連泊で巡るポルトガルの美しい町や村12日間の旅
 <2013.3.5(火)~3.16(木)・ユーラシア旅行社>

    ~3月7日(木)旅行3日目  大ぶりの雨~ 







                                  No.5


 ◆ アレンテージョ地方の北、サン・マメーデ山脈の村マルヴァオン
   (Marvao)
 
 
    <霧に包まれていたマルヴァオン村>

   〇 まず、 エヴォラの朝から

 昨夜から本格的な雨がふっています。
 さて、いつもの(・・・の朝)ホテルの評価ですが、部屋があみだくじで決まってしまいまし
た。私たちは、「02号室」でしたが、「04号室」の方が良かったみたいです。
 などといってますが、何が良いのか分かりませんし、意味のないことですネ。
 場所は、昨日お伝えした通りディアナ神殿の隣でしたから申し分ありません。
 部屋の中も浴槽や、シャワー、トイレなどの水回りも良好ですし、温度調整もできます。また
、ベッドは、シングルでした。

 次に、出発までの予定ですが、モーニングコールが7時00分、朝食が7時30分、ホテル出
発が9時00分となっています。スーツケースの搬出は連泊ですからありません。
 早速、楽しみな朝食をご覧ください。



 <ハムと卵が多い!> 
 ヨーロッパらしく肉類が多い一皿ですが、自分
の好みがばれてしいそうですね。
 でも、何でもいただける身体をもらったことを
両親に感謝しなければいけません。
 味?残念ながら覚えておりません。

 ところで、お天気が心配ですが…テルテル坊主
はしませんでしたが、出発時刻には雨が上がって
きました。

   〇 マルヴァオンに向かう

 まず、アレンテージョ地方の北、なだらかな山々が連なるサン・マメーデ山脈の中にある村マ
ルヴァオンに向かいました。
 ホテルを出発して間もなく、赤い看板が目に飛び込んできました。



  <赤い看板>

  <出発30分後の風景> 

 赤い看板には、「Derrotar sete governo e esta polit
ica」と書いてあるのですが、その意味を後で調べましたら、何と!「この政府、このポリー
シを倒す」というのですから、びっくりしてしまいました。(小生のポルトガル語から日本語へ
の直訳が間違っている!?)
 何はともあれ、どんより曇っていてお天気がイマイチでしたが、コルクやオリーブの木が植え
られているヨーロッパらしい平原の景色が続いていていました。
 お天気は雨模様でしたが、9時15分には日が差すなど猫の目のように変わりました。
 小生は、こうした風景を楽しんでおりましたが、車内にラテンミュージックが流れていたため
か、いつの間にか「うとうと」してしまい、添乗員のSさんのマイクの声で目が覚めました。

 その後、「鷹の巣」の村といわれるマルヴァオンを遠方から撮影するためバスを停車して見学
しました

 ここから見ますと、後ほど「ちょこっとガイド」で説明する「鷹の巣」といわれる所以が分か
るのです。


  <正面に小高い丘に村が> 

  <ここでバスストップ>

 この撮影場所からバスで30分間ぐらい、11時前に目的地のマルヴァオンに到着しました。


<マルヴァオンちょこっとガイド>
 マルヴァオンは、アレンテージョ地方の北、なだらかな山々が連なるサン・マメーデ山脈の中
にある。標高865mの岩山に村が「ちょこん」と載っている様は
「鷹の巣」という形容がぴっ
たりだ。
 村はスペイン国境に近いことから古くから戦略上重要な拠点であった。村の名前は、9世紀に
この地を支配したムーア人の王、イブン・マルアンに由来するとされる。1166年に
「アフォ
ンソ・エンリケス」
がイスラム教徒を排撃した後も、しばしば外敵の脅威にさらされ、また、1
833年の内戦の際にはその難攻不落さゆえに戦いの舞台となった。
 以上が簡単な説明であるが、現在の村の状況は、写真を見ながら説明したい。


 ちなみに、ちょこっとガイドに出てきた「アフォンソ・エンリケス」とは、ポルトガル王国を
建国したブルゴーニュ王朝の初代ポルトガル王(在位1139~1185年)のことだそうです
ヨ。でも、その歴史はもっと複雑ですから知りたい場合には勉強するしかないようです。


 さて、現在の村の状況ですが、なるほど!「下界から切り離されたかのように、静かで平和な
たたずまい」を保っていました。
 村の人口は、約150人だといいますが、これだけ風が強く雨が降ってきましたので、人の気
配を感じることはできませんでした。


  <白い壁の家々が並ぶ>

  <赤い扉と中央の彫刻> 

 村の入口から二重のロダオン門を通って城壁の中に入る、と説明されていますが、門を意識す
ることなくご覧のような狭い石畳の道を歩いていました。また、近くには、赤い扉が印象的な建
物がありました。



 <これがロダオン門?> 

  <キリスト教の建物?> 

 狭い石畳をしばらく歩いて行きますと、建物と建物を結ぶ門がありました。これが「二重のロ
ダオン門」といわれる門でしょうか?
 また、この先の左側には、十字架が中央に飾ってあるご覧のような建物がありました。



 <南方系(サボテン?)の植物> 

  <草花の拡大写真>

  <バルコニーの植物>

 ところで、この村では、バルコニーなどに色とりどりの草花が飾られているそうですが、この
時期は花が咲くには寒いのか?残念ながら咲き乱れてはいませんでした。
 それでも、よく観察しますと、地元の人々が花を愛でていることがうかがえました。

 こうして街歩きを楽しみながら石畳の道を進んでいきますと、やがてもう一つの門が見え、そ
の先には13世紀にディニス王(Dinis1世、第6代ポルトガル王、在位1279~132
5年)が築いたという城が見えてきました。



  <この門は?> 

  <西端にある城に向かう>

 <ここにも門が!「城の門?」>

  <城壁と下の様子>

 西端にあるという城に向かいますと、城の門があり、その先からは、ご覧のような絶景が広が
っていました。
 その絶景は、見張り塔から見えるのですが、北にエストレーラ山脈、南にサン・マメーデ山脈
、東にスペインのはずです。
 ところが、ご覧のように霧に覆われてよく分からなかったのです。



  <見張り塔?>

  <城壁内の様子>

 でも、そのお陰で幻想的な写真が撮影できたのです。そして、東西南北の方向が分からない小
生には、都合の良い霧でした。((笑)で誤魔化したい!)
 原野が広がるヨーロッパの原風景らしいものは撮影できませんでしたが、この村が断崖にある
ということが理解できる写真がありますので、ご覧ください。



 <岩山の城だ!> 

  <同じ方向から>

 同じ構図の写真を2枚撮影したのか?いいえ、そうではないのです。撮影した人間が違うので
す。手前に城壁を入れて撮影するなんて!かみさんのテクニックはさすが!ですね。

 こうして私たちは、天空の城とか鷹の巣と呼ばれるマルヴァオンに「さようなら」を告げたの
でした。
 それにしても、風が強くて、途中からは雨が強くなってきましたので、「写真どころではない
!、カッパも役に立たない!、ズボンは「びしょびしょ!」、ビデオカメラはカバンの中に入れ
ておけばよかった!」などと恨み節のような気持になってしまいました。

 さて、この後は村のレストラン「Sever Restaurante」で昼食です。冷えた
身体には温かいスープでも頂きたいものですが、どんな料理が出てくるのでしょうか?



  <白い建物のレストラン> 

<チーズ> 

<マッシュルーム>

<野菜スープ> 

<サラダ> 

<豚肉とアサリ>

<デザート>

 この村を見学して帰路に着いた時には、びしょ濡れになったり、軒先を借りて大雨を避けたぐ
らいであったのに、レストランに来るとご覧のように明るくなっていました。

 ところで、出てきた料理は、チーズ、マッシュルームサラダ、ソーセージと卵炒め、野菜スー
プ、カルネ・ポルコ・アレンテジャーナ(豚肉とアサリの炒め物)、デザートは選択となってい
ましたが、ソーセージと卵炒めは見当たりません。
 小生の評価は、「メインの肉は柔らかで美味、野菜(マッシュルームサラダ?)は塩分がきつ
い、スープはまぁまぁ!」といったところです。
 なお、飲み物は、小生は赤ワイン(4ユーロ)、かみさんが紅茶(1ユーロ)でした。

 レストランに入ったのが12時25分過ぎ、そして出発が14時05分でしたから、なんと!
1時間50分も料理を楽しんだのです。

 さて、この後は、マルヴァオンから約10Kmの距離にある
「カステロ・デ・ヴィデ」に向か
いました。ここも城壁に囲まれた白い街だそうです。









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  このページ(No.5)は、アレンテージ地方の北の村マルヴァオンを掲載しています。