ところで、私達は、出発前に重要なことを見落としていたのである。
 何を見落としていたのか?
 実は、これらの遺跡群を見学するには、私たちの顔写真が必要であると説明され、バスの中で添乗員に催促されたからである。
 JTBさんから送られた日程表などが入っているパンフを見ますと、「なるほど!」書いてありました。
 写真は、遺跡群を見るためのパスポートか、顔写真付きのチケットみたいなもので、遺跡ごとに現地の係りが確認するのである。
 さぁー、「これは事件である」と思われるでしょうが、本物のパスポートが紛失した場合に備えて写真を持っていましたので、ことなきを得ました。
 それにしても、写真を持っていなかったら遺跡群を見ずに日本へ帰ることになった?と考えますとゾットしますね。
 というわけで、海外旅行には、パスポートの写しや顔写真の予備は必携です!

 ところで、岩石でできた遺跡群は、何を物語っているのであろうか?
 添乗員の話から推測すると、どの遺跡もヒンドゥー教に関係するものらしい。
 ヨーロッパの王宮みたいなイメージを持っていた小生としては、このような古代遺跡の話を聞くのは、最も苦手な分野である。
 遺跡群は、建設当時の色が落ちたのか灰色や赤、茶といった色で、その面積もアンコール・ワットを除けば広大という感じがしなかったのである。
 タ・ブロームやアンコール・トムは、森林などの自然環境の中に突然現れる規模の大きい岩石の山のように見えるのである。
 また、一定の囲まれた敷地にあるので、イメージとしては、日本のお寺という感じがしたものである。
 もちろん、学術的には、素晴らしいものであると思うが、小生のような薄学(博学ではありません。)の人間には、皆、同じに見えてしまうという真に情けない話である。

 ということで、帰国してからアンコール遺跡群の勉強をチョッピリいたしました。
 アンコール遺跡群は、いずれも西暦7百年から8百年くらいにかけてクメール王朝により建設された寺院であり、お城ではないようです。
 しかし、大きな疑問は、何のためにこのような大きな建築物を造ったのか?ということである。
 ヒンドゥー教のことを何も知らない小生であるが、この建築物と人々の生活がどうかかわっていたかなど、その時代背景を知りたいと思ったのである。
 東南アジアの国々の多くは、現在、軍政を布いており、カンボジアも例外ではないと思うが、元々は、王政だったのではないか?(第1期アンコール王朝は、899年に成立)
 小生の推測は、当時のクメール人の王様がヒンドゥー教を礼拝するため建設したのがアンコール遺跡群ではないか?とするものである。
 それでは、何のためにヒンドゥー教を礼拝したのであろうか?
 この当時は、世界中がそうであったように国盗り物語のような戦争が続いており、アンコール王朝も、インドシナ半島のほとんどとマレー半島の一部を領有して時代もあったようである。
 ヒンドゥー教は、インドから伝わったものであると思うが、王様が宗教を利用して人民を統治するために遺跡群を建設したのか?それとも、外敵から守るための要塞として建設し、ヒンドゥー教は、王の権威付け(王=神という考え方)のために信仰したのか、という想像ぐらいしかできない。

 ということで、分からないままで恐縮ですが、ここでは、私達が訪ねた主な遺跡を紹介します。


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