花のベネルクス物語15日間の旅行記
 <2012. 4.11(水)~ 4.25(水) (株)ユーラシア旅行社>

        ~4月23日(月)旅行13日目  くもり~ 
 





                              No.26の2


<引き続き国立ミュージアムの絵画をご覧ください。>


  <織物小組合の幹部たち> 

   <ユダヤの花嫁>

  <作者も作品名も不明>

   <同じく不明>

 「織物小組合の幹部たち」は、レンブラントの作品で1662年の制作、「ユダヤの花嫁」も同じくレンブラントの作品で1660年の制作です。
 さて、次は、フェルメールの「牛乳をそそぐ女」「青衣の女」、そして小生がこの美術館で最も見たかったレンブラントの「夜警」を掲載します。



 <フェルメールの「牛乳をそそぐ女」>

    <同じく「青衣の女」> 

    <レンブラントの「夜警」>  

 こうして、国立美術館での見学が16時45分に終了しますと、今夜のホテル、「モーベンピック(MOVENPICK)」にバスで向かいました。
 ホテル到着は17時25分ぐらいでしたが、今日は夕食が用意されていません。
 王宮などがあるダム広場(中央駅から徒歩10分)周辺のレストランでいただくか、22時まで営業しているというスーパー「アルバートハイン」でパンなどを買ってホテルでいただくかという選択になりました。
 幸い、18時15分に運転手のアントンさんのご厚意でロビーに集合すれば、バスでダム広場まで連れて行ってくれるそうです。
 Oさんのご助言もあり「アンネ・フランクの家」を見学すろことにしていましたので、その後、スーパーで夕食をゲットすることにしました。



 <ホテル前のスローターダイク駅>

   <モーベンピック ホテル>


 アンネ・フランクは、第2次世界大戦中にナチスによるユダヤ人迫害の犠牲となった人で、父が経営していた会社の建物の屋根裏に2年間、隠れ住み、ついにはゲシュタポに発見されて強制収容所へ送られました。
 戦後出版した「アンネの日記」は数十カ国語に翻訳され、アンネ・フランクの家は戦争反対を訴える博物館として公開されているそうです。
 屋根裏に行く階段を隠すなどの工夫があり、アンネがどんな思いでここに隠れて住んでいたのかと思うと、適切な言葉が出てきません。
 なお、建物の中に入った小生の第一印象は「暗い!狭い階段!」というものでした。


  <ダム広場?> 

  <アンネ・フランクの銅像>

  <アンネの家に入るため並ぶ人々>
 左上の写真は、アンネ・フランクの家に到着する10分ぐらい前に見えた遊園地のような光景ですが、ダム広場でしょうか?
 また、右上の写真は、アンネの銅像ですが、オランダの黄金期、17世紀を代表する建物「西教会」の前に立っています。
 銅像を左方向に向かいますと、大きな通りに突き当たりますが、その右方向にアンネ・フランクの家があります。

見学が終わりますと、親しくなったDさんご夫妻と「バッタリ」お会いしましたが、私達は、夕食用のビールや、ハム、野菜などを買うためスーパーに向かいました。
 そのスーパーでは、一人でこのツアーに参加されていたK(男性)さんにお会いました。
 そして、しばらく店をブラブラしていましたら、Dさんご夫妻とも一緒になったのです。
 スーパーからは、ダム広場まで歩いて、アムステルダムのトラムに初めて乗車することになりました。(2.7ユーロ)
 25番トラムに乗ってアムステルダム中央駅に向かい、中央駅で26番トラムに乗り換えて隣の駅「スローターダイク駅」で降りてホテルに向かいました。


 これで、この旅「花のベネルクス物語15日間」も終了です。
 とても充実した楽しい旅でしたが、次ページに24日の朝食とこの旅の感想文みたいな編集後記を掲載したいと思いますので、是非、ご覧ください。

 次の旅行(タトラ山麓とスロバキア周遊10日間)でまたお目にかかりましょう!







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