雲南省の基礎データ


 中国西南部の省。省都は昆明市。省名の「雲南」は、雲嶺(四川省との境の山地)の南にあることに由来する。
 面積38万平方キロ(日本と同じ面積)、人口3,885万人

<歴史>
1 古代 中国の郡県が設置される。
2 秦代 諸民族分立
3 唐代 
南詔国が出現して統一王国を形成  
 
 *
南詔国
 8世紀半ば雲南地方の?海地区におこったチベット・ビルマ語族の王国
 <建国>
 タイ語で王を意味する詔(チャオ)という言葉が由来の6詔と呼ばれる政治権力があった。彼らは、チベット・ビルマ語族であるが、そのうちの最南部の蒙舎詔が7世紀半ばに唐に朝貢し、第4代の皮羅閣の時に唐の後押しを受けて6詔を統一する。
 蒙舎詔は、6詔の最南部にあったことから「南詔」と称したのである。
 <その後>
(1) 第4代の皮羅閣は、現在の昆明まで勢力を拡大し、雲南全体の統一に乗り出し
   た。この結果、西南の交易ルートを南詔にとられた唐とは対立することになる。
(2) 吐蕃との同盟 そこで、雲南西北部に勢力を延ばしていた吐蕃と同盟し75
   2年の唐の攻撃を共同で撃破したほか、唐で起こった「安史の乱」の時には四
   川南部を攻略した。
    しかし、779年に連合軍20万の大軍で成都の占領を目指したが、国力の
   回復した唐に撃退された。このころ、現在の大理に遷都している。
(3) 唐との会盟(同盟) 唐の戦略に乗り吐蕃との同盟を見直す。
(4) 最盛期 829年には唐を攻撃して成都の占領に成功し、略奪して引きあげ、
   一転して南進し、ビルマ、タイ、ラオス、カンボジアなどを攻める。
    859年、王の世降は皇帝を自称し、国家を大礼国と名乗る。
    中国領のベトナムを攻撃、南詔懐柔のため唐の僖宗は、皇室の娘を南詔王、
   降舜に嫁がせる。
(5) 滅亡 近臣による殺害が続き、902年に漢人によるクーデターで南詔蒙氏
   王室800人が殺害され、10代、164年に渡る南詔国は滅亡した。

       
4 宋代 大理が王国を支配(938年、段氏(ペー族)による大理国が成立)
5 モンゴル帝国 大理を征服し、元の雲南行中書省が設置されるが、実質はフビラ
 イの庶子フゲチを祖とする梁王国の世襲の所領となる。(フビライが設けた三大王
 国、二小王国という王国のうちの小王国)
  この梁王国は、大理の旧王家、段氏の協力のもと1,390年までこの地を支配
 続けた。
6 明代 洪武帝により梁王国、滅亡する。その際、段氏は、梁王家を裏切り、その
 功績により再びこの地を大理王国にしようとするが、この地の銀山に目をつけてい
 た洪武帝は、この地を直接、支配下に組み込んだため、南詔以来の独立王国は終焉
 を迎えることになる。
  雲南布政使司がおかれた。(佐渡の銀山のような直轄地に置かれて役所?)
  漢民族が大量流入し、多数となったため漢民族支配地となる。
7 清代 雲南省の設置

<地理>
1 中国は、全体に荒涼とした岩山が目立つが、雲南省は緑の森に包まれている。
2 地形が複雑で、気候も多様であり、南部の低地では亜熱帯性気候、北部の高山地
 帯では亜寒帯性気候のところもある。
3 南部でベトナム、ラオスと国境を接し、南部から西部にかけてミャンマーと接す
 る。
  北西部は、チベット自治区、北部は四川省、北東部は、貴州省、東部は広西チワ
 ン属自治区と接する。
<行政区画>
  8地級市(地区クラスの市)と8自治州が12轄区(市管理の区)、9県級市(
 県クラスの市)79県、29自治県を管轄する。

   <行政区域のイメージ>
      8地級市・・・昆明市、曲靖市、玉渓市、昭通市など
   雲南省
      8自治州・・・文山チワン族ミャオ族自治州、紅河ハニ族イ族自治州など

<主な都市>
 昆明市、大理市、開遠市、保山市、箇旧市、玉渓市、景洪市、宣威市

<少数民族>
 漢民族を含めて26民族が生活している。うち、雲南省にしかいない少数民族15あり、中国で最も多い多民族省となっている。少数民族は、イ族、
ペー族、ナシ族、ハニ族、タイ族などで最も多い少数民族は、イ族で約400万人である。
 少数民族が多い原因は、中国西南部、東南アジア、また、チベット・ヒマラヤに比較的近いことであり、さらに、モンゴルが入ってきて以降、歴代の中国王朝を通じて漢族、モンゴル族、回族、満族などが入り、不思議で複雑な民族構成となっている。
 しかし、それぞれの民族が独自の文化や生活スタイルを持ち込んでおり、近年、少数民族の生活スタイルや文化(洋服、踊りなど)が観光資源として活用されている。
 私たちがお世話になったのは、麗江の納西(ナシ)族と大理の
白(ペー)族、石林のイ族(サニ族)である。

 
* 白(ペー)族 
 人口159万5千人 主に雲南省大理ペー族自治州に居住している。
 ペー族は自分たちの言語を使用しているが、漢族の言葉にも精通している。
 唐代のころから漢字を基礎とする四角形のペー族の文字を使いはじめ、それによっ
てペー族の言葉を記録していた。
 村社(そんしゃ・・・村のやしろ)の神に相当する本主を崇拝し、仏教を信仰して
いる。(仏様も神様もという感じで日本の田舎のようです。)
 ペー族の先祖は、新石器時代以前から石器を使って農業、牧畜業、漁業、狩猟など
をしてアル海湖地区で生活していたとされている。
 西暦2世紀に漢の武帝が蒼山・アル海湖地区に郡県を置いた。
 8世紀から13世紀頃までは奴隷政権、南詔国とペー族、段氏を主体とする封建領
主制政権、大理国が支配した。

<観光地>
  梅里雪山、金沙江、怒江、瀾滄江、大理、麗江、香格里拉、シーサンパンナ(西双版納)、石林、元謀土林、虎跳峡、徳宏、楚雄、江河、臨滄、晋?など

<世界遺産>
  麗江古城(1,997年、文化)
  三江併流群(2,003年、自然)

<特産>
  プアール茶
                
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