デュルンシュタインでの昼食のメニューは、舌を噛みそうな「ウィンナーシュニッツェル」とありますので、日本のウィンナーソーセージを想像してしまいますが、さて、どんなものだったのでしょうか?
 「その前にどんな店だったか?」ですか?

 綺麗な街でしょう!!!
 写真は、店の前ですが、こんなに背の高いマスター?が案内してたかな??


 

「どれがウィンナーシュニッツェルか?」ですか?勿論、真ん中の写真がそれですが、焼き肉を串に刺したような感じですネ。
 味ですか?うろ覚えですが、美味しくいただいた記憶があります。ただし、右側のケーキは、ちょっとだけ頂いたと思います。

 さて、ここで食事の後は、前ページの写真でご覧いただいたようにドナウ川を散策してバスに乗り、最後の訪問地であるウィーンに向かいました。

 ウィーン観光は、2回目でありますが、さて、どんな旅になるのやら・・・
 ここで、ウィーンの紹介をすると、バスに乗ったデュルンシュタインからは直線距離で100キロくらいでしょうか?
 チェコとスロバキアの国境に近い街であります。

 ウィーンは、オーストリアの首都で音楽の街、人口160万人、面積415平方キロであることなどは皆さんご承知の通りであります。。

 その歴史をひもとくと、古代ローマ帝国が軍営地をここに築いたという話が出てくることから紀元前後になり、相当古いものであります。
 しかし、1000年前後にならいないと、都市としてのウィーンは登場しないようであります。

 特に、スイスの地方貴族であったハプスブルク家がボヘミアの王族を破り、この地方を治め、1278年にウィーンをその本拠地に置いたのがウィーン発展の始まりでようであります。

 ハプスブルク家は、その後640年という長い年月に渡って支配したといいますから、オーストリアといえば、ハプスブルク家が自然に浮かんでくるのではないでしょうか?
 ウィーンは、その帝国の首都として栄え、中欧文化の中心地として発展したとされています。
 東西南北の人や物が融合し、音楽、建築、食などにスラブでもゲルマンでもないウィーン独特の文化が育ったとされています。

 ところで、ウィーンという街を自由に行動するにはどうしたらよいのでしょうか?
 かってウィーンには、ヨーロッパの他の都市と同じように敵の進入を防ぐための城壁があったのですが、この城壁を頭に入れて市街地を見学すると、ウィーンの街の様子が分かりやすいという説明を良く聞きます。

 その理由は、城壁が現在、リングと呼ばれる大通りになっており、城壁の中やリング通り沿いに歴史的文化施設などが多く集まっているからであります。

 また、リング通りを周回している市電があり、1週4キロ、30分というものですから何処で降りてもよく、迷子になることはないからであると思われます。

 下手な紹介はこのくらいにしまして、私達は、バスで「シェーンブルン宮殿」「ベルベデーレ宮殿」「国立オペラ座」「国会議事堂」「市庁舎」などを見学することになっておりました。

 まず、シェーンブルン宮殿から紹介しましょう。
 と思いましたが、シェーンブルン宮殿は、中欧4カ国の旅で紹介していますので簡略化して紹介します。


  <シェーンブルン宮殿>

   <宮殿裏の広大な公園>


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