ルーマニア・ブルガリア大周遊17日間の旅行記
 <2012.10.16(火)~11.1(木) (株)ワールド航空サービス>

       ~旅行5日目・10月20日(土) 晴れ~ 




                                 No.8


 今日はネセバルの旧市街観光です。「黒海に突き出た半島の港町で、長さ400メートルの細い道により陸地とつながれ、海に囲まれた天然の要塞。」と表現されています。これは.本当に楽しみですね。
 でも、その前に腹ごしらえや、ホテルの印象などをメモしたいものです。
 まず、ホテルのグレードですが、外観は前ページに掲載したように「アパート風」という感じです。
 スーツケースが置けるスペースがあるのかが気になる部屋の大きさですが、文句なしの大きさでした。
 また、浴槽、シャワー、トイレなどの水回りは、最高級という表現がオーバーではないと思いました。
 特に、日本の風呂のような深さの湯船がシャワーとは別にあり、ヨーロッパでは一緒が当たり前と思っていたものですから、軽い驚きでした。
 また、ベッドはセミダブル、部屋の向きは海側(黒海)ですから、文句なしです。(これで、昨夜の夕食が美味しければ、最高だったね。)

 さて、本日の予定は、9時30分にホテルを出発して①徒歩でネセバル旧市街の観光、その後、プロブディブではなくネセバルで昼食をいただいて次の宿泊地シューメンに向かいます。

 まず、朝食が7時30分になっていますが、
朝飯前(7時30分集合)にTさんの案内で海岸を散歩です。 こういう配慮をしてくださるTさんに厚く厚く感謝申し上げます!

 そうそう、たまには朝のスケジュールがどんなものなのか書いておきましょう。
 この日は、8時にモーニングコール、朝食が-1階のレストランで7時30分から、スーツケースの部屋(私達のルームナンバーは344号室)だしが8時45分まで、9時30分ロビー集合・出発となっています。<ネセバルのホテル(SOL MELIA BAY MARE)>
 これを毎日、Tさんは説明とメモに書いて私達に伝えるのですから、商売とは言え大変ですネ。

 
  ネセバルのホテルにて
 
   静かに波が打ち寄せる夜明け間近の「黒海」
    さて、次は朝食ですが、写真はあったのですが、コメントしていませんでした。
 かすかな記憶を辿りますと、夕食ほど不味くはなかったと思いますので、評価は「普通」にしておきます。

 さて、①ネセバル旧市街観光ですが、どんな素晴らしい光景が待っているのでしょうか!ホテルからはバスで旧市街の入口まで向かいました。
 ここで、ネセバルの旧市街の勉強をしておきます。

 ネセバルは、黒海に突きだした半島の港町です。
長さ400メートルの細い道で陸地とつながれ、海に囲まれた天然の要塞です。交易の拠点、また、戦略上重要な場所として争奪戦が繰り返されてきました。
 ネセバルの歴史は古く、紀元前2000年頃までさかのぼる。最初の居住者はトラキア人で、その頃はメナンブリアと呼ばれ、紀元前5世紀頃にギリシャ人が入植し、名前はメセンブリアに変わり、紀元前1世紀からローマ帝国に、5世紀前後には初期ビザンツ帝国に支配された。ネセバルという名前になっのは812年。第一次・・・・第2次ブルガリア帝国時代にネセバルは繁栄の絶頂期を迎え、イタリアのヴネツィアなどを相手に貿易を展開する。ブルガリア人をはじめとしてギリシャ人、ユダヤ人、イタリア人などが共存する国際色豊かな町であった。
 その後、1453年にオスマン朝に征服され、1878年の解放に到るまで支配が続く。ネセバルにさまざまな様式の教会が破壊されずに残ったのは、オスマン朝の政策がキリスト教に寛容だったからだ。町の創設以来の主産業であった海洋貿易は、国内鉄道が開通してヴァルナ、ブルガスに比重が移るにつれて下火となり、漁業と観光に変わっていく。
 1983年にはその歴史的建築物と町並みがユネスコの世界文化遺産に登録された。

 以上は「地球の歩き方」からの引用ですが、これを読んでおきますと、「なるほど!」と感じることがあります。
 その部分は、最初の「
黒海の突きだした半島の港町で、長さ400メートルの細い道で陸地とつながれ、」という文章です。

 

 半島に到着してまず右側の写真を駐車場から撮影したのですが、正面の塔のようながあるところに邪魔をされて「細い道で陸地とつながれ」という光景が写っていません。
 ネセバルの町について説明を受けた建物(考古学博物館)付近から撮影した左の写真は、その「つながれ」ている様子が小さいながらも写っていると思います。

 

 そして、カメラをこの城郭都市とでもいうべき門の方へ向けますと、左方向に城壁のような丸い大きな壁が、右方向には、この町が世界遺産であることを表示した看板がありました。(右写真)
 それよりも、考古学博物館での説明や17世紀のイコンの数々があるという展示物の内容が知りたい?覚えていないのですから聞かないでください!(先ほど、書いたようなネセバルの歴史だったのでしょうね。)

 さて、考古学博物館をでてからこの町を歩きはじめたのですが、この町を鳥が南の空から見学するように眺めますと、北東方向に細長く寝ている形、具体的には目算で東西に1キロメートル、南北に300メートルぐらいの四角い形の「島」のようになっています。

 


 歩きはじめた通りは、セメンブリア通り(ул. Месембpия)いう通りですが、ここには土産物屋、ホテル聖バントクラートル教会などがあり、島の中心地のような賑わいでした。
 私達は、この賑やかな通りに植えてある大きな木々を眺めながら、そして、首を上に向けて大きな声をだしながら歩いたものです。
 何を見ていたのか気になりますよネ。残念ながら写真がないのですが、「
ギャーギャー」と大きな声で鳴いている鳥がいたものですから、「一体何という鳥なのか?」というのが話題になっていたのです。
 小生などは、「モズ?」などとトンチンカンなことを言いましたが、ツアーメンバとのこうした会話は本当に楽しいものです。
 さて、ネセバルには数多くの聖堂があるといわれていますが、早々と「聖バントクラトール聖堂」が見えてきました。
 と思ったのですが、これは小生の勘違いでセメンブリア通りがYの字にに分かれるところで、右の狭い通り(MeHa通り?)に向かいました。そして、その先には通りの角に「
ステファン教会」があり、私達が最初に案内された教会でした。場所は、島の南西、地図でいえば、左下の方向です。

 この教会は、ご覧のように壁に囲まれていて、私達は茶色の門(別の正面の門)から中庭に入って見学しました。
 11世紀の建設で、その後、16~18世紀に何度か修復されて今日に到っているそうです。最も古い部分は、南東から見た丸い部分だといいますが、反対側でしょうか?
 堂内の司教座は、19世紀の傑作だと評されています。
 

 中庭からの写真が見たい?そうですね?正面の門のものもあるのですが、二つほどご覧いただきましょう。なお、建物の中には入らなかったので、見事なフレスコがあるという司教座は見ていません。右下の写真は、南東から見た最も古い部分だと思います。

 

 ステファン教会を後にしますと、数分で次の見学先、「全能者ハリストス聖堂(Nessbar Pantocrator 13~14世紀)」と「聖パラスケヴァ聖堂(Church of Sant Paraskeva Nesebar 13~14世紀)」です。
 この二つの教会の説明など無知な小生には出来ませんが、「煉瓦色・アーチ状の美しい造り!」ということだけは確かなようです。
 自分で撮影してきた教会の名前が分からないのはいかがなものか?と思い、名前だけですが、何とか調べてみました。

 
 全能者ハリストス聖堂

 聖パラスケヴァ聖堂

 それにしても変ですね!全能者ハリストス聖堂は、Nessbar Pantocrator と書いてあるのですから、いくら小生が横文字に弱いとはいっても、これをハリストスとは読めません。素直に読めば、「ネセバル パントクラートル」ですね。
 そこで、Wikipediaで調べたのですが、全能者ハリストスのことを「ギリシャ語からそのままパントクラトールと転写されることもある。」としていますので、「
パントクラトール教会」という言い方でも間違いではなく、「地球の歩き方」ではこの表示になっています。

 ちなみに、地球の歩き方では、この教会のことを次のように案内しています。
 「
聖パントクラートル教会は、卍型の彫刻や青陶のはめ込みなどのはめ込みが独特、第二次ブルガリア帝国の皇帝アレクサンダル治世下の14世紀に14世紀に建設された教会だ。当時の教会として国内で最も保存状態がよいといわれている。内部はギャラリーとして使用されており・・・」

 この二つの教会を後にして地元の服装店などがある狭い通りを過ぎますと、ネセバルで最も古い教会「
聖ソフィア教会(スタラタ・ミトロポリャ)」が見えてきます。場所は、ミトロポリスカ通り(ул.Митрополийска)の突き当たりのようなところで、島の中央付近といったらよいのでしょうか。

 

 左上の写真は、服装やペンダントなどの店が並ぶ聖ソフィア教会付近をツアーメンバーが歩いているの様子で、これらの店は、2階の部分が1階より大きい茶黒色が特徴の民族復興様式といわれる木造建築なのかも知れません。

   聖ソフィア教会は、5~6世紀のビザンツ帝国時代に建設されたといいますから、傷みが激しくご覧のように外壁だけの廃墟となっています。
 でも、写真では分かりませんが、辺りの家々(土産物屋など)がある所より数段低くなっていて、写真の人物のように教会をそばで見るには敷地まで階段を下りる必要があります。
 

 さて、次は歩いて5分くらいの距離で島の右上(北東)にある「聖母エレウサ教会」に向かいます。 聖エレウサ教会は、海のハジリカとも呼ばれる教会跡で、もとは5~6世紀に建てられた教会であるが、海賊の襲撃や地震の影響で荒れ果てた姿となってしまったそうです。
 などという講釈は、受け売りですが、実際にいってみますと、海(黒海)の眺めが良い崖の上にあり、「
教会の跡」という言葉がぴったりの朽ち果てたものでした。
 左下の写真は、海に突き当たる道路に行くところで、その道路を右に曲がって行きますと、左側に大きな丸い石積みの塔?などとともに教会が見えてきました。
 ところで、教会への入口がレストランの敷地になっていて、メニューの看板や文字が大きく描かれていたのには「びっくり!」でした。

 
 黒海が見える通り
 
 聖母エレウサ教会

 この聖母エレウサ教会を見た後は昼食時間(12時)までの約1時間が自由行動となりました。
 昼食会場は、事前にワールド航空サービスからいただいたメニューでは、すでに訪問したプロブディフの「SEVINAにて」となっていますが、これは、会社の間違いのようで、ネセバルの「ZORNITZa」というレストランです。
 近くには公園のようなスペースがあり、ここに集合しましたが、この場所は、メセンブリア通りの突き当たり付近だったのでしょうか?
 その自由時間と昼食の状況は、次のページをご覧ください。



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