この大聖堂は、16世紀の末に焼失し、17世紀の初期に建築されたため初期バロックとローマ建築様式が混在しているのが特徴とされていますが、難しいことは小生には分かりません。

 正面は、大理石が使われ、また、3つのブロンズ製の入口があるそうですが、そこまで見ませんでしたね。勿論、中には入っていません。

 まぁ、それはともかく、モーツァルトもここで洗礼を受けたようですし、ザルツブルク音楽祭では、この大聖堂前に特設のステージが設置されるそうです。

 わがツァーも、ちょうど音楽祭期間中にここを訪れていますので、特設ステージはあったのですが、写真の記録がありません。
 <小生の独り言・・・あの席は、何だろうな??と思っていたのですが、そんな貴重な時期に訪問したとは思いもよらなかったね!>


 続いて、ホーヘンザルツブルク城塞をご覧いただきましょう。

ホーヘンザルツブルク城塞

 カメラアングルが高いと思いますが、この城塞は、メンヒスベルクの丘という所に立っているためです。
 ザルツブルクのシンボルで、完全な状態で保存されている中世の城塞としては、ヨーロッパ最大だそうです。

 なぜ、こんなものを造ったかと言いますと、「塞」という名前の通り敵からの攻撃を避けるためでしょうね。

 前に言いましたが、ザルツブルクは、大司教が街を再建し、権力(王様みたいなもの)を持っていたところですが、ゲブハルト・フォン・ヘルフェンシュタイン1世という舌を噛みそうな名前の大司教様が叙任権闘争に巻き込まれて、ドイツの王様から攻撃を受けることを恐れて造ったようです。

 その後、7百年間に渡って増築され、現在の城塞になったのは、レオンハルト・フォン・コイチャッハ大司教の時だそうですが・・

 まぁ、いつの時代でも、何処でも、戦争がつきものですが、万里の長城みたいな発想で、こういうものが造られるというのは、人間の悲しい性を見ているようで、なんとコメントして良いのか?

 でも、そのお陰で我々は、こういう遺跡みたいなものが見られるのも事実です。


このページの続きは こちらからどうぞ