Portugal
 連泊で巡るポルトガルの美しい町や村12日間の旅
 <2013.3.5(火)~3.16(木)・ユーラシア旅行社>

    ~3月6日(水)旅行2日目  くもり時々晴れ間~ 






                                  No.4


 ◆ アレンテージョ地方の中心都市エヴォラ(Evora)

 モンサラーシュ村からエヴォラに向かいましたが、工業団地など途中に見えた景色に見覚えが
ありました。また、緑の多い平原には、ブドウ畑が多いようです。


 <モンサラーシュ出発直後>
 次のエヴォラが楽しみですが、暗雲?が漂って
きました。
「女心とポルトガルの天気!」とでも言いましょ
うか?晴れていたのに雨が降ってきたのです。
「男心でしょう!」とかみさんに叱られそうです
が、この時期のポルトガルは、このように天気が
ころころ変わるようです。

 モンサラーシュから45分ぐらいバスに揺られていますと、やがてエヴォラのレストランMA
R DE AR MURALHAS(マール・デ・アル・ムラーリャス)に到着しました。
 レストランの看板には、「Timeless Charm Hotel」という表示もありま
した。


  <そろそろ到着です>

   <このレストランも白い!>

 左上の写真は、ロータリー(丸い交差点)のようになっていますが、左上には自転車が展示し
てありました。
 さて、肝心な昼食のメニューですが、「トマトとチーズとレタスのサラダ」、「アレンテージ
ョポーク・ベーコン入り」、「チキンのむね肉・スパゲティとほうれん草」、「セリカ(カステ
ラのような卵黄ケーキ)」となっています。


  <パン>

 <サラダ>

 <チキン胸肉など>

  <赤ワイン>

 <デザートのセリカ> 
 アレンテージョポークの写真が見当たりません。

 味の方は、メインの「チキンのむね肉」が「塩がきついが、まあまあ」、サラダは「美味しい
」、デザートは「黒い実の正体が分からない。ケーキは甘すぎで普通」といったところ。

 昼食が終わると、歩いてエヴォラ市内観光に向かいました。案内は、現地ガイドのマリアさん
です。

 通常の観光コースでは、街の中心にあるジェラルド広場目指して、西側のバスターミナルから
「Av.S.Sebastiao」という通りを東に進み、城壁内に入ったら、そのまま「Ru
a Serpa Pinto」という通りを直進します。そして、この広場からこの街の見どこ
ろを回るということのようです。
 
 しかし、私たちが昼食をいただいたレストランは、城壁内の西側にあることから、レストラン
から比較的近い南西方向にある「サン・フランシスコ教会」に向かいました。
 レストランから歩いた通りが何という名前なのか分かりませんが(「Rua do Roim
undo」や、市場やサン・フランシスコ教会沿いにある「Rua Romuoo Romol
ho」という通り?)、輝くような黄色の壁が並ぶ街並みを楽しむことができました。


<ここで、エヴォラちょこっとガイド>
 アレンテージョ地方は、テージョ川の南に広がる平野地帯であるが、エヴォラは、その中心都
市で人口57千人の町である。ローマ帝国時代からこの地方の中心として栄え、ルネッサンス期
には大学も設置された学芸の都でもある。
 1582年(天昇10年)に日本から欧州に派遣された伊東マンショ(主席正使)ら少年達(
天正遣欧少年使節)が、ここ
エヴォラに1584年9月に立ち寄っている。

 少年使節は、九州のキリシタン大名、大友宗麟、大村純忠、有馬晴信の名代としてローマに派
遣された4名の少年を中心とした使節団である。
 その目的は、遣欧を発案したイエズス会員アレッサンドロ・ヴァリニャーノによれば、
 第一はローマ教皇とスペイン・ポルトガル両王に日本宣教の経済的・精神的援助を依頼するこ
と。
 第二は日本人にヨーロッパのキリスト教世界を見聞・体験させ、帰国後にその栄光、偉大さを
少年達自ら語らせることにより、布教に役立てたいということ。
 などとなっている。

 ローマ、イスラム、キリスト教、それぞれの時代を物語る建造物がひとつの城壁の中に混然と
同居する旧市街は、1986年に「エヴォラ歴史地区」として世界遺産にも登録されており、ま
るで町全体が美術館のようだ。
 ☆ 歴史的建造物
  ・ エヴォラ大聖堂 1280年から1340年の間に主に建設されたエヴォラの誇る大聖
   堂。
  ・ サン・フランシスコ教会 15世紀の終わりから16世紀の初めにかけて建設されたゴ
   シック様式とマヌエル様式が混合した建築物。
  ・ マヌエル王宮 マヌエル1世によって建てられたゴシック様式とルネサンス様式が融合
   した邸宅。
  ・ エヴォラ大学 1559年に建設されたイエズス会の神学校が起源。16世紀のマリエ
   リスリムの教会と17世紀から18世紀にかけて建設された巨大な回廊がある。
  ・ ローマ神殿 1世紀にローマ皇帝アウグストゥスを祀るために作られた神殿。女帝ディ
   アナを祀ったものであるとの俗説からディアナ神殿ともいう。
  ・ ロイオス教会 ディアナ神殿の隣にある15世紀に建設された教会。
  ・ カタエヴァル侯爵邸 14世紀の建築物で、17世紀にファサードが改築されている。
  ・ ヴァスコ・ダ・ガマ邸 1519年から1524年の5年間、ヴァスコ・ダ・ガマは、
   エヴォラに滞在していた。マニエル様式の回廊とルネサンス様式の絵画が現存している。



 この時代に日本では何があったのか、また、派遣された少年4人の名前、その後の運命などが
気になるところですが、別な機会に譲りたいと思います。
 ただし、この年には、秀吉が備中に侵攻し、毛利方の清水宗治が守る備中高松城の水攻めがあ
り、また、6月2日には織田信長が京都の本能寺で明智光秀の謀反により自害している、ことだ
けはお伝えしたいと思います。


 さて、話をサン・フランシスコ教会に戻します。
 まず、教会に到着するまでに見えた美しい街並みをご覧ください。



  <白い壁と黄色の柱>

  <細い路地>

 レストランから10分以上歩いたのでしょうか?やがて、サン・フランシスコ教会が見えてき
ました。


 <正面にサン・フランシスコ教会>

  <サン・フランシスコ教会> 

 こうして教会の中に入りましたが、教会は16世紀に建てられたマニエル様式の装飾で、「裕
福な人たちの教会」といわれているそうです。
 しかし、見どころは、教会ではなく、併設されているのでしょうか?5000体もの人骨が壁
や柱に埋め込まれている!という「人骨堂」だというのですから驚きです。



  <教会の正面> 

  <絵画の壁が美しい>

  <正面の拡大画面>

 そういう話を聞くと、見たくなるのが人情というものですが、残念ながら人骨堂の写真はあり
ません。入口付近の雰囲気だけでもご覧ください。
 でも、その前にマニエル様式などと知ったかぶりをして書いていますが、どういうものでしょ
うか?


<ちょこっとガイド「マニエル様式」>
 ウキペディアさんの助けを借りたのですが、どうもよく分かりません。
 マヌエル様式は、15世紀後半から16世紀のポルトガルで流行した建築様式だといいます。
 ポルトガル王マヌエル1世の治世に流行し、ポルトガルのほぼ全域に広がったそうです。
 マヌエル様式は、建物の空間を規定する建築様式ではなく、後期ゴシック建築に付随する装飾
手法の一種とみなされる場合もある。(そして)
 
後期ゴシック建築、ルネサンス建築、イスラム建築の要素と大航海時代の自然観を備えている
点にマヌエル様式の特徴
がある。(いろんな建築様式と自然観が複合した建築かな?よく理解で
きないね。でも、その次の説明を読んでいると、建物などの装飾のことを言っているようでもあ
るので、記入しておきます。)
 建物には、船や海に関する装飾が施され、地球儀、鎖、ロープの結び目、舷窓の蓋、波、サン
ゴ、海藻、インドや南アメリカの植物、人間、宗教などがモチーフとされている。その一例とし
てベレンの塔に施されているロープ、海藻、網、貝の彫刻が挙げられる。
過剰な装飾がマヌエル
様式の特徴
であるが、他方バロック建築を思わせる新しい試みも取り入れられていた。トレーサ
ーにはイスラム教の影響が・・・・
 マヌエル様式を構成する要素として、らせん状の階段、多中心のアーチ、八角形の塔、円錐状
の尖塔などが挙げられる。同一の高さの内陣を数個備える教会堂が特徴的なドイツのハレンキル
ヘ様式が教会の間取りに採用されていたが、・・・・(などと、分かる部分もありますが、分か
らない所が多いので、このくらいにしておきます。)



 続いて、人骨堂に話を戻していただきましょう。


  <人骨堂の入口付近> 

  <人骨堂の中だけれど骨は?>

 <青のアズレージョが美しい>

 ここの見学が終わると、エヴォラの英雄、ジラルド・センバボルの名を冠したジラルド広場
向かいました。広場は、サン・フランシスコ教会の北西方向にあり、ここを起点に街歩きをする
というのが通常のコースのようです。



  <ジラルド広場を囲む建物>

   <ジラルド広場の噴水>

 ジラルド広場には、ご覧のようにいくつか建物がありますが、北側にある「サント・アンタォ
ン教会
」が目に飛び込んできました(左写真の正面)。
 ここから東へ伸びている「10月10日通りRua 5 de Outubro」には、ホテ
ル、カフェ、みやげ物屋などが並んでいるはずですが、・・・、


 <ローマ帝国時代の名残を利用?>

<ローマ時代の遺跡?>

 <ALCARCOVA DECIMという表示の小路>

  <革製品の土産物店>

 そして、広場から10分ぐらいで、この通りを上りきると、右側に
「カテドラル(エヴォラ大
聖堂)」
、左に「エヴォラ美術館」の入口があります。これらの施設が集まる高台の中央にはロ
ーマ時代に造られた
「ディアナ神殿」、その正面に「ロイオス修道院・ロイオス教会」、「カタ
ヴァル公職邸」
、その裏に「エヴォラ大学」が見えてくるはずです。
 このうち、私たちが訪問したのは、カテドラルとディアナ神殿でした。

 ところで、実際に歩いてみますと、10月10日通りという表示は見当たりませんし、ジラル
ド広場の北側の道を進んでいくと、その通りには左上写真のローマ帝国時代の遺跡を利用したよ
うな店などがあり、その先の「ALCARCOVA DE CIM」という狭い通りと交差す左
側には、右上写真のローマ時代の遺跡がありました。そして、私たちは、この狭い通りを進んで
いって、次の交差点で左に曲がりました。その通りには右下写真のようなお土産屋などが並んで
いて、突き当りにカテドラルがありました。
 地図では、簡単な道歩きのような感じでしたが、個人では迷子になりそうです。

 
「カテドラル(エヴォラ大聖堂)」は、12~13世紀のロマネスクからゴシックの過渡期に
建てられた大聖堂です。
 1584年9月にこの地を訪れた天正遣欧少年使節の伊藤マンショと千々石ミゲルは、このカ
テドラルでパイプオルガンの腕前を披露したといわれています。(またまた、天正遣欧少年使節
の話がでてきました。小生の勉強不足が露呈してしまいますね。)


  <カテドラルが見えてきた!>

  <カテドラルの正面>

  <入口の12使徒の彫刻>

 このカテドラルの見どころは、1335年ごろ作成された入口の「12使徒の像」と、美しい
「八角形のドーム」、そしてドームの「左右のバラ窓」だそうです。
 左が「明けの明星」、右が「神秘のバラ」となっていて、これは、聖母マリアのシンボルを表
しているそうです。
 このほかに宝物館にある象牙の「天使の聖母」、「聖レーニョの十字架」などがあるというこ
とですが、残念ながら宝物館に行きませんでした。



  <教会の入口付近から>

  <正面に近づくと天井が!>

 <赤と黒の八角形のドーム> 

 <明けの明星?> 

 <神秘のバラ?>
 どちらがドームの左側の「明けの明星」か右の
「神秘のバラ」なのか撮影した本人が分かりませ
ん!が、この光で教会全体が明るくなっているの
でしょうか?

 カテドラル(大聖堂)の中を約10分間見学しますと、次は、テラス式の屋根に上ってエヴォ
ラの町を見ることになりました。
 屋根が斜めになっていますので、足元に注意!ですね。



  <エヴォラの町と遠方の緑> 

 <大聖堂の円錐形の建物> 

 これで、天気がよければ最高!でしたが、それでも、大聖堂から眺める赤い屋根が並ぶエヴォ
ラの町を上から眺められたのですから大満足です。
 2ユーロは、ちょっと高い!のに小生も足元がふらつきながらもこの光景を楽しむことができ
ました。
 次の見学先は、カテドラルや美術館など歴史的建造物が集まる広場のようなところの中心にあ

「ディアナ神殿」
です。


  <ディアナ神殿> 

  <神殿の近隣の風景> 

 ディアナ神殿は、1世紀にローマ皇帝アウグストゥスを祀るために造られた神殿だそうです。 ご覧のように柱だけしか残っていませんが、このローマ神殿は、月と狩りの女神(ダイアナ)
を祀ったものであるという俗説からディアナ神殿とも呼ばれるという説明もあります。
 俗説の名称が正式名称のように使われているのですから面白いものですネ。
 さて、デジカメラ以外にビデオカメラで神殿を囲む公園の風景を撮影しましたので、ご覧ください。



 <神殿の後ろにエヴォラ美術館> 

  <公園の彫刻>

 ところで、写真で分かりますように、この公園のようなところには多くの見どころが集まって
います。
 左上の写真には、神殿と美術館(その後ろにカテドラル)、また、「神殿の近隣の風景」と名
付けた写真にはロイオス教会(人々が歩いている奥の白の建物)が写っています。

 さて、この公園での見学が終了しますと、ジラルド広場に戻りました。ここから今夜の宿泊ホ
テル「ポサーダ・ドス・ロイオス」に向かうのでしょうか?女性陣は、その間、おしゃべりを楽
しんでいるようでしたが・・・。

 時間調整したのか?確かにホテルに向かったのですが、なんと!その場所は、先ほどの公園に
隣接するところで、しかも、ポサーダというのは、国営ホテルだそうです。
 名前は先ほど申し上げたポサーダ・ドス・ロイオス(POUSADA DO LOIOS)ですが、人気のポサー
ダで15世紀建築のロイオス教会の一部である修道院を改築したものだ、というのですから2度
びっくりです。


 <POUSADA DOS LOIOSという表示>

 <パンと赤ワイン>

 <白身魚、ポテト、卵のニンニク炒め>

 <野菜サラダ>

 夕食の写真が少ない?そうなのです。まず、トマトスープがでてきました。(トマトジュース
が苦手なかみさんですが、小生の評価は「まぁまぁ」でした。
 次に「赤ワイン」ですが、これが、何と無料!でした。小生は、赤ワインを2杯、かみさんは
、白アインを1杯いただきましたが、もっと飲みたかったな!メインディッシュの白身魚ですが
、「まぁまぁ」でした。このほかに「ミルククリーム」と「コーヒーまたはエスプレッソ」がつ
いていました。
 時間と場所は、19時30分からホテル(ポサーダ)のレストランでした。










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  このページ(No.4)は、アレンテージ地方の中心都市エヴォラを掲載しています。