<クロアチア>
 旧ユーゴスラビア4カ国の旅
  <2010.5.23(日)~6.3(木)・阪急交通社>


    ~旅行7日目・5月29日(土) 雨のち時々晴れ~  

<ボスニアヘル
ツェゴビナ>





                                  No.28


 ドブロヴニクからボスニアヘルツェゴビナのモスタル

mugiko
 おはよう!Aさんの天気予報では、ドブロヴニクもモスタルも、そして今夜の宿泊地のサラエボも皆、雨だというけれど、なんだか明るいような気がするのは私だけでしょうか?。
mugio
 残念ながら、ドブロヴニクは雨で風もあります。天気が良くなるようお祈りでもしたいね。  さて、今日はいつものように「ドブロヴニクの朝」からお伝えしましょう。
 ホテルは昨日と同じドブロヴニクのインポータンヌリソート ネプチューンですから、その評価を申し上げることはないのですが・・

mugiko
 が、・・昨日何も言わなかったので、「言いたい!」という顔をしているわよ。
mugio
 お許しが出たので申し上げます。このホテルは、名前の通りリゾート系のホテルのようで、海を望むプールなども完備しているそうです。私たちの部屋は414号室で海が見えるバルコニーがついていました。
mugiko
 あら!意外と高評価じゃないの?と思ったら評価が下がる言葉が待っているの?
mugio
 このホテルは、旧市街のピレ門からバスで15分くらい、切り立った断崖に建っているホテルですから、海の眺望は良いが旧市街から遠い、といえます。
 また、大きなホテルの割にはエレベータが狭く、バスタブはなくシャワーのみ、朝食会場は別棟で分かりにくいなどの欠点はありますが、部屋からの眺望や食事の量・味とも良好で、肝心な部屋の面積も悪くありません。

mugiko
 という言葉を引き取って、次は私から本日の出発前の約束事を申し上げます。
 まず、モーニングコールですが、6時00分、荷物回収7時15分、朝食(T階レストラン)6時30分から、ロビー集合(1F)8時00分です。

mugio
 それでは早速、朝食の模様を!と思いましたが、朝の6時ごろ部屋から海を見ていたら悠然と大型の船が動いていましたので、併せてご覧いただきましょう。


  <ホテル前を航行する客船>

  <朝食・・食べ過ぎです>

mugiko
 こうしてドブロヴニクに別れを告げてアドリア海沿いを国境の街ネイムを越えて、ボスニアヘルツェゴビナのモスタルに向かいました。ドブロヴニクからモスタルまでは、約140㎞、2時間30分と日程表に表示されていますが、実際には何時ごろ到着するのでしょうか?
mugio
 そんなに長くバスに乗っていられないので、9時10分ごろネイムでWCを兼ねてスーパーでの買い物だね。
 ネイムには26日にスプリットからコルチュラ島を訪問した時に立ち寄ったけれど、この道路沿いでネイムだけがボスニアヘルツェゴビナ領だから国境が入り組んでいてややこしいネ。

mugiko
 その後は再びクロアチア領に入って20㎞ぐらいかな?地図でいうと、Opuzenという表示の方向(右折)に走り、クロアチア側はMetkovic、ボスニアヘルツェゴビナ側はGadelaという町で、10時10分ごろに再々度、国境を越えてモスタルに向かったのね。
mugio
 そんな感じでモスタルに着いたのですが、この間の光景を示す適当な写真がないのさ。


 <ネウム到着前の景色(8時55分)>

  <国境手前の景色(10時3分)>

mugiko
 こうして、ホテルを出発してから3時間30分という長いバスの旅でしたが、モスタルには11時30分ごろ到着したのです。そして、駐車場から歩いてフランシスコ教会、そして旧市街の石畳を歩いてネレトヴァ川の石橋「スターリ・モスト」に向かったのね。


 <フランシスコ教会> 
mugio
 随分とノッポの建物だね。
mugiko
 ボスニアヘルツェゴビナのモスタルは、15世紀のオスマン朝時代からの歴史があり、幾多の変遷を経てユーゴスラビア社会主義連邦共和国になったそうね。
 そして、1992年にボスニアヘルツェゴビナが共和国から独立を宣言すると、モスタルはユーゴスラビア連邦軍の攻撃を受け、モスタルの象徴であった石橋(スタール・モスト)も93年11月に破壊されてしまったそうよ。

mugio

 戦争は、本当に怖いね!
 駐車場付近にあるフランシスコ教会もこの内戦で破壊されたそうで、2003年に再建されたというから建物が新しく綺麗に見えるはずだね。

mugiko
 町の北にある一般の駐車場からスタール・モストなどがある旧市街までは約1㎞となっているけれど、私たちは、ネレトヴァ川を挟んで東側のマーシャル・チトー(marsala Tita)という通りではなく、西側を歩いてスタール・モストまで行ったみたいね。
 その間の光景を写してありますので、ご覧いただきましょうか。



  <銃弾の穴の跡>

  <破壊された建物の跡?>  

  <旧市街を目指して歩く> 

    <スタール・モストに近づいて>

mugio
 右下の写真の場所からは、数分で見どころの石橋、スタール・モストに到着!だよ。
 だけど、この橋の周辺がイスラム教徒とクロアチア人がネレトヴァ川を挟み、ロケット砲や迫撃砲などで戦ったボスニア紛争の激戦地だったという感じは全く感じられなかったね。

mugiko
 橋のたもとに「DON’FORGET‘93」と刻まれた石が置かれていたけれど、それを祈念するように、橋と周辺が2005年に世界遺産に登録されたということね。
 紛争の平和合意後、橋の東側がムスリム地区、西側がキリスト教地区に分離されたので、東側にはイスラム教のモスクが、西側にはキリスト教の教会が建てられたようね。

mugio
 だから、橋の上から東側を眺めると、エメラルドグリーンのネレトヴァ川の右側にはモスクのミナレットが聳えているのか!


  <スタール・モストと周辺>

  <スタール・モスト>

mugiko
 平和の象徴のような橋だけれども、「美しい橋!」という形容がぴったりな表現ね。







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