この日(2007年12月31日)は、麗江のホテルを9時に出発して、まず、白沙村に行くことになっ
た。
 日程表では、標高3,600㍍の展望台、耗牛坪(もうぎゅうへい)までリフトで登り、玉龍雪山を間近で見てから、下山して白沙村に行くことになっていた。
 どうして予定を変更したのか分からないが、何かあったのでしょう。(説明があったのに忘れているのでは!)
 それはともかく、メモに白沙村まではホテルからバスで約12分と記されていた。その間は、添乗員さんのメモでは「朝靄も見え、水墨画のような風景」となっているが、小生は、日本でもよく見かけるのどかな田舎の景色が広がっていたと感じた。(寒いので、景色を見ていなかったのでは?)



 バスの中から撮影したので、朝靄に見えるのでは?
 中国の冬といいますと、厳しい寒さを連想しますが、雲南省は高地ですが、タイやベトナムにも近いはずですから、「あったか!」なのでしょうか?
 もっと勉強してから説明しろ?
 ごもっともです。
 「おお、何処かで見たような景色だな!」などと思っていたら白沙村に到着です。
 その玄関口をご覧いただきましょう。





 でも、これは何と書いてあるのでしょう?「白沙壁書」でしょうか?意味は?なんだか分からないことだらけです。
 もしかしたら、村全体が壁に囲まれた独立国のような街だったのでしょうか?
 添乗員さんのメモには、「ラマ教・道教・仏教が混在している
壁画」という文字がありますので、この看板のようなものがその壁画なのかもしれません。

 さて、この後どうしたかであるが、勿論、中に入りました。でも、もしかしたらこの写真は、中から撮影したものかもしれませんね。
 門を潜ると、右側に「玉壁重川」という大きな看板があり、またその右側には道教の寺がありました。
 バカに説明がスムーズになった?そのはずです。ビデをで確認して書いているからです。
 さて、その道教の寺ですが、その入口の看板には「木氏土司歴史文化展」という文字がありました。


 
 この道教の寺に入ると、四方に平屋の建物があり、中庭には庭植や鉢植えの植物が整然と並んでいました。(左の写真)
 このうち、現地の添乗員さんが案内した建物は、二つでしたが、「木大王の故事」や「清代麗江興国」と書かれた説明分、地図などが展示されていました。

  現地添乗員さんの声の一部がビデオに残っており、「納西族は黄河から来た」という説明がありました。(本当かね?)





 

 また、年代は分かりませんが、納西族の男性が集団で映った写真のようなものが何枚かあり、さらには馬に乗った「恰幅」の良い紳士の写真?もありました。これは「木」さんで
しょうか。

 さて、この歴史文化展をでて、次は白沙村の観光みやげ街みたいなところで向かうのですが、みやげ街には「ラマ教、道教の寺」を通らなければなりません。







 

 その寺の入口には、春に紫の花をつける樹齢500年の中国シンリュウ(別名カンノンリュウ)という大木(写真)がありました。
 そして、大木の先にある建物の入口右側に「琉瑠(?)殿鳥大宝和宮」と金箔で書かれた看板がありました。
 意味ですか?得張るわけではありませんが、もちろん「ちんぷんかんぷん」です。








Next Page(No.21) Back(31日の日程表)

雲南省大満喫(麗江・大理・昆明・石林6)

ゆったり歩く麗江:白沙村、束河村など

No.20