<クロアチア> 
旧ユーゴスラビア4カ国の旅
  <2010.5.23(日)~6.3(木)・阪急交通社>


    ~旅行10日目・6月 1日(火) 曇り後晴れ~





                                  No.37



 ザグレブ市内観光2


mugiko
 前ページで、大聖堂の説明をしたので、次に正面の彫刻や、内部の様子をレポートしましょうか。
mugio
 姉さん!ちょっと、待ってちょうだい!
 同じく前ページの写真に、大聖堂の周りに赤い円錐形の屋根の下に白っぽい塀が見えるけれど、これは、オスマン朝から守るために作られた、という城壁だとサ。



  <大聖堂の入口にて> 

   <大聖堂のステンドグラス?>

   <大聖堂の内部正面> 

mugio
 入口の彫刻は美しいものでしたが、教会の中は、僕には皆同じに見えてしまい、興味をそそられるものではなかったね。
mugiko
 そうね!「ルネッサンス様式の祭壇」だとか「バロック様式の説教壇」などと説明されてもさっぱり分からないわ。
mugio
 ということで、中は10分強ぐらいの見学で終わりにして、時計の文字盤のようなものが飾ってある城壁をバックに二人で記念撮影をして、近くの青果市場(ドラツDolac)に向かいました。


 <城壁をバックにハイポーズ!> 

   <10時15分を指している> 

mugiko
 ザグレブの胃袋とも呼ばれている青果市場は、1926年から旧市街にあり、ザグレブにある市場では最も古いもので、周囲には雑貨や骨董品などを売る屋台が並んでいる、ということだけれど赤いパラソルと草花の鮮やかな色が目に付く市場だったわ。


  <青果市場> 

   <色とりどりの草花> 

mugio
 市場で目を楽しませていただいて、花屋さんの横を通って、坂道を下ると、・・・・
mugiko
 振り返ると、何かが見えた?などとミステリーじみたことを言っても驚かないわ。

mugio
 通りの間に大聖堂の二つの尖塔が見えた!のさ。
 そして、その通りを下りきったところに南北に延びる通路があり、この通りの名前を聞いて驚いちゃったな!

mugiko
 なんと!「血の橋通り」というのよね。
mugio

 良く知っているね。この通りは、南北に延びるトカルチチュヴァという通りで、カフェテリアなどの店が並んでいた。
mugiko
 なぜ、「血の橋通り」などと物騒な名前がついたのか?は、通りの写真を見ながら説明する、ということね。

  <大聖堂の二つの尖塔>

   <トカルチチュヴァ通り>
mugio
 昔はここに川が流れており、川を挟んで東の丘がカトリック教徒の街カプトル、西側が商工業のグラデツという街に分かれていたのさ。
mugiko

 ザグレブという都市の説明をしたときに旧市街は、「二つの街が合併してできた」と言ったけれど、このあたりが境界だったのかしら?

mugio
 そして、二つの街は水車小屋の管理をめぐって争い、川の流れが血に染まるほどだったことから、この川にかかる橋のことを「血の橋」と呼んでいたそうだ。
mugiko
 怖い話ね。でも、見どころはこの通りではなく、この通りの西側であるグラデツ地区の「Radiceva」という通りにある「石の門」のようね。

mugio
 グラデツ(現ゴルニィ・グラード)は、中世の王国自由都市で、敵の侵入を防ぐために城壁で囲まれていた。
 石の門は、当時のグラデツの数少ない出入口の一つで、当初は木造で1731年の大火で建物が焼け落ちたが、灰の中から聖母マリアの絵が燃えずに発見され、以後マリアの奇跡の霊地となった、という話だね。
 
mugiko
 門の中には聖母マリアの肖像が納められた礼拝堂があるというけれど、見学したという記憶がないの!

   <石の門>

mugio
 そうだね?でも、ここを通らないと次の見学先のグラデツの丘といわれる場所には行けないみたいだよ。この丘には、聖マルコ教会やクロアチアの国会、首相官邸などがあるそうだ。













次のページ(No.38)  前のページ(No.36)