<Portugal>
 連泊で巡るポルトガルの美しい町
や村12日間の旅

 <2013.3.5(火)~3.16(木)・ユーラシア旅行社>

    ~3月12日(火)旅行8日目     曇り時々晴れ~ 






                                  No.15


  風光明媚な王家の避暑地シントラ

 シントラは、リスボンから西へ28kmの位置にありますが、どのようなところなのでしょうか?そこで、「ちょこっとガイド」の出番です。


 【シントラ(Sintra)ちょこっとガイド】

 シントラは、リスボンに隣接する都市で市街地には約2万7千人が居住している。8世紀から9世紀にムーア人が築いた城跡や、ポルトガル王室の夏の離宮など様々な年代の文化財が集積していることから観光地として有名である。イギリスの詩人バイロンが「この世のエデン」と称えた美しい景観は、世界遺産にも登録されている。
 また、ユーラシア大陸最西端のロカ岬への観光の拠点でもある。

 観光の起点となるのは、レプブリカ広場を中心としたシントラ・ヴィラと呼ばれる地域であるが、広場に面した「
王宮(Palacio Nacional de Sintra)」と山の上にある「ムーアの城跡(Castelo dos Mouros)」、その南側にある「ペーナ宮(Palacia Nacional da Pena)」の3つが観光ポイントになってる。



 ▼ 19世紀ロマン主義を象徴する建築ペーナ宮殿


 私たちは、昼食後、まず、ペーナ宮に向かい、14時25分頃宮殿の入口に到着しました。



  <ペーナ宮の入口>

   <ペーナ宮の看板>

 中へ入って中の光景を見逃すまい!と「キョロキョロ」しながら撮影いていましたら、宮殿まで15分おきに走っているというバスの看板がありました。「2ユーロが必要!そんなに遠いのか?敷地の大きさにビックリ!」などと考えていましたが、歩いて宮殿に向かうそうです。


  <豊かな緑に囲まれた宮殿>

   <同じく宮殿入口付近>

   <入口方向の景色> 

   <バスの看板>

 黄色い入口の建物が印象的だけれど、豊かな緑に囲まれた宮殿ですね。
 約10分歩きますと、パステル調の黄色や白、赤い壁が印象的な宮殿が見えてきました。


   <ペーナ宮殿> 

   <宮殿の右方向>

 この宮殿は、「ペナ宮」とか「ペーナ宮」などと表示されていますが、正式には、ペーナ国立宮殿(Palacio Nacional da Pena)というようです。でも、ローマ字的に読むと「ペナ」ですね。
 現在、国の文化財となっているペーナ宮殿は、1836年に女王マリア2世の王配(王の配偶者という意味でしょうか?)フェルナンド2世により建てられました。
 ドイツの白鳥城といわれるノイシュバンシュタイン城を建てたのは、ルートヴィッヒ2世ですが、フェルナンド2世は彼と「いとこ」だそうですから驚きですね。
 宮殿は、イスラム、ゴシック、ルネッサンス、マヌエルなどの寄せ集めで、イギリス式公園との組み合わせで「魅惑的な王子と王女が登場する本の世界のようになる。」とフェルナンド2世は考えたようです。
 門はチュニジアやモロッコにあるようなイスラム風デザイン、塔はゴシック様式、屋根はルネッサンス様式、装飾はマヌエル様式となっていて、その奇抜な形状と色使いに「これは一体何なのだ!」とビックリしてしまいました。

 その意味でも、シントラの最大の見どころは、このペーナ宮なのでしょうネ。

 やがて、宮殿の中に入る門のような建物が見えてきました。



  <手前の門> 

  <建物に入る門?>

 門が二カ所あるということでしょうか?それにしても、奇抜な建物で、その色使いとともにいつまでも記憶に残る宮殿です。この門を過ぎますと正面に黄色やピンクの建物が目の前に広がっていました。


   <鮮やかな色合いの建物群!>

  <眼下に広がるシントラの街>

 イヤー!すごい色合いですね。こうして、建物に近づいていきますと、左側の灰色の建物にはまたまた門があり、門の上には海の神(海獣?)トリトンという怖そうな彫刻が迎えてくれました。


   <2Fのトリトンの門>

   <トリトンの拡大図>

 トリトンは、怖いグロテスクな顔をしていますが、何かを物語っているいるのでしょうか?
 トリトンは、ギリシャ神話に登場する半人半魚の海の神です。
 ここのトリトンは、貝殻に乗って恐ろしい形相で木の枝をつかんでいますが、なぜ、この宮殿にトリトンが置かれているのか不明です。
 しかし、海の神トリトンは「世界の創造」を意味していることから、海洋国家ポルトガルにとって「海」の象徴である神を置きたかったのではないでしょうか?。

 さて、この宮殿でどんなものを見学したのか?ですが、添乗員さんのメモによれば、「海獣の彫刻→修道院→回廊→ダイニングルーム→ドン・カルロス1世のアトリエ→ベッドルーム→バスルーム→教会→秘書のベッドルーム→女性の待合室→女王のベッドルーム→着替え室→読書室→王家のダイニングルーム→女王のオフィス→アラブの部屋→緑の部屋→女王のテラス→ギャラリーの大広間→キッチン→高所恐怖症のテラス」となっています。

 このうち、「海獣の彫刻」とあるのは、先ほどご案内したトリトンのことでしょうか?
 でも、こんなにも見学したのでしょうか?とても覚えられるものではありません。
 だから、どんなところなのか判明したところを別にして写真に説明や案内がないところがあると思いますので、ご容赦ください!。



   <宮殿の回廊と中庭>

   <ダイニングルーム> 

  <ダイニングルームの調度品>

  <カルロス1世のアトリエ> 

 いやー!驚いてしまいました。「説明や案内がないところがあるので、ご容赦ください。」などと先に謝っていたのに、ここまでは全勝です。これからはそうはいかない?そうですね。次に行きましょう。


  <カルロス1世のベッドルーム> 

   <同じくバスルーム>

   <国王の家系図> 
 どういうことか?ここまで写真のコメントを全部することができました。
 しかも、添乗員さんのメモの通りの順番で紹介できています。

 ところで、カルロス1世という言葉が出てきますが、この方は、ペーナ宮殿を建築したフェルナンド2世の孫に当たる方だそうです。

 左写真の家系図は、2階に向かう階段あたりに貼ってありましたが、これを見ますと、フェルナンド2世(D.Fernandoⅱ)は、女王だったマリア2世(D.Mariaⅱ)の配偶者(お婿さん)だということがわかりますネ。(家系図の2段目)

 最初から家系図の文字を申し上げますと、一番上の男性がD.Prdroⅳ(1798-1834)という王で、その子供が女性のマリア2世(D.Mariaⅱ(1819-1853))とフェルナンド2世です。

 そして、その下の段に描かれているのが、3人の皇太子と王妃の4人で、左側のペドロ5世(D.PrdroⅤ(1817-1861))、中央のルイス1世(D.LuisⅠ(1838-1889))とその王妃マリア・ピア・デ・サボイア(D.Maria Pia de Saboia(1847-1911))、右側のアウグスト。デ。ブラガネア(D.Augusto de Braganea)となっています。
 次の段に描かれているのが、ルイス1世の子供であるカルロス1世(D.Cariosⅰ、1863-1908)とその王妃アメリア デ オルレアス(D.Amelia de Orleacs(1865-1951)です。
 最後の段がカルロス1世の子供であるルイス フェリペ デ ブラガネア(D.Luis Filipe de Braganea(1887-1908))とマヌエル2世(D.Manuelⅱ、1889-1931)です。

 さて、ここまで順調に進んできましたが、添乗員さんのメモ通りならば次の写真は「教会」のはずですが?・・・



  <明るく輝く教会のステンドグラス> 

  <彫刻が美しい教会の祭壇> 

 正解ですね。次は「秘書のベッドルーム」、「女性の待合室」と続くはずですが、・・・・。 ここから分からなくなってきました。


   <教会の後方でしょうか?> 

   <バスルーム> 

  <秘書のベッドルーム?>

   <女性の待合室?>

 いやー、困ったものです。バスルームは間違いないはずですが、どなた用のものでしょうか?
 また、右下の「女性の待合室」ですが、待合室にしては、豪華すぎるように感じます。



   <ティールームではない?> 

   <かわいらしい調度品>

 上の2枚の写真は、「女性の待合室」を撮影する前に撮ったものですが、ティールームのように茶器など豪華な調度品が置かれていました。

 ところで、説明が、間違っているかも知れませんので、写真下の言葉は、確かなものを除き止めておきたいところですネ。


  <女王のベッドルーム> 

  <着替え室?> 

 「女王のベッドルーム」は、もともとはフェルナンド2世のベッドルームだったのですが、後にアメリア女王のベッドルームになったそうです。アメリア女王は、家系図4段目のカルロス1世の奥さんです。
 右側の写真は、着替え室なのか分かりませんが、壁はポルトガルらしい色使いのアズレージョで飾られていました。
 次は、「読書室」、「王家のダイニングルーム」、「女王のオフィス」の順ですが、ピッタリの写真が見当たりません。



 <ダイニングルーム?>

 <ティールーム> 

  <同じくティールーム>

 3枚の写真は、添乗員さんが「王家のダイニングルーム」とメモしている部屋ですが、「ダイニング」というより「ティールーム」と言った方が相応しいような気がします。
 さて、次に「女王のオフィス」、「アラブの部屋」、「緑の部屋」となり、続いて「女王のテラス」、「ギャラリー」、「大広間」、「キッチン」、となり、最後に「高所恐怖症のテラス」です。
 しかし、しっかり撮影できたのは、これらのうちの一部だったのです。


  <女王のオフィス>

  <アラブの部屋>

   <ギャラリー>

   <同じく展示品>

 次に、宮殿からは、美しいシントラの街並みが見られましたが、どこのテラスだったのでしょうか?。


  <深い緑の谷> 

  <遠方にシントラの街>

 結局、「緑の部屋」、「大広間」などは、記録が残っていないということですネ。でも、これで十分だと自分に言い聞かせながら、この不思議な宮殿に別れを告げました。



  <摩訶不思議な宮殿> 

   <馬にまたがる人>

 次は、同じシントラにある宮殿ですが、正式には何と呼ぶのでしょうか?
 地球の歩き方では、「王宮(Palacio Nacional de Sintra)」となっています。
 ペーナ宮がPalacio Nacional de Penaですから日本語的には、「シントラ宮」と言った方が良いのかも知れませんネ。






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 このページ(No.15)は、シントラの観光などを掲載しています。