花のベネルクス物語15日間の旅行記
 <2012. 4.11(水)~ 4.25(水) (株)ユーラシア旅行社>

        ~4月23日(月)旅行13日目  くもり~  






                                No.25

 昨日はこの旅行で最も行ってみたかったヒートホールンと絵画の素養がない小生でも「これは素晴らしい!」と感じたゴッホの森のクレラー・ミュラー美術館を見学して少々疲れたかな?などと言ってる場合ではありませんね。今日も楽しい充実した旅が待っているはずです。

 さて、レーワルデンの朝ですが、まず、前ページで約束しましたホテルの部屋から見えた市内の様子と朝食をご覧ください。
 ところで、昨日のホテルからの写真は、メイドさんが小生を別室に案内して道路沿いに撮影できるようにしてくれたものですから、構図が全く違います。(小生が「撮りたい!撮りたい!」という顔をしてメイドさんを見ていたものですから、その気持ちがメイドさんに通じたのでしょうね!)



  <レーワルデン市内>

  <朝食のハム、卵など> 

 天気がどんより曇っていて、赤茶けた建物が霞んで見えますが、雨は降っていないようです。 この日の朝食はご覧のようにハム、ソーセージ、卵などですから「またまた同じ!」と感じてしまいますが、コメントに異変がありました。
 なんと!「この旅行で1~2番に美味しい!」とあったからです。
 でも、夕食は「イマイチ」でしたから小生の舌が好い加減だ!ということでしょうか?小生の舌もさることながら、同じホテルでもレストランが別の店(夕食0F、朝食11F)だったことも原因のようです。

 さて、次にホテルのグレードですが、部屋の広さは、ベッドがダブルなのにスーツケースの置き場を十分確保でき、また、ヨーロッパのホテルでは珍しいトイレと浴槽(シャワー)が完全に分離しているなど申し分ないものでした。


 次に順番が逆になってしまいましたが、本日のホテル出発までの予定ですが、モーニングコールが7時00分、朝食が7時00分11Fレストラン、バゲージダウンが8時30分(セルフ)、ロビー集合(出発)が8時30分となっています。

 また、本日の日程は、午前中に
レーワルデン市内を散策し、その後、アイセル湖とワッデン海の間を伸びる全長30㎞の大堤防を通り、アムステルダムで昼食、そして、午後からアムステルダムの市内観光、レンブラントの“夜景”を所蔵する「国立ミュージアム」「ゴッホ美術館」を見学することになっています。本日も充実した内容の予定が一杯です!

 8時30分に予定通りホテルを出発してレーワルデン市内を見学しました。
 前ページでレーワルデンがあるフリースランド州のことを間違って「異色の地」と申し上げましたが、独自の言語と文化を持つ少数民族フリージアンが多く住むため「オランダの中の異国」とも呼ばれているそうです。
 レーワルデンは、その州都で運河に囲まれた星形の城塞都市です。
 見どころとしては、フリージアン文化を見ることができる2つの博物館(フリース博物館、プリンセスホフ博物館)や、第1次世界大戦時の二重スパイとして伝説となった女性、マタハリの家、傾いている建物が印象的なオルデホーフェ斜塔などです。

 まず、バスに10分ほど揺られて
「オルデホーフェ斜塔」に着きました。

  <傾いているオルデホーフェ斜塔>  雨模様のためか写りがよくありませんが、この建物が1529年に教会として建てられはじめてすぐ傾きだし、1595年に未完のまま建築が断念されたという「オルデホーフェ斜塔」です。
 地盤沈下で傾いているといいますが、「どうどうとした暗い建物!」という印象が残りました。

 次は、2つの博物館やマタハリの家を見学した!といいたいところですが、ライオン像が印象的な市庁舎があるホフ広場を通って運河沿いの「マタハリの像」があるところへ向かいました。


  <雨に煙るホフ広場付近> 

   <ライオン像が目印の市庁舎>

 マタハリ(Mata Hari)は、フランスのパリを中心に活躍したマレー系オランダ人の踊り子(ダンサー)、ストリッパー。
 第1次世界大戦時にフランスの高級売春婦として名をはせ、数多くのフランス、ドイツの将校とベッドをともにしたことから二重スパイ容疑でフランスで捕らえられ、処刑されました。
 本名はマルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレといい、世界でもっとも有名な女スパイとして、女スパイの代名詞的存在となったといいいます。
 小生などは、こんな美人がスパイ容疑で処刑されたという歴史があり、レーワルデンが彼女の生まれ故郷だ!なんて知りませんでしたが、Wikipediaに載っている写真を見ますと、本当に色っぽいですネ。


    左の写真が運河沿いにあるマタハリの像です。
 右の写真二枚は、この像から見えた付近の光景ですが、この街もオランダらしい美しい運河があると感じました。

 レーワルデンでの散策の最後は、1598年建築、1884年までバターやチーズを計量する建物として使われていた「計量所」を見学しました。
 現在は、1Fが銀行、2Fがレストラン(カフェ)となっているそうです。



  <雨の中でも映える計量所>

   <マタハリ像ではありません!> 

 トンガリ帽のような屋根と赤茶色の壁が特徴的な計量所ですが、入口付近には右上のような銅像がありました。

 こうして雨のレーワルデンを9時30分過ぎまで見学して、次に向かったところはオランダをまさに象徴するような「大堤防」です。
 通常はアムステルダムから北に向かってこの大堤防を見学するようですが、私達は、東のレーワルデンから大堤防を通ってアムステルダムに向かいましたから逆コースになったということです。
 「大堤防」に関する説明は、ユーラシア旅行社のパンフレットの言葉が最も相応しいと思いますので、そのまま引用します。

 
「治水にかけては世界で一番の技術を持つと自負するオランダ。その昔から風車で低い土地にたまる水をかき出し、生活を守ってきた国ならではの見どころが「大堤防」です。1932年、水害を防ぐため旧ゾイデル海を締め切った全長約30㎞の「大堤防」は圧巻。アイセル湖と海を分ける高速道路がまっすぐに大堤防の上を走っています。「世界は神が作ったがオランダはオランダ人が作った」という言葉通り、低地に住み続けたオランダ人の歴史と努力を実感できる場所です。」

 小生が一言つけ加えるとすれば、海を30㎞も埋め立てる堤防工事は、確かに大変なものだっとろうと感じました。
 その大堤防の様子ですが、10時10分頃にトイレ休憩したところから撮影したものをご覧いただきましょう。



 <大堤防;右側がアイセル湖>

  <大堤防を貫く道路と駐車場>

 この休憩地点を10時40分頃出発してアムステルダムに向かいました。まず、レストランDE NISSENで昼食ですが、その前にアムステルダム市内に入って見えた光景をご覧いただきたいと思います。
 なぜ、ここでアムステルダムのどこなのか分からないような写真を見せるのか?といえば、ゴッホ美術館と国立ミュージアムを除きアムステルダム市内観光が予定されていないからです。
 本当は、「わがまま歩き」が案内しているように「運河の街並を楽しみたい」のです。



   <白と青の路面電車>

  <運河の街並> 

 いかがですか?アムステルダムが①切り妻屋根が描き出す美しい景観の街②文化発信(60以上もの美術館や博物館)の街③カフェと花、自由が溢れる街(ショッピングストリート)だといわれていることが少しは分かるかと思います。

   このレストランに到着したのは11時50分ぐらいでした。建物に入ると、「入口付近の狭く暗い部屋には6人掛けの机と椅子があった。(女性は「可愛い!」なんていうかもね?というメモが残っていました。)
 料理は、「ホッチハッチと呼ばれるマッシュポテトに色々な野菜を混ぜたものと煮込み肉団子、そして肉のクロケットを」というTさんメモが残っていました。
 肝心な味ですが、残念ながら「普通」でした。
 

 13時過ぎに昼食が終了しますと、次は「ゴッホ美術館」に向かいました。






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