雲南省大満喫(麗江・大理・昆明・石林6)
麗江:玉泉公園2
No.5
ここ玉泉公園は、鬱蒼と茂る樹木と泉水といわれる沢(潭という字を勝手に「さわ」と訳しました。)と池?が配置されていますが、歴史的に貴重ないくつかの建物があり、また、地元の少数民族、納西族の朝の体操?踊り?が私達を待っていました。
そして、象形文字のトンパ文字の研究所がありました。
歴史と言いますと、玉泉公園は、清の乾隆帝時代にナシ族の「玉泉龍王廟」を建てたことから「龍王廟」とも呼ばれているそうです。
まぁ、早い話がナシ族の権力者(午後から見学した「木」氏のこと?)に「王」と名乗ってよいと清の皇帝が認めたと言うことでしょうか?
その歴史を反映したものには、「龍神祠」三層四角の「得月楼」「王皇閣」などがあるほか、後にここに移された明代の「芝山福国寺解脱林の門楼」同じく福国寺の「五鳳楼」などがあり、さらに、明代の「光碧楼」や公園の池の中心にある清代の「一文亭」などがあるそうです。
などといってますが、正直なところ、どれがどれなのか「さっぱり」分かりませんでした。
でも、芝山福国寺は、明代にこの地方を支配していた「木(もく)」氏(1271年に明から麗江宣慰司という官職に任命された。)の別荘と「廟」だそうですから小生の推論(ナシ族の権力者が木氏であるという)も、的はずれではないかも知れませんね。
<筆者の独り言>
何の話か分からない?そうですね。自慢になりませんが現地で権力者が「木(もく)」という名前であることを教えていただいて、その記憶が残っていたのです。
ところで、「廟」というのは、お墓のことだと思います。
静かな佇まいの五鳳
楼階段中央の守り神?は
ところで、五鳳楼は、1601年(明代)に建設され、高さが20b、その形が飛んできた5匹の鳳凰とよく似ていることからこの名前が付いたそうです。
中国人は、こういう童話みたいな話が好だな!としみじみ思ってしまいます。
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