花のベネルクス物語15日間の旅行記
 <2012. 4.11(水)~ 4.25(水) (株)ユーラシア旅行社>

          ~4月16日(月)旅行6日目 くもり時々晴れ~  
 






                                No.11


 今日は早くも旅行6日目です。
 まず、ナミュールの朝ですが、ホテルは、ナミュール郊外6キロにあるハンプトンズ(HAMPTON’S NAMUR)です。2階建ての建物ですが、客室は1階なのに323のように3がつく、という面白いホテルです。
 そして、部屋の奥に外出できる窓のドアがあり、ホテルの植栽の先に川が流れていて、対岸にはお城のような建物がありました。
 部屋の面積や水回りは文句なし!、また、ベッドはソファーを倒したベッドがあり、3人まで泊まることができます。

 次に、朝食ですが、6時から2階レストランでいただくことができます。しかし、モーンニングコールが7時、バッゲージ(スーツケース)が8時、出発が8時30分ですから、時間に余裕がありますので、私達は、7時30分頃いただきました。

 ご覧のようにパン、ハム、果物(リンゴ、オレンジ、洋なし)、コーヒー、ヨーグルトなどですが、「卵がパサパサ」だったこともあり、「イマイチ」という評価でした。
 まぁ、朝食はどこも同じようですね!
 そろそろ「味噌汁」と「焼き魚」が恋しくなってきました。
 

 ところで、最も大事な今日の予定ですが、午前中、修道院ビールで有名な「オルヴァル修道院」を見学して、修道院近くのレストランで昼食です。
 そして、午後からは“森と渓谷の国”ルクセンブルク大公国の田舎町
「ヴィアンデン」を見学して、首都「ルクセンブルク」に向かいます。

 予定どおり8時30分にホテルを出発し、ビールの代名詞ともなっているオルヴァルに向かいました。
 ナミュールからオルヴァルまではどのくらいの距離なのか分かりませんが、「ベルギーの東南ルクセンブルクとフランスの国境近くに佇むビールで有名な修道院」といわれていて、また、到着した時刻が10時40分頃でしたから2時間以上かかったことになりますので、軽く100㎞を超えていたと思います。後で、地図で確認しますと、「フランスの隣」という感じでした。


 その間、「何か面白いものがないか?」とバスの中から探したのですが、何もありませんでした。
 ところが、おしりが痛くなった10時30分頃、とんだハプニングが待っていました。
 オルヴァル修道院近くの広場に着いたという案内がありましたので、バスを降りて歩き出しまたら、ここからまだ2キロメートルもある!ということが判明し、再びバスに揺られて修道院に向かうことになったのです。
 まず、その広場付近の様子をご覧ください。

 左側に大きな教会のような建物があり、その左側を歩いている人が写っています。
 それにしても、ここから2キロメートルといいますと、30分ぐらいかかってしまいそうです。
 もしかしたら、単に運転手さんが場所を間違えたのではないでしょうか?

<ここでオルヴァルの勉強・・・Wikipediaから>

 
1076年、イタリアからベネディクト派の修道士達がこの地に招かれ設立を開始し、マチルド伯爵夫人により建設の基礎資金が提供され、1124年に完成しました。
 1132年、フランスからシトー会の修道士グループが合流しました。
 1252年、火災により焼失し、再建におよそ100年かかりました。また、1637年の三十年戦争の際には掠奪を受けています。
 1793年、フランス革命の際にフランス軍によって焼き討ちされ破壊されます。
 1926年、修道院を新しく建設し再建が開始されます。
 1931年、再建資金を得る手段としてビール醸造を開始しました。
 1948年、新修道院が完成します。


 という歴史があり、オルヴァルという言葉は、1ベルギーのワロン地域、リュクサンブール州にある地名、2この地のシトー派修道院の名称であるオルヴァル修道院、3オルヴァル修道院の醸造所で作られるトラピストビールの名称、という3つの意味があるようです。
 この中では3の「ビールの名称」という理解をしている場合が多いようです。
 そのビールは、マチルドの泉の伝説によって知られるトラピスト会の修道院で醸造されるビールですが、泉の伝説などについては、後ほど、レポートしたいと思います。


  <1.駐車場付近の光景>

   <2.オルヴァル修道院を望む>
 
   <3.入口付近>

   <4.中の建物などの様子> 

 写真に順番をつけましたが、この順で見学しました。2を見ますと、この地には周りに何があるのか理解できると思います。
 さて、この修道院を案内していただいたのは、小生のメモでは、元学校の先生で、英語、ドイツ語、オランダ語の3カ国語が話せるという髪の毛の薄い小父さん(Tさんメモに「フェリシアンさん」とあり、英語で説明したようです。)です。
 ところが、ある方のホームページを見ていたら「Pere Lode」という方に関する記事が出ていて、フランス語、ドイツ語、英語が話せるというのです。そして、この方の写真を見ましたら、なんと!髪の毛が薄いではありませんか!
 ということで、フェリシアンさんにご登場いただきます。

   そして、まず、建物の中で修道士達の生活をビデオを拝見しました。
 その後、樹齢300年の樫の木や薬草畑がある中庭へ出て、ここから破壊された旧修道院と現在の修道院を見ることが出来ました。
 残念ながら、現在の修道院に入ることはできませんでした。
 まず、通路の垣根越しに見えた現在の修道院を見てください。
 ご覧のように美しい修道院ですが、先ほどの歴史の中で修道院の再建築資金をえるため1931年にビールの醸造をはじめた、たという話があり、また、オルヴァルといえば「ビール」のことを指すということを申し上げましたが、ここで、そのビールの内容についてWikipediaを引用して説明しておきます。

 <概要>
 
オルヴァルは「マチルドの泉の伝説」によって知られるトラピスト会の修道院で醸造されるビールである。
 現在の修道院のすぐ近くに廃墟となった旧修道院跡があり、ここにマチルドの泉と呼ばれる小さな泉がある。修道院の生活水およびビールの醸造にはこの泉の水が用いられている。
 ビールは2種類醸造しているが、1つは院内での飲用のため流通銘柄が1つのみと少ない。その味の評価は高く、ベルギービールの紹介で知られるマイケル・ジャクソンはオルヴァルを最高ランクに位置づけている.
 醸造手順は・・・・

 次に中庭からの光景ですが、まず、旧修道院跡を背景にしたユニークな彫刻がある緑の芝生の庭や周辺の光景などをご覧ください。


 <中庭に向かって歩く!> 

  <芝生と彫刻と旧修道院> 

  <旧修道院前の彫刻> 

  <この美しい建物は?> 

 次に、先ほどWikipediaで勉強した西暦1100年代の旧修道院を見ながら、「フェリシアンさん」から当時の建築物の状況の説明を受けました。
 見た感じは、確かに崩壊しているのですが、「何とも表現しようがない落ち着き!」というか、整理された遺跡を見ているようで「綺麗」なのです。
 小生のメモには「西暦1100年代の建築物の再生が進んでいる。」とありました。


  <天窓とステンドグラスだった?>

   <再生が進む旧修道院跡>

  <同じく拡大写真>

 この後は、小生が最も気に入った光景を2つご覧いただきます。
 1つは別角度からの旧修道院跡、もう1つは樹齢300年の樫の木です。特に、樫の木の光景は「これは良いですね!!」というような声が思わず出てしまいそうなくらいの美しい光景でした。


  <旧修道院跡の全体像> 

   <樹齢300年の樫の木>

 お天気が良かたことももありますが、この修道院を「ゆっくり」見学することできました。
 そうなりますと、次の関心事は、「オルヴァルのビールを頂きながらの昼食!」と言いたいところですが、その前に博物館の見学がありました。
 ここの修道士の仕事がビール造り以外に2つあり、「1つが暖炉の前に置き、反射熱で部屋を暖める鉄細工、もう1つが床のタイル装飾づくり」という説明があったはずですが・・・博物館では、修道士の仕事とは関係がなさそうな修道院の模型を撮影しました。

   

 さて、この後は近くのレストラン(Auberge de Lange)で「修道士用にアルコールの度数を抑えているもので、ここでしか飲めない!」というオルヴァルビールのグリーンラベルを飲みながら美味しいと評判の料理を頂きました。
 でも、その前にこの地域をオルヴァルと呼ぶようになった
「マチルドの泉の伝説」についてWikipediaを引用して説明します。

 
イタリアはトスカーナ地方のマチルド・トスカニー伯爵夫人(Mathide de Toscane)がこの地を訪れ、谷にあった泉のほとりに腰掛けていたところ、亡き夫の形見である結婚指輪を泉へ落としてしまった。夫人は聖母マリアに祈りを捧げ「指輪が帰ってきたならば、この地に修道院を建てます」と祈願した。すると一匹の鱒(ます)が指輪をくわえ水面へと姿を現したのである。マチルド夫人は喜び驚いて「本当にここは黄金の谷!(Vald'Or)だわ」と叫んだ。これに因んで、この一体をオルヴァル(Orval)と呼ぶようになった。

 と説明していますが、まるでおとぎ話のようですね!

 
   

 これぞグリーンラベル!ですが、味はどんなだったのでしょうか?「苦いが、美味!」というメモが残っていました。しかし、料理の方は、「オルヴァルチーズと、ソースにオルヴァルビールを使った煮込み肉団子」というTさんのメモがありますが、小生のコメントが残っていませんでしたのでハッキリしません。(頭の隅に「うまいな!」という記憶が微かに残っているような感じです。

 この後は、14時頃に“森と渓谷の国”ルクセンブルクに向かいました。ルクセンブルクは、国名と首都が同じ名前ですから分かりづらいのですが、
ヴィアンデンという田舎町に行ってお城を見学しました。
 ルクセンブルクの見どころとして「わがまま歩き」では、クレルヴォー、エヒテルナッハ、ルクセンブルク、そして、フィアンデンの4カ所が掲載されています。
 
ところが、小生は「ヴィ」という文字に幻惑されて「なんだ!ヴィアンデンは載っていないのか?」と思いました。でも、よく見たらフィアンデンがヴィアンデンだったのです。「Viandenとなっていますから、ローマ字風に読みますとヴィアンデン」なのでしょうね。

 ちなみにルクセンブルクの公用語は、ドイツ語、フランス語、ルクセンブルク語だそうですが、全部覚えるのは大変ですね!
 また、小さな国(面積は神奈川県や佐賀県並、人口は48、6万人)ですが、立憲君主制、EUに加盟していて、通貨はユーロ、世界有数の恵まれた国(一人あたりのGDP)だといいますから驚きですネ。
 話が横道に逸れてしまいましたが、
ヴィアンデンには15時40分過ぎに到着しました。
 ルクセンブルクの北東部、ドイツ国境に近いところですからベルギーのオルヴァルからは意外と距離があるのかも知れません。その間、何か面白いものがないか「きょろきょろ」したのですが、何もありませんでした。

 
ヴィアンデンの見どころは、何と言ってもお城(ィアンデン城)ですが、この街自体もウール川沿いの両岸に開けた街としてルクセンブルクでも有数の観光名所として知られているそうです。
 特に、毎年10月に行われるクルミ収穫祭は、大勢の見物客が集まって大賑わいである、という話ですが、私達がお邪魔したのは4月ですからお城を見学するしかないようです。


  <ヴィアンデン城の横顔>

  <ヴィアンデン城に近づく>

 440メートルの山頂に強固な守りを見せているヴィアンデン城は、ルクセンブルク伯に対抗するほどの勢力を持っていたヴィアンデン伯が11世紀に建てたもので、ロマネスクとゴシック様式の、ヨーロッパでも最大級の美しい城塞式の居城の一つとして知られています。

    相次ぐ家督争いで衰退し、1417年以降オレンジ・ナッソウ家の所有となったが、1820年に売却されて調度品などが散逸しました。
 その後、1890年にナッソウ家の血を引くアドルフ公の所有になり、1977年の国有まで大公家が管理してきたそうです。
 現在も写真のように、中世の武器や鎧、ガラス細工などが展示されていますので往時を偲ぶことができます。 

 また、お城からは、人口1600人のヴィアンデンの街並が眼下に望めました。
 
 
   

 ヴィアンデンの見学が終わりますと、今夜の宿泊地ルクセンブルクに向かいました。ヴィアンデンからルクセンブルクまでは40キロメートルぐらいでしょうか?18時に到着予定となっていました。
 バスは、丘陵の森林地帯を順調に走っていましたが、ルクセンブルク市内で渋滞があり、「遅れるかな?」と心配しました。
 ホテルは、郊外約2キロにあるノボテル(Novotel)ホテルです。


  <ホテル近くの建物>

  <こちらがノボテルホテルです>

 低層のホテルだな!と思いましたら「裏側に総ガラス張りの建物があり、細長い廊下に客室」があるホテルでした。
 ホテルのグレードなどを書いた「ルクセンブルクの朝」は、次のページで記事にしますが、なかなかのホテルでしたよ。このホテルでいただいた夕食をご覧ください。

 左上の写真はロビーです。
 夕食に関するする情報ですが、Tサンのメモは、「牛肉の煮込みとグラタンを」というものでしたから、あまりに簡単で味気ないものでした。
 小生のメモには「通常の生ハムと野菜がまず出て、その後、牛肉とつぶしたジャガイモにチーズをのせて焼いたもの」とありました。
 そして、「名物ではないが、最も美味しい!」と高評価です。 

  <ロビーが明るい>

 <煮込みではなく生です!> 

  <グラタンが好物>

   <甘くない!> 

 明日は、ルクセンブルク市内観光をして、オランダ最古の町マーストリヒトに向かいます。





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