<クロアチア>
旧ユーゴスラビア4カ国の旅
   <2010.5.23(日)~6.3(木)・阪急交通社>


        ~旅行5日目・5月27日(木) 曇り時々晴れ~  





                                  No.22


<ドブロヴニク散策>

mugiko
 プレチェ門からは「ドミニコ会修道院」に向かって歩くのね。反対の左側(海側)には聖ルカ要塞が見えるはずよ。
mugio
 それが歩いている周囲が大きな壁のような建物があり、よく分からないんだ。


  <レヴェリン要塞> 

   <修道院と要塞の間を通る?> 

mugio
 右上の写真を図面で判断すると、左側が聖ルカ要塞、右側がドミニコ会修道院付近ということになるが、よく分かりません!
mugiko
 よく分からない!ということがよく分かったわ。などという冗談はともかく、ドブロヴニクは、訪れる人を魅了してやまない街だけれど、過去には幾度も大きな被害を受けてきたと聞いたわ。特に、1667年の大地震による被害と1991年のユーゴスラビア連邦軍による攻撃がもたらした被害が大きかったそうね。
mugio
 そんな素晴らしい街に来ているのに、入口で「うろうろするな!」と言いたそうだね。
 私たちが入ったのは、プラツァ通りという街の中心街路にでる「ピレ門」ではなく、その反対側の旧港に近いところから入ってしまったから、余計に分かりにくくなってしまったかも知れないね。



  <旧港から見える聖イヴァン要塞>

   <同じく北方向の景色>

mugiko
 ドミニコ会修道院の南側にスポンザ宮殿の裏側があるけれど、そこを海側に抜けると「旧港」の桟橋があったわ。上の2枚の写真はその時に撮影したもので、左側の写真には、旧港を挟むように建っている聖イヴァン要塞が見えるわ。
mugio
 そして、右の写真には、遠方にドミニコ会修道院の尖塔が、また、手前の人の先に3つのアーチがある建物アルセナル造船所が見える。
mugiko
 桟橋から見えた美しい旧港の写真がもっと見たいものね。


   <桟橋の南側の景色>

   <桟橋の北側の景色> 

mugio
 この後はポンテ門から市街地の中に入り、イタリアの画家ティツィアーノの祭壇画があるという聖母被昇天大聖堂に向かったのかな?



  <聖母被昇天大聖堂>

  <大聖堂の北側の光景>

mugiko
 ルジャ広場の南にたっている聖母被昇天大聖堂は、もともとは1192年に英国のリチャード王が創建したと伝えられているそうね。今の建物は、17世紀にバロック様式で再建されたという説明があるけれど、もとの建物が1667年の大地震で崩壊してしまったということかしら?
mugio
 そうだと思うよ。ところで、右上の写真は、右側手前が総督邸、左側に白いテントのようなものが見えるけれど、その先を左折すると青空市場だそうだ。そして、突き当りに小さく写っている建物がスポンザ宮殿、その手前の尖塔の建物がベルタワー(鐘楼)みたいだね。

mugiko
 これから北側に向かって歩くそうよ。


   <総督邸>

   <スポンザ宮殿>

mugiko
 先ほど、あなたから説明があったけど、説明が足りないところがあったので、補足しておくわ。大聖堂から北側に向かって歩くと、港方向の右側には、総督邸やベルタワーのほかに市庁舎が、スポンザ宮殿の左手前には聖ヴラボ教会(工事中)が見えたわ。
mugio
 ところで、「総督邸」というのは、どこの国の総督なんだろうね。
mugiko
 地球の歩き方に書いてある「ドブロヴニクの歴史」を読むと、ラグーサ共和国という国の総督みたいね。ドブロヴニクとは、スラブ語の名称で、ラテン語ではラグーサというらしいわ。だからラグーサ共和国とは、614年に誕生したこの地の国名ということね。
mugio
 総督邸は、15世紀初め、当時の有名な建築家オノフリオ・デッラ・ツァッヴによって建てられたゴシック様式の邸だったが、完成から30年後、火薬の爆発により大きな被害を受け、ルネッサンス様式により補修作業がなされ、その結果、ゴシックとルネッサンスが融合する魅力あふれる建物になった、ということのようだね。さらに、1667年の大地震の修復では、バロックの装飾まで加えることになったと説明しているよ。
mugiko
 何とか様式といわれても、私たちには、さっぱり分からないわね。
 右上のスポンザ宮殿も1516年建設という古い建物で、当時はドブロヴニクの貿易を管理していたけれど、税関としての役割が減ると、学者や知識人が集まる文化サロンに変わっていった、ということね。
 この建物は1667年の大地震でも被害を受けなかったので、歴文書や裁判記録が残り、現在はそれら貴重な古文書を保管する古文書館となっているそうね。






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