<ボスニアヘル
ツェゴビナ>
 旧ユーゴスラビア4カ国の旅
  <2010.5.23(日)~6.3(木)・阪急交通社>


    ~旅行8日目・5月30日(日) 曇り後時々晴れ~





                                  No.30


 サラエボ市内散策

mugiko
 早速、「サラエボの朝」からをレポートするのでしょう。
mugio
 そうだね。まず、このホテルITALIAだけど、「道路を挟んで3階部分で旧館と新館がつながっている。あちこちに故障があるというAさんの説明があったけれど、部屋が広いのでびっくり。」という印象が強く残ったよ。
mugiko
 あなたの遊び心が騒いだの?その通路を通って、新館の様子を見に行ったでしょう!
 ところで、昨夜、Aさんに「次の旅行先としてどこがお勧めか?」などという質問をしていたわね。

mugio
 横浜のOさんとともにAさんの話を聞いたのさ。こちらから、「九寨溝、エジプト、トルコ、マチュピチュ(ペルー)はどうか?」という話になって、Aさんの答えは、エジプト、トルコが良い、また、サハラ砂漠がある???もお勧め!という返事だったね。
mugiko
 今日は午前中、サラエボの市内観光、昼食後、次の宿泊地、ゴスピツァという町に向かう予定よ。
 7時00分モーニングコール、8時00分荷物回収、6時30分朝食(3Fレストラン)、9時00分出発となっているから、時間的には楽だわ。

mugio
 その朝食だけれど、僕としたことが写真撮影していなかったっよ。
 サラエボ市内には予定通り9時に出発したけれど、ホテルから見どころの市街地まではバスで30分もかかったので、相当、距離があるみたいだね。
mugiko
 ホテルITALIAの位置を地図で確認すると「近い!」という感じがするけれど「サラエボ郊外」だから、案外、距離があるのかも知れないわ。
mugio
 サラエボには「スナイパー通り」という物騒な名前の通りがあり、92年の4月から96年に2月にかけてボスニアヘルツェゴビナのセルビア人(セルビア共和国軍とユーゴスラビア人民軍)によって包囲され、襲撃された「サラエボ包囲」という痛ましい出来事(一般市民の死者12千人とその4倍の負傷者)があった、という話を聞いたことがあるよ。
mugiko
 この通りの建物にはセリビア人スナイパーがいて、動くものは何でも狙撃されたということだから、本当に怖い話ね。
mugio
 「民族浄化」という考え方がこうした悲劇を生んだようで、その背景には民族と宗教の対立があるように感じられるね。
mugiko
 私たちは、このスナイパー通りを通ったはずだけれど、どうも記憶があいまいで・・・
mugio
 仕方がないからホテルから市街地に行くまでに見えた光景をレポートしておくよ。


  <サラエボ郊外> 

   <オリンピックの聖火台>

mugiko
 左上の写真は9時10分前後に撮影したものから、この通りが「スナイパー通り」なのか分からないけれど、サラエボの郊外という感じね。また、右側の写真は、ユーゴスラビア時代に開催された冬季オリンピックのスタジアムだそうよ。
mugio
 スナイパー通りを東に向かって進んでいくと、通りが二つに分かれるが、ミリャツカ川(Miljacka River)沿いの道には、第1次世界大戦の引き金となった「サラエボ事件」の現場(建物)があるが、この建物も撮影していなかったな!
mugiko
 この建物の壁には「MUZEJ」の文字があり、写真とともに解説文が添えらえているというから、このような建物を見逃したのは本当に残念だったわ。
 「サラエボ事件」というのは、1914年6月28日に起こった事件で、ボスニア出身のセルビア人ガブリロ・プリツィブ(Gavrilo Princip)がオーストリアハンガリー帝国皇太子フランツ・フェルディナント夫妻をピストルで狙撃して殺害したという話ね。

mugio
 このようにサラエボという街は、大きな出来事があった都市で、もっと勉強してから訪問すべきだったと後悔しているよ。


   <工事中の国立図書館>

  <ミリャツカ川からの光景>

mugiko
 そうね!このMUZEJの文字がある建物は、サラエボの橋では一番古いといわれる「ラテン」という橋の曲がり角に立っていて、ここが狙撃の現場のようね。
 私たちもここを訪れているはずだけれど、ラテン橋は、右上の写真に写っている橋ではないみたいね。

mugio
 そうなのさ!上の2枚の写真を撮影している場所は、Seher-Cehajinaという橋のようだから、ラテン橋よりもずっと東ということのようだね。
mugiko
 左写真の国立図書館(Vijecnica)は、オーストリア・ハンガリー帝国時代に市庁舎として建てられ、後に国立図書館となったが、1992年にセルビア軍の砲撃で全焼してしまったが、2014年には修復が完了することになっているそうよ。
mugio
 この橋からはガイドのMSエルビーダさんの案内で職人街があるバスチャルシャ地区に向かったが、途中の街路には土産物の店が並んでいたね。


<遠方にバスチャルシスカ・ジャミーヤ>

  <土産物店が並ぶ路地>
  金物の土産品→

mugiko
 サラエボは、オリエンタルの雰囲気が漂っているけれど、イスラム教、カトリック、東方正教会、ユダヤ教の施設が並ぶ多民族、多宗教、多文化が入り混じった都市なのね!
mugio
 バスチャルシスカ・ジャミーヤは、バスチャルシャ広場に面して建っているモスクだけれども、このモスクは開放的ではないということだったね。
mugiko
 まぁ、広場の雰囲気が分かれば「良し」としましょう。


  <バスチャルシャ広場>

   <広場のセビリ>

   <右端にモスク>

  <広場に集まるハトの群れ>

mugio
 バスチャルシャ広場は、君が言うようにオリエンタルな雰囲気が漂っていて好奇心を誘られるね。この広場にあるセビリというのは、水飲み場のようだね。
 ここからまた路地を通って1軒だけ残っているというキャラバンサライから「ガジ・フスレヴ・ベグ・ジャーミヤ」というイスラム教のモスクに向かいました。


mugiko
 その前に、セビリの前で誰かさんが写っている大きな写真があったはずよ。 
 いない方がいいけれど・・・・

  <水飲み場の前でハイ!ポーズ>

mugiko
 路地裏の模様!という美名のもとに、私が「ばっちり」写ったものを掲載しないでしょうネ?
mugio
 そんなことはしないよ。まず、アジアとアドリア海の交易が盛んだったころ、サラエボには50もあったというキャラバンサライ(隊商宿)を見ていただくことにしようよ。


<キャラバンサライの中庭> 
mugiko
 ここは、1軒だけ残ったキャrバンサライだけれど、1階は宿屋としてではなくカフェとして、2階はレンタルオフィスとして使われているそうよ。
 ここを通ってカジ・フスレヴ・ベグ・ジャミーヤ(Gazi Husrev-begova dzamija)というイスラム教のモスクに向かったのね。








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