティアヌス帝の胸像>

  <同じく宮殿の地下?>  
mugio
 南門には、この宮殿の見どころとなっている地下があるけれど、地下は巨大な空間が広がっていて、その大きな役割は宮殿の上部を支えるというものだったそうだよ。
 また、中世には倉庫として使われたり、ワインやオリーブオイル造りなどにも用いられたようだね。

mugiko

 宮殿の南半分は、皇帝の私邸として使われていたというけれど、地下にも大きな役割があったのね。

  <地下を潜ると兵士が!>

mugio
 地下から出ると、東西南北のどこの門から直進してもペリスティル(Peristil)という広場に行くようになっている。この宮殿は、この広場を中心に北が兵舎、そして、先ほど君が言ったように南が宮殿の私邸になっていたということのようだ。
mugiko
 それで、どういう順番で回ったの?
mugio
 南門から入場し、また、見どころは南に集中しているので、当然、南にある大聖堂(ディオクレティアヌス霊廟を改装)、礼拝堂になっているユピテル(Jupiterov hram)神殿などを見てから西門(鉄の門、Zeljezna vrata)の時計塔と旧市庁舎、北門(金の門、Zlatna vrata)のグレグール司教像、そして最後に東門(銀の門、Srebrna vrata)を見てフリータイム、ということらしいよ。
mugiko
 何だか言い方が自信なそうね。これらを撮影した写真がないのね?!
mugio
 流石はわが愛妻だね。大聖堂は、ペリステル広場に面していて最も見ごたえのある建物だということだけれど、人が多いことと建物が大きすぎて上手く写真に納まらないので、特徴となっている高い鐘楼とともに後ほど、掲載することにするよ。
 なお、大聖堂は、ディオクレティアヌス帝の霊廟として建てられたが、後にキリスト教の教会として利用されるようになったということだね。
 まず、ペリスティル広場と大聖堂の入口を見たいね。



 <ペリスティル広場> 
mugiko
 これが広場なの?

mugio

 ああ、そうさ!間違いないよ。広場には皇帝が住居としていた建物の玄関などもあるけれど、撮影していなかったのだから仕方がないさ。
mugiko
 威張ることはないでしょう!
 でも、そうなると、大聖堂の入口だという右の写真も怪しいものね。

mugio

 おい、おい!そんなことを言うなよ。
 確かに、事前に勉強していないから自信はないが・・・
 
mugiko

 なるほどネ!あまりに近くから撮影したので、この写真がら「この建物が大聖堂だ!」という確信が持てない!ということね。

mugio

 そんなことはないが、・・・
mugiko
 分かったわ。それで、次はユピテル神殿ね。
 ここは、ディオクレティアヌス帝がユピテル神殿として建てたものを後に洗礼堂として改築されたものだから、「洗礼堂」と表示されているみたいね。

 <大聖堂の入口> 

mugio
 礼拝堂の天井部分には、美しい文様の彫刻が施されており、また、洗礼盤には、中世クロアチア王国の国王が彫られているということだけれど、残念ながら中に入らなかったね。
mugiko
 礼拝堂は皇帝住居の左側にあり、帝がエジプトに遠征した時に持ち帰ったというスフィンクスが入口に置かれていたわ。


<礼拝堂の入口> 

  <スフィンクス像> 






次のページ(No.16)  前のページ(No.14)