ルーマニア・ブルガリア大周遊17日間の旅行記
 <2012.10.16(火)~11.1(木) (株)ワールド航空サービス>

       ~旅行4日目・10月19日(金) 今日も快晴~




                                 No.6


 目が覚めますと、プロブディブの朝でした。
 昨日からお世話になっているホテルは、「トリモンティウム・ホテル・プリンセス」という舌をかみそうな名前のホテルで、場所は「中央広場」に面しています。
 でも、土地勘がないのですから、そうはいっても「チンプンカンプン」ですね。
 そこで、自分の勉強のために
プロブディブという街について簡単に説明したいと思います。

 
プロブディブは、ブルガリアのバルカン山脈とロトビ山脈に挟まれたトラキア平原のほぼ真ん中にある街で、人口38万人のブルガリア第二の都市です。
 ソフィアから南東へ約125キロメートルの位置にあり、商業の街として発展したそうです。
 
 この町の歴史は古く、紀元前から集落があり、その後、マケドニアの主要都市となったり、ローマ帝国支配時代には議事堂や競技場が建設され、それが今も街のあちこちに姿を残しています。
 さらに、第一次、第二次ブルガリア帝政時代を経て、14世紀のオスマン朝時代にもそれぞれの建築様式や装飾が街を彩ったといいます。


 という予備知識は、このくらいにして、話をホテルに戻します。
 朝、起きて窓から外を眺めましたら、高層のホテルだけあって、街を遠方まで見ることが出来ました。
 ホテルの前には大きな広場があり、道路の工事中?人が忙しそうに歩いている様子が目に飛び込んできて、このホテル付近は活気に満ちていました。

 このホテルは「近代的なホテル」という表現がぴったり合っていますが、外観だけではなく、部屋は前日のホテルより狭いながら、ベッドがセミダブルで、浴槽やシャワーなどの水回りも良好で快適に過ごせました。ただし、ブルガリア全体の水事情のためかトイレの水の出は悪かったと思います。また、廊下が広く部屋がどこにあるのか分かりやすくなっていました。
 鍵は近代的ホテルにふさわしい電子ロックでした。
 評価としては、
「大いに満足」といったところです。

 さぁ、次はお楽しみの
朝食です。

 ホテルの朝食はどこも同じ?
 そんなことはありません!
 場所はL階で、レストランの室内も明るく、今までで一番の美味い味(といっても二軒目)でした。
 また、この旅行で心配して野菜もトマト、キュウリ、パセリ、人参なども豊富で、さらに、ブルガリア名物のヨーグルトも豊富でした。

 さて、食事が終わりますと、ホテルを9時に出発してプロブディブの旧市街で①ローマの円形劇場②民族博物館などを見学します。その後、バラで有名なカザンラクで昼食、③トラキア人の墓などを見学して今夜の宿泊地ネセバルに向かいます。
 プロブディブの旧市街までは歩いても行ける距離でしたが、バスで近くまで向かいました。

 おっと、その前にホテルとその周辺の写真をご覧いただきましょう!
 ただし、ホテルの写真は適当な撮影場所がなかったものですから、朝一番に撮影したものではなく旧市街から撮影したものです。


 ホテル正面の広場
 
 トリモンティウム・ホテル・プリンセス

 左の写真は、トリモンティウム・ホテル・プリンセス(TRIMONTIUM HOTEL PRINCESS PLOVDIV)の404号室から朝8時くらいに撮影したものです。

 プロブディブ旧市街は、入り組んでいる上に足下がふらつくような「デコボコ」の石畳と起伏がある道があり、また、先ほど申し上げた時代を反映したような建築物が残っており、「次はどんなところが出てくるのか?」と心がウキウキする街でした。
 そんな抽象的なことをいっても分からない?

 旧市街を歩き始めますと、黄色に赤の縦横に線がはいった教会(鐘楼?)が目に飛び込んできました。
 「この教会は何というのだろうか?」と思い、帰国してからネットなどで調べたのですが、小生と同じで写真はあるのですが、分かりませんでした。仕方ないので、諦めかけたのですが、「Wikipediaに出ているプロブディブの「キリスト教聖堂とモスク」の中の一つに違いない!」と考えました。生憎、写真がありませんので、その場で確認が出来なかったのですが、正教の一つである「ネデリヤ聖堂」と判明しました。
 ちなみに、ルーマニア・ブルガリアの案内書、地球の歩き方には「聖コンスタンティン・エレナ教会」、「聖処女教会」、「聖マリーナ教会」が載っていただけでした。

  燦然と輝く聖ネデリヤ聖堂
 でも、もう少し勉強しないと行けませんね!
 だから、この後に出てくる聖コンスタンティン・エレナ教会や聖処女教会は、どれなのか分からなくなってしまうのですネ。
 聖ネデリヤ聖堂の歴史や中の様子?そんなこと分かりませんよ。(威張るな!)
 




   
 写真では分かりづらいのですが、デコボコとした石畳の道の両側には、大きな緑の木や、門のような壁があったり、静かなのにとても変化に富んでいる町並みでした。
 「面白い!」と感じた鮮やかな赤の建物や、遊んでいる子猫を撮影してみました。
 「古いが変化に富んでいて、静かな環境だな!」というのがこの街を歩いたときの第一印象でした。
 右上の写真は、
「ヒサル・カピヤ」という要塞門で、紀元前4世紀にマケドニアのフィリップ2世という人が旧市街を防衛するために建てたといいます。そして、その後もローマやオスマン調の時代にも修復されたいいますから、歴史を見つめてきた建築物なんですね。
 さて、小さな赤の建物は、
「ブルガリア民族復興博物館(ゲオルギアディ・ハウス)」です。場所は、ヒサル・カピヤの右手前にあります。1848年に富豪のトルコ人によって建てられた屋敷で、1876年のオスマン朝に対する4月蜂起の武器も展示されているので、まさに「歴史博物館」なのでしょう。 
 


 それよりも肝心なことを忘れていませんか?そうです。この旧市街で見学すべき場所がありました。
 一つ目が①ローマの円形劇場で、もう一つが②民族博物館です。
 見学の順番は、
②(地域)民族博物館が先になりました。この博物館は、イスタンブール出身のハジ・ギオルギという人が1847年に建てた屋敷で旧市街にある豪邸の中でも「ひときわ美しい」と評されています。
 ということは、「この地区には豪邸が沢山ある」ということですね。博物館以外の豪邸をもっと丹念に見てくれば良かったな!

 
     (地域)民族博物館の入口

     木造建築の傑作! 
  「入口にある彫刻」と思ったのですが、小生の勘違いで、ヒサル・カピヤの左側の壁にありました。   中庭の彫刻?何を表しているのかな?

 この博物館は、確かに外観は美しく、庭には右下の写真のように面白いオブジェ?などもあり、豪邸な雰囲気が満ちているのですが、中はブルガリアの農機具や民族衣装などを展示していて「ちょっとアンバランスだな!」という印象でした。
 それでも、建物の2階だったかな?の左奥の部屋にあった「バラの液体抽出機」は面白いもので、また、豪族の家とはどんなものなのか?など興味はつきないものでした。
 写真が見たい?残念ながら、撮影していないのでお見せできないのです。

  中をお見せできない代わりといっては変ですが、見学が終わってから外のトイレを借りたり、庭の植木を眺めたりしてこの豪邸に関する会話が弾みました。
 左の写真は、その話の中にも出てきた庭の植木ですが、赤い実(花)が印象的な植物です。名前?

 ここの見学が終わりますと、ホテルからも見えた①古代ローマの円形劇場に向かいました。
 その間、起伏のある石畳の道を散策しながら、古い町並みを楽しんだのです。
 まず、民族博物館から見えた
聖コンスタンティン・エレナ教会をご覧いただきましょう。

 
 民族博物館から見えた聖コンスタンティン・エレナ教会
 
 聖コンスタンティン・エレナ教会の入口
 
 教会の敷地内(その1)
 
 教会の敷地内(その2)

 それにしても、教会の外壁に描かれているという花や鳥などのフレスコ画を見ているはずで、教会の隣にはイコン・ギャラリーもある、というのですが・・


 教会を出たところの光景
 
 ボヤジエスハウス
 教会を出ますと、美しい光景が待っていました。プロブディブという町の素晴らしさがよく分かると思います。
 それよりも、古代ローマの円形劇場が見たい?
 まぁ、そう急がずに!「慌てる何とかはもらいが少ない!」といいますよ。 

 どこの建物の絵?

 ラマルティンの家

 などと訳の分からない冗句をいってますが、左下のフレスコ画のような写真など撮影した本人が記憶にないのに大変素晴らしいものが写っていました。「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる!」といいますが、やみくもに「ぱちぱち」と写真を撮るのも悪いことばかりではなさそうです。
 右上の美しい緑に囲まれている建物は、
「ボヤジエスハウス」という19世紀の屋敷で、かっては、医者の邸宅だったようですが、現在はブルガリアを代表する画家「スラトュ・ボヤジエフ」の作品を集めたギャラーになっているそうです。
 また、その下の赤い箱形の建物は、フランスの詩人「アルフォンス・ラマルティン」が1838年にここで3日間過ごしたことから名前がついた
「ラマルティンの家」だそうです。
 
 というような散策をしているうちに、赤い実?が印象的な家の近くに
①ローマの円形劇場が見えてきました。

   上の写真のような町を歩いて「ここは坂がきついな!と感じた下り勾配の石畳がありますが、ここの左手が円形劇場でした。
 左下の写真は、劇場の上部で、右下の写真が劇場の正面(舞台?)となっています。私達は、客席の上部から進入したことになります。
 階段が途中、急勾配になっていて慎重に降りたものですから「俺も歳だな!」と実感しました。

 ということで、劇場の舞台や裏側の写真もありますので、もう少しご覧いただきましょう。
 ところで、古代ローマの円形劇場跡は、その名の通り
「ローマ時代の半円形の劇場跡で、遠くにロビト山脈も見える抜群ロケケーション」と説明されていますが、小生は、「現在も野外劇が行われていて、近くに音楽アカデミーがあって、ときどきクラシック音楽が聞こえてくる。」という部分が気になりました。
 私達が訪問した時に音楽が聞こえた?小生には記憶がないのですが、添乗員のTさんのメモには「美しい歌声も聞こえてきました。」とあります。左の写真の赤い屋根の建物がもしかしたら音楽アカデミーでしょうか?

 
 劇場の舞台付近

 場所はどこ?
 
  ここが劇場の裏側?

 中央の写真はブルガリアのカラフルな陶器、右側は彫像ですが、撮影時刻から推察して劇場の裏側または近くにあったものだと思います。
 
 こうして、旧市街の見学を11時15分頃に終わって、昨日の夕食をいただいたレストランなどが並んでいるプロブディブのメインストリート(アレクサンダル・バテンベルグ通り)を歩いてホテル近くのバスまで戻ったのですが、その間に「壁画が美しい!」という
「聖処女教会(生神女聖堂?)」や、「ジュマヤ広場」と広場の中央地下にある「ローマ競技場跡」そして、イスラム朝時代の14世紀に建てられた「ジュマヤ・ジャーミヤ」などを見学しました。


  聖処女教会

 アレクサンダル・バテンベルグ通り

 ジャマヤ広場とジャーミヤ
  
 ローマ競技場跡
 

 聖処女教会やジャマヤ広場とローマ競技場跡、ジャーミヤなどの内容については、「地球の歩き方」の「ジャマヤ広場」のところに書いてあるので、興味のある方は読んでいただきたいと思いますが、「この広場には2000年の歴史が一堂に会しており、いかにもプロブディブらしい。」という文章が心に強く残りました。

 最後に、プロブディブは、6,000年に及ぶ歴史を有しており、街のあちこちから遺跡が発見されているのか?その現場のような写真を撮影することが出来ました。

 さて、次はカザンラクのPALASホテルのレストランで昼食です。 楽しみだな!   







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