大里古城
No.29
お城といいますと、石垣などで支えられた大きな建物だと思ってしまいますが、街をグルリと
囲む壁、つまり、城壁があり、その中に民家などが建ち並んでいたようです。
イメージとしては、ヨーロッパの中世に築かれた城壁内都市という感じでしょうか?
でも、実際に行ってみますと、「城壁なんて見あたらない!」のです。
あるのは、麗江古城のような観光地としての街並みでした。この街並みの中心は南北に走る通
路で、城塞都市としての大理に昔からあった通りの一つのようです。
大理古城は、吐楡城、柴城、中和鎮とも呼ばれていて、唐の天宝年間、南詔国の王が三塔寺付
近に城を建てた時にその都に定めたのが始まりだそうで、現在の古城は明の洪武15年(1382
年)に建てられたもの、といいますから600年以上前のことになります。
城内を南北に貫く大通りの両側には黒い屋根瓦の民家や商店が軒を連ねていて、古風な雰囲気
が漂うが、少数民族であるペー族の民家(三房一照壁などといわれている)は一見の価値あり、と
いう話である。
でも、事前勉強していなかった小生の感想は、最初に記したとおりで「多くの人で賑わう観光
地」という感じでした。
南北の道路の突き当たりには、城門のような建物が残っていて、ここだけは歴史を感じさせる
ところでした。門の上には郭沫若の書による「大理」という文字がはめ込まれている、というこ
とですが、確認できません。
まるで日本の観光地ですね!
突き当たりの建物が城門? でも、門の上には郭沫若の書による「大理」という文字があるのかな? |
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