ルーマニア・ブルガリア大周遊17日間の旅行記
 <2012.10.16(火)~11.1(木) (株)ワールド航空サービス>

       ~旅行7日目・10月22日(月)  曇り~  



                                    No.12


 今日は、旅行7日目で、ブルガリア旅行では是非訪問したかったヴェリコ・タルノボ観光です。
 昨日、夜のヴェリコ・タルノボを楽しめなかったのですが、ホテルの部屋から見えるヤントラ川の蛇行した光景が本当に美しく心に残る風景でしたので、これから出かける市内観光が楽しみです。
 また、このホテルに2泊しますので「じっくり」とこの町を味わいたいものです。

 などといってますが、まず、「
ヴェリコ・タルノボの朝」とでもいうべきホテルの様子を記事にしたいと思います。
 ホテルの名前は、「メリディアン ホテル・ポリヤルスキー」で、5つ星のホテルですが、前ページで申し上げたように「ドカーン」というような巨大なホテルではないようです。
 5つ星にしては、入口が狭くて、注意していないとホテルの場所が分からなくなりそうです。
 そのためか、ホテルの写真がありませんので、部屋の写真を掲載します。

 

 右の写真ように部屋は十分な面積があり、「文句なし!」といいたいところですが、評価のメモが残っていないのです。
 部屋の窓から、左の写真(前日の夕方に撮影)のようにヤントラ川が水をたたえて大きく蛇行している様子が写っています。
 しかも、この部屋は、マイナス階なのに下に渓谷が見えるのですから
ヴェリコ・タルノボの旧市街がどのような地形をしているのか想像できると思います。
 
  次に、朝食ですが、ホテルの-1階でいただきました。
 でも、その前に時間に余裕(朝食7時、ヴェリコ・タルノ市内観光への出発時刻9時30分)がありましたので、
朝食前に散歩をすることになりました。
 左上の写真の右方向に大きな
モニュメント美術館が小さく見えていますが、ここを目指した散歩です。
 昨日の夜も含めて、私達が飽きないように配慮してくださるTさんに厚く感謝申し上げます。


 <ヴェリコ・タルノボ美術館>

 <アッセン王のモニュメント>

 上の写真は、蛇行するヤントラ川の中州にある「ヴェリコ・タルノボ美術館」その反対側にある「アッセン王のモニュメント」ですが、朝のすがすがしい空気をいただきながら、ホテルからステファン・スタンボロフ通り?を左方向に歩いて、これらを見学しました。
 美術館には、現代画家たちが描いたブルガリアの歴史を描いた作品などが展示されているはずですが、見学はできませんでした。
 そして、帰りには美術館に行くために架かっている橋から面白い写真が撮れました。


 <飛行機の模型?>

 <ホテルへの帰り道にて>

 川の上から糸状のもので吊されている白い物体は、飛行機のようですが、「トンボ」のようにも見えます。ブルガリアの人々も面白いことを考えるものですね。
 ところで、私達が宿泊しているホテルは、飛行機の横に見える左側ビルの階段の奥にあると読んだのですが、位置がはっきりしません。
 ホテルは、右の写真に写っている大きな通りに面しています。この時の時刻が、ほぼ8時ちょうどくらいで、朝食を8時15分にはいただきました。

 その朝食ですが、野菜は十分ではありませんが、パン、ハム、ソーセージ、コーヒーなどが揃っていてブルガリアの味に慣れてきたのか?「美味しいな!」と感じました。(段々、評価が甘くなる?)
 「ハムとソーセージばかり食べている。お前の好みがわかった!」という声が聞こえそうですが、炭水化物が少ない料理で太らずに帰国できました。
 
 


 さて、食事が済みますと、ワールド航空サービス社の日程表の表現では、「徒歩でブルガリア第2帝国の都であった古都ヴェリコ・タルノボの観光」に出かけるのですが、具体的には、「ツァラベツの丘からの眺めを楽しんだ後、旧市街の職人通りの散策などを楽しみます。」となっています。

 そこで、ここでヴェリコ・タルノボの勉強をしたいと思いす。(地球の歩き方から)

 
 ヴェリコ・タルノボは、バルカン山脈の東部にある人口約7万人の地方都市で、ブルガリア人にも人気の観光地です。森に包まれたいくつもの丘と、周囲を蛇行するヤントラ川の切り立った崖の独特の美しさは、中央ヨーロッパでも際立つ美しさです。
 どこを歩いても違う表情を見せてくれ、地図を見ているだけでは想像もできないほど立体的で、自然と中世の町並みが鮮やかに溶け合っています。

 と表現していますが、小生がこのページの最初に載せた写真を見れば、この説明が「なるほど!」と頷けるのではないでしょうか。
 さらに、この町の歴史は、波乱に満ちていたようで、次のように表現しています。

 かっては「タルノヴォ」と呼ばれ、1187~1393年に第二次ブルガリア帝国の首都として栄えた。イヴァン・アッセン王治下の最盛期にはビザンツ帝国(東ローマ帝国)をも圧倒し、バルカン半島のほぼ全域を支配したこともあった。文化的にもこの時代は周囲を押さえ、タルノヴォで勉学を修めるためにルーマニアや遠くモスクワからも留学生がやってきた。
 しかし、その帝国もアッセン王死後に衰退を始め、やがて宿敵ビザンツ帝国に屈服、1398年にはオスマン朝との3か月にわたる首都攻防戦の後、ついに滅亡する。タルノヴォが再び脚光を浴びるのは、500年にわたるトルコ支配からの独立を達成した1879年から。新生ブルガリア王国の最初の国会がこの町で開かれたのだ。
 どのような歴史を経ようとも、タルノヴォの美しさは現在も変わらない。石畳の坂道を歩きながら、町が刻んできた歴史の一つ一つを、味わって欲しい。


 栄枯盛衰は、世の常なのでしょうが、ヨーロッパは陸がつながっていますので、タルノヴォばかりではないと思いますが、「戦争と支配」という歴史が繰り返されてきたのですネ。
 それにしても、「地球の歩き方」のどのような歴史を経ようとも、タルノヴォの美しさは現在も変わらない。石畳の坂道を歩きながら町が刻んできた歴史の一つ一つを、味わって欲しい。」という最後の記述は、心に響く洒落た文章ですね。

 さて、そのヴェリコ・タルノボの見どころですが、この美しい町を眺めるのに最適な場所が
「ツァラベツの丘」ですので、ホテルから歩いてこの丘に案内していただきました。

   朝の空気を一杯に吸いながらの散策は、本当に気分が良いものです。
 このツァラベツの丘からは、緑と赤い屋根が調和する ヴェリコ・タルノボの美しい景色が一望できるのですから素晴らしいですね!


   
<左写真:入口付近にて>

 ヴェリコ・タルノボの見どころとしては、この丘以外に「サモヴォドスカルタ・チャルシャ(職人通り)」「聖ニコラ教会」「聖キリル・メトディー教会」「民族復興期博物館」「近現代史博物館」「考古学博物館」「40人教会」「聖ペトロ・聖パウロ教会」ツァラベツの丘の対岸にある「トラベジッツァの丘」などがありますが、職人通り以外は、残念ながら訪問する時間がありませんでした。

 でも、この丘からの眺めが最高で、十分、ヴェリコ・タルノボの美しさを堪能したのですから大満足です。それに、丘の近くには「40人教会」があるはずです。
 さぁ、
ツァラベツの丘の散策にまいりましょう!

 

 ご覧のように、この町は、いくつかの丘に囲まれたヤントラ川沿いの町、という感じですが、緑と赤い屋根が見事なコントラストをなしていて、本当に美しいものです!
 この丘に到着した時刻が9時40分頃で、次の訪問地の「アルバナシ」に向かうためここを「さよなら!」したのが11時10分頃でしたから、約1時間30分の散策でした。
 高台の丘からは、町の景色が見えるのですが、丘にはその象徴のような
「大主教区教会」という教会がありました。
 「地球の歩き方」では、「内装の壁画はブルガリア現代画家の巨匠の手によるものだが、硬直した筆遣いで、社会主義があらゆるところに影響力を持っていることがわかる。」としていますが、小生が見た感じは、「黒い絵で抽象的」というものでした。


 
ワールド航空サービス社さんが、この丘を観光コースに選んだ理由は定かではありませんが、「第二次ブルガリア帝国時代にはこの丘全体が宮殿だったのが、オスマン朝の猛攻によってすべて瓦礫の山と化してしまった。」といいますから、眺めの良さとともに「歴史の足跡を偲んでみなさい」ということでしょうか?


 <丘の象徴のような門>
   <地元の子供たち>
 左写真の門と右写真の子供たちがいる大きな壁は、ブルガリア帝国時代の宮殿の残骸でしょうか?
 小生の想像は、近代になって観光のために整備したものだと思うのですが・・・
 ところで、ブルガリアの子供たちは、大きな声をだしながら手を振っていました。
 私達が外国人(日本人)だとわかっているようです。 
 また、遠足?を大いに楽しんでいるようで、私達も思わず笑みがこぼれてしまいました。

  <大主教区教会>

 この大主教区教会の見学が10時分10分ごろでしたが、ここから「ツァラベツの丘」にある紅葉や「強者どもが夢の後」のような石積みの残骸?などを見学しました。
 この見学が本当に楽しく、「ここに来て良かったな!」としみじみと感じたものです。


<ヴェリコ・タルノボ市街地を望む> 

 <珍しい赤の黄葉>

 <赤の黄葉に近づくと> 

 <この中に40人教会が!>

 いかがですか?写真でもこれだけ美しいのですから、その良さがわかりますよね。
 なお、
「40人教会」は川の横にある赤い建物でしょうか?


 まだ何かが足りない?
 そうです!「強者どもが夢の後」の証拠ですが、「お城がここにあった!」ことを示すような看板がありました。
 右の大きな写真には「The Palace ensemble」と、小さな写真には「The Patriarchate ensemble」と書いてありました。(「宮殿」「総大司教」の全体図という意味でしょうか?)
 総大司教というのは、先ほどご覧いただいた「
大主教区教会」のことですね!

 こうして、私達は、ここを11時10分ぐらいに「さようなら」して、次の訪問地「アルバナシ村」に向かいました。
 

 またまた昼食の話だろう?ばれているのですね。アルバナシ村のレストランSEVASTOKRATORでの様子は、次のページをご覧いただきましょう。

 食べ物の話に夢中になって肝心な予定を忘れている?大丈夫です。
職人通りの散策は、アルバナシ村から帰ってからのことです。






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