シェーンブルン宮殿は、2回目でありますが、やはり美しいマリア・テレジア・イエローに輝く宮殿でありました。(バロック建築様式にロココ調様式を加えている。)

 しかし、今回の旅では滞在時間が短く、あっという間だったように感じられました。
 シェーンブルン宮殿は、女帝マリア・テレジアが改築した夏の離宮であるが、マリー・アントワネットや皇帝フランツ・ヨーゼフ1世、皇妃エリーザベト(シシィ)などのハプルブルク家の人々に愛され、華麗なる歴史を思い起こさせる宮殿であります。

 宮殿の内部には、1918年、カール1世がハプスブルク家の終焉とオーストリア共和国の誕生を署名した部屋である「青の中国の広場」、1805年と1809年にナポレオンがウィーンを占領した際に住居として使用した「ナポレオンの部屋」、かっては宮廷の舞踏会などに使われ、近年でも1961年のケネディとフルシチョフの会談が行われた「大ギャラリー」などがあり、外観の美しさとともに光り輝いているのであります。

 ここを後にして次に行ったのがベルヴェデーレ宮殿であります。
 なお、シェーンブルン宮殿は、城壁内の中心(シュテファン寺院)から見ると、南東の方向に目算で4キロ以上離れているところにありますが、ベルヴェデーレ宮殿は、南南西に2キロない距離で、リング市電のすぐ外側といった感じであります。

 ベルヴェデーレ宮殿は、ハプスブルク家に仕えていたオイゲン公の別荘として建てられた宮殿で、「美しい眺め」というイタリア語に由来する名前だそうです。

 オイゲン公は、フランスの出身、5人兄弟の末っ子で、ハプスブルク家3代の皇帝に仕え、1697年にオスマン・トルコ軍からオーストリアを守った人物だそうです。
 まず、その正面をご覧いただきましょう。

 いかがですか?美しいでしょう!小生は、シェーンブルン宮殿よりこちらの方が美しいと感じました。
 小さいから落ち着きがあるせいかな?それとも別荘という言葉の先入観からか?とも思いますが・・・
 私達は、その後、左上の写真の右奥に裏側へ抜ける門があり、そこを通って行くと・・・

   

 左上のような庭園がありました。そして、右上は、宮殿を裏から撮影したものであります。

 ウィーンは、このホームページを作るために改めて勉強していますが、紹介した2つの宮殿以外にも見所がたくさんあり、ただ、音楽を中心とした街であると考えていた小生の浅はかさを思い知らされています。

 旅行日程表では、この日(8/3)に宮殿以外に国立オペラ座、国会議事堂、市庁舎を見学することになっていますが、いずれも車窓見学です。
 また、前回の旅では、裏側しか見ることができなかったフォーフブルク(王宮)は、必見です。

 しかし、王宮をよく見たつもりでしたが、大きな見落としがありました。
 この点は、明日の自由行動のところでお話ししましょう。

 さらに、ケルントナー通りという「シュテファン寺院」と「国立オペラ座」を結ぶ繁華街があるのですが、ウィーンの象徴とも言うべき「シュテファン寺院」を見落としてしまいました。
 
 この他にリング周辺には、ナッシュマルクトという1キロに及ぶ市場があるほか、カールス教会、バイオリンを手にしたヨハン・シュトラウス像がある市立公園、美術史博物館・自然史博物館など見るべきものが多数あります。

 このうち、市場とカールス教会には行けませんでしたが、市立公園は、前回の旅でお邪魔しており、音楽家達の象と沼に遊ぶ野鳥の姿が鮮やかに蘇ります。


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