トルコ一周とカッパドキアの旅
 <2010.10.18(月)~10.30(土)・ワールド航空サービス社>


    ~旅行8日目・10月25日(月)  晴れ~  





                                  No.27


 ▲ 
トロイ遺跡

<Mugiko>
 トロイ遺跡は、日本では誰もが知っている有名な遺跡だけれど、あなたの第一印象は?
<Mugio>
 それがね?入場口の手前にある大きな「トロイの木馬」が目に焼き付いて「これは面白そう!」と期待したのだけれど・・・
<Mugiko>
 乞うご期待!ではなく、残念!という意味?


  <トロイ遺跡の木馬>

  <遺跡の入口付近> 

<Mugio>
 この目に焼き付いた、というのがよくなかったね。
 なぜ、ここに木馬が置いてあるのか?というと、「トロイ戦争のエピソードに因んで建てられた」というけれど、僕には、「ここが世界遺産のトロイ遺跡ですよ。」と観光客にアピールするためじゃないかと思うんだよ。
<Mugiko>
 あら、まあ!随分と悪口を並べたわね。
 ところで、「トロイ戦争」というのは、どういう戦いなの?

<Mugio>
 それが調べてみると、聞いたこともないような話なのさ。
 ウキペディアによれば、「トロイア戦争は、小アジアのトロイアに対て、ミュケーナイ(ミケナイ)を中心とするアカイア人の遠征軍が行ったギリシャ神話上の戦争」と説明している。

<Mugiko>
 よく分からない言葉を翻訳すると、「トロイア」は「トロイ」のことで、「ミューケナイ」とは、「ギリシャのペロポネス地方」、「アカイア人」とは、「ギリシャ人」のことのようね。
<Mugio>
 トロイの戦争は、BC8世紀ごろの人で、古代ギリシャの叙事詩「イーリアス」、「オデュッセイア」の作者とされている「ホメロス」によって描かれているそうだ。
 この戦争を描いた叙事詩には、このほかに「キュプリア」、「アイテオピス」、「イーリオスの陥落」などからなる一大叙事詩環があるということだ。

<Mugiko>
 そして、この戦いの起因は、「キュプリア」に次のように描かれているそうね。
 大神ゼウスは、増えすぎた人口を調整するためにテミス(秩序の女神)と試案を重ね、遂に大戦を起こして人類の大半を死に至らしめる決意を固めた。
 オリンポスでは、人間のフティア王ペレウスと海の神テティスの結婚式があったが、この結婚式にはすべての神々が招かれたにもかかわらず、争いの神エリスだけは招かれなかった。 
 怒ったエリスは、「不死の庭園の黄金のリンゴを最も美しい女神に捧げる。」と叫んで神々の座へ投げ入れた。
 金のリンゴの所有をめぐってゼウスの妻ヘラ、ゼウスの娘アテナ、美の女神アプロディーテの三女神に激しい対立が起こり、ゼウスは、このリンゴが誰にふさわしいのか、トロイの王プリアモスの息子パリス王子に判定を委ねた。

<Mugio>
 さあ!それからどうなった?!
<Mugiko>
 三女神はそれぞれ最も美しい装いを凝らしてパリスの前に立ったが、なおかつ、ヘラは、世界を支配する力を、アテナは、いかなる戦争にも勝利する力を、アプロディーテは、世界一の美女を、それぞれ与える約束をした。アプロディーテが約束した美女とは、スパルタ(ギリシャのペロポリス半島南部スパルティにあった古代ギリシャ時代の都市国家)王メネラーオスの王妃ヘレネだった。
<Mugio>
 それで、パリスはどの提案を選んだのかな?
<Mugiko>
 パリスは、その若さによって富と権力を措いて愛を選び、アプロディーテの誘いによってヘレネを奪い去った。パリスの妹でトロイアの王女カッサンドラのみは、この事件が国を滅ぼすことになると予言したが、アポロンの呪いによって聞き入れられなかった。
<Mugio>
 なるほどネ!これが実話なのか神話なのか知らないが、面白い話だね。
 それにしても、人の奥さんを奪い去る、というのはまずいよね。
 これは、戦争になるよ。

<Mugiko>
 話が長くなって疲れてきたので、トロイ遺跡の入場口やその周辺の光景を掲載して一休みしましょうか。


  <右方向に入口と展示場> 

  <トロイ遺跡の展示場> 

  <展示場の左にあった植物>

  <同じく左方向の通路>

<Mugio>
 ところで、トロイ遺跡の説明がある展示場には、遺跡の発掘者であるドイツのハインリッヒ・シュリーマンという人の写真と説明文がありました。
<Mugiko>
 とはいっても、文字が読めないので、現地ガイドのフセインさんの説明を聞いたのですが…
 このシュリーマンの話の聞くと、この遺跡がいかに貴重な文化遺産なのかが分かるようになるのかも知れません。

<Mugio>
 ハインリッヒ・シュリーマンは、ドイツ北部の町で牧師の子として生まれます。幼いころに父からホメロスの物語を聞かされ、トロイの実在を確信していました。
 彼には商才があって貿易商を営み、莫大な富を蓄えました。目的はトロイ発見のためだったといいます。



  <ハインリッヒ・シュリーマン> 

  <プリアモス王の妻ソフィア>

<Mugiko>
 仕事をやめてから古代ギリシャの研究を続け、ヒサルクの丘に目星をつけると、49歳の1871年から発掘を開始しました。
 73年ついにⅡ市の層で黄金の首飾り、壺や杯などの多数の財宝を掘り当て、丘がトロイであることを証明、衝撃を与えました。シュリーマンは、これをプリアモス王の財宝としました。
 しかし、今ではⅥ市またはⅦ市が物語の舞台と考えられています。

<Mugio>
 などと二人で知ったかぶりして説明していますが、これは、全部、ウキペディアや「わがまま歩き」という旅行雑誌を読んで要約したものです。
 でも、これらの文章を読んでも理解できないところが沢山あります。

<Mugiko>
 例えば、「Ⅱ市の層」とか「Ⅵ市」、「Ⅶ市」とは何でしょうか?
 そして、「プリモス王の妻ソフィア」の写真のようなものが展示されていますが、シュリーマンは、彼女が身に着けている財宝が「Ⅱ市」の層から財宝が出土したものだと勘違いしていて、本当はⅥ市またはⅦ市の層から出てきたものだ、ということでしょうか?

<Mugio>
 「よく分からない!」ということが良く分かったね。
 「何とか市の層」というのは、「長い期間に町が重なって卵型にできあがったヒサルルクの丘の遺構は、時代ごとに9つの市に分けられている。」という説明があるので、トロイ遺跡には、長い歴史のを示す遺構が9つの層に重なっている、ということのようだね。

<Mugiko>
 参考に、9つに分類されている「市」を掲載しておきたいわね。

Ⅰ(1)市 B.C 3000年ごろ~  初期青銅器時代、石壁と長屋のような小集落が残る。
Ⅱ(2)市 B.C2800年ごろ~  最初の繁栄期。城門、傾斜路などをもつ城塞都市。シュリーマンが財宝を発見したのはこの層。
Ⅲ(3)~Ⅳ(4)市 B.C2200年ころ~  詳細不明。停滞またはゆるやかな発展。異民族侵入?
Ⅴ(5) B.C1800年ごろ~   繁栄期。塔をもつ城壁。宮殿らしい複数のメガロンのある城塞都市。ミケナイとの交流を示す陶器など。 
Ⅵ(6)市a B.C1280年ごろ~  1200年頃、火災と都市壊滅。トロイ戦争はこの時期か。
Ⅶ(7)市b B.C1200年ごろ~   都市は引き継がれるが衰退。廃墟が放置された。
Ⅷ(8)市 B.C700年ごろ~   ギリシャ人入植者による城塞都市再建。大きな神殿などが建設され、町はイリオンと呼ばれた。ホメロスはこのころの人。アレクサンドロスも訪れた。
Ⅸ(9)市 B.C85年   ローマの攻撃による炎上。ローマによる再建で、劇場、浴場などが造られた。5世紀末の地震により放棄。

<Mugio>
 ということで、この遺跡を見学するのに必要な予備知識は頭に入ったと思うけれども、トロイ戦争の続き、奥さんを奪い去った後の話が面白そうだね。
<Mugiko>
 奥さんを奪い去られたスパルタ王メネラーオスは、兄でミューケナイ王であるアガメムノーンに事件を告げ、かつ、オデュッセウスとともにトロイアに赴いてヘレネの引き渡しを求めた。しかし、パリスはこれを断固拒否したため、アガメムノーン、メネラーオス、オデュッセウスは、ヘレネ奪還とトロイア懲罰の遠征軍を組織した、ということよ。
 そして、神々も両派に分かれ、ヘラ、アテナ、ポセイドンがギリシャ側、アポロン、アルテミス、アプロディーテがトロイア側に味方した、というのだから、いかにも神話だなという感じがするわね。

<Mugio>
 何だかよく分からない人物や神が登場してくるので、困ってしまうけれど、分かりやすく言えば、これで、ギリシャとトルコが戦争になったということだね。
<Mugiko>
 そういうことね。
 アガメムノーンを総大将とするアカイア軍(ギリシャ)は、総勢10万、1168席の大艦隊であった。遠征軍は、トロイア近郊の浜に上陸し、アキレウスの活躍もあって、待ち構えたトロイア軍を撃退すると浜に陣を引いた。
 トロイア軍は、強固な城壁を持つ市街に籠城し、両軍は海と街の中間に流れるスカマンドロス河を挟んで対峙した。
 「イーリアス」の物語は、双方に犠牲を出しながら、9年が過ぎ、戦争が10年目に差し掛かった頃に始まる。

<Mugio>
 ホメロスが書いた「イーリアス」には戦争が10年目に差し掛かったところを書いている、という意味だと思うけれど、ここで起こったことが「トロイア(トロイ)の木馬」として有名なんだよね。
<Mugiko>
 この戦争末期の状況については、「イーリアス」のほか「アイティオピス」や「アイアース」に語られている。
 トロイアの勇将ヘクトールとアカイアの英雄アキレウスの没後、戦争は膠着状態に陥った。
 しかし、アカイアの知将オデュッセウスは、
巨大な木馬を造り、その内部に兵を潜ませるという作戦を考案し、これを実行した。
 この「トロイアの木馬」の計は、アポロンの神官ラオコオーンと王女カッサンドラに見抜かれていたが、ラオコオーンは海蛇に絞殺され、カッサンドラの予言は、誰も信じることができない定めになっていたので、
トロイアのこの策略にかかり、一夜で陥落した。
 という物語(叙事詩)みたいね。
<Mugio>
 長々と二人で説明したけれど、トロイ遺跡見学で最初に見えた大きな茶色の木馬は、その象徴ということか!
<Mugiko>
 これから、遺跡を見学するけれども、9つの時代区分にそって説明するなんて、とても「無理!」だから分かる範囲で努力しましょう!


  <城壁の塔付近> 
<Mugio>
 左の写真は、見学路の最初に見えてきた光景だから、Ⅵ市時代(B.C1280年ごろ~)の「城壁の塔」付近だね。 
<Mugiko>

 でも、この写真よりも私が撮影したものの方が東側の「塔跡と城壁」がはっきり写っているわ!
 <Mugio>
 そうか!右側の通路を皆さんが歩いているところの左の光景が「Ⅵ市時代の塔跡と城壁」だということか!
<Mugiko>
 「わがまま歩き」に書いてあるトロイ遺跡の略図を見ると、このⅥ市時代の城壁や城門が遺跡全体をぐるりと囲んでいるように見えるわ。

  <東側の塔跡と城壁>





           ▲ トロイ遺跡2
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