トルコ一周とカッパドキアの旅 <2010.10.18(月)~10.30(土)・ワールド航空サービス社> ~旅行7日目・10月24日(日) 晴れ~ |
▲ 水道管 などとスタートから通路(クレテス通り)の両側に広がる列柱などに見とれて、古代ロマンに浸っていたら右側に半円形のオディオンが見えてきました。 でも、それらの遺跡に心を奪われていますと、面白い光景を見逃すところでした。 それは足元に広がっていました。 おそらく水道管ではないでしょうか? 2000年前にこのような近代的なものがあったのですから驚きです。 |
<オディオン> |
<オディオンの観覧席> |
<3本の列柱> |
<オデオン手前の2本の列柱> |
<市公会堂の柱> |
<後ろの3本の柱> |
<ドミティアヌス神殿> |
mugio この神殿は、ローマ帝国のドミティアヌス(在位81~96年)に捧げられたものだけれど、彼は、独裁傾向が強く、末期は猜疑心が強くなって、有力者を処刑しキリスト教徒を迫害したので、元老院により、彼の業績は否定され、記録も抹殺されたそうだ。 二本の柱の間には、彼の像があったとされているらしいよ。 |
<右側にメミウスの記念碑が!> |
<ヘルメスのレリーフ> |
<ニケのレリーフ> |
<メミウスの記念碑> |
mugio メミウスの記念碑にも歴史があって、紀元前86年にローマの重税に反対して市民が暴動を起こし、ローマ人を虐殺されたが、その後、スラという皇帝が鎮圧したそうだ。 そして、帝が犠牲になった(ローマ兵や市民?)霊を慰めるために建てたのが「メミウスの記念碑」だという話だよ。 mugiko 記念碑には、スラ、息子のガイウス、孫のメミウスのレリーフがあるという話を聞いたけれど、右の写真のどれがその人物に当てはまるのかしら? mugio 2人しか写っていないが、腹の部分が崩落しているレリーフが息子のガイウスかな? mugiko さあ、知らないのだから聞かないで! |
<メミウスの記念碑> |
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