トルコ一周とカッパドキアの旅
 <2010.10.18(月)~10.30(土)・ワールド航空サービス社>


    ~旅行10日目・10月27日(水)  曇りのち雨~ 






                                  No.34


 
 イスタンブールの新市街(ドルマバフチェ宮殿)

   
《 その前にエジプシャンバザール前の広場から 》

<Mugiko>

  こうして旧市街のエジプシャンバザールで昼食が終わりましたので、再びバザールを覗いたり、バザール前の広場から見える街並みの様子を楽しみました。
<Mugio>
 説明を聞いても、なんだかよく分からなかったな!!!


  <エジプシャンバザール>

  <何を売っているの?>

<Mugiko>
 よく分からないのは、何を売っているのか?ではなくて、広場での話でしょう。


  <名物?のパン> 
<Mugio>
 それがね!?見えた景色の話ではなく、またまた食べ物の話になりそうで困ったもんだね。
<Mugiko>
 よく分からないのは、建物などのことかと思ったけれど、このパンは「シミット」といってゴマ付きのドーナツ型のパンだそうよ。

 <Mugio>
 この建物は、旧市街と新市街を結ぶガラタ橋の方向に建っていたイェニ・ジャミイ(1663年建造)です。
 別名「鳩のモスク」ともいわれていますが、建物の周りに鳩が群がっている?

<Mugiko>
 でも、内装は、赤のモザイクタイルの装飾で、ブルーモスクに比肩しうる素晴らしいものだ、という話を伺いました。

  <イェニ・ジャミイ> 

<Mugio>
 この建物は、エジプシャンバザールの隣にある、という感じですが、近くには、これ以外に二つのジャミイがあり、また、新市街のガラタ塔が遠方に見えていました。
<Mugiko>
 だから、こっちを見たりあっちを見たり忙しかったのね。
 ただ「首をくるりと回していただけ!」と思っていたのに、何があるのか?良く分かったわね!



 <遠方に小さく見えるガラタ塔> 

  <これは何の彫刻?>

<Mugio>
 実は、そうなんだけれど、深く詮索しないでよ。


 <リュステム・パシャ・ジャミイ> 

  <イェニ・ジャミイの正面> 

<Mugiko>
 二つのジャミイというのは、上の写真の「リュステム・パジャ・ジャミイ」と「スレイマニエ・ジャミイ」のことね。
 スレイマニエ・ジャミイ(モスク)は、1557年完成のモスクで、オスマン建築の最高傑作のひとつと言われているそうね。

<Mugio>
 そうらしいけれど、広場からちょっと離れていて、また、訪問していないので見逃してしまったのさ。
<Mugiko>
 リュステム・パジャ・ジャミイは、オスマン帝国、スレイマン1世の時代に建造(1561年から1563年)されたモスクで、商店街の2階に建てられているということです。
<Mugio>
 ということは、俺たちがお邪魔した店!の2階ということ?

 ≪ 次に、本題のドルマバフチェ宮殿です。 》

<Mugiko>
 などと暢気なことを言ってますが、この後すぐにバスに乗って新市街のドルマバクチェ宮殿に向かいました。


  <雨のガラタ橋?> 

 <ドルマバフチェ宮殿入口>

<Mugio>
 いやー、あっという間に出発したので、本当に驚いたよ。
 でも、そのお陰で14時30分前にはドルマバフチェ宮殿に着くことができました。
 入口右側の高くそびえる建物は、「時計台」です。

<Mugiko>
 奥に見えている宮殿の入口「皇帝の門」の前では、私たちを歓迎するように子供たちが燥いでいたわ!


 <皇帝の門前で子供たちが歓迎?>

  <皇帝の門>

<Mugio>
 いやー、私たちが歓迎されているようで本当に楽しく嬉しいものだね。
<Mugiko>
 ところで、入場する前に宮殿の説明がしたい!と顔に書いてあるわよ!
 この宮殿は、イスタンブール新市街の北東郊外ペシクタシュ地区のボルポラス海峡に面した埋立地に建っているそうよ。

<Mugio>
 ドルマバフチェとは「埋め立てられた庭」という意味だそうだ。
 オスマン帝国のメフメト2世によって造成された庭園に、1843年にアブデュルメジト1世の命で従来あった木造宮殿を取り壊して建てられた宮殿で、1843年着工、1856年完成となっている。以降、1922年に最後の皇帝メフメト6世が退去するまでトプカプ宮殿にかわってオスマン帝国の宮殿として利用された、という歴史的な建物だね。

<Mugiko>
 宮殿の面積45千㎡、部屋数285、ホール数46、浴場(ハマム)6、トイレ68となっている、というから規模の大きさが分かるわね。
<Mugio>
 トルコ共和国の初期には、大統領の執務所として使われ、初代大統領スタファ・ケマル・アタテュルクは、この宮殿のハレムだった居室で執務し、そこで没していて、現在も「アタテュルクの部屋」として、その時のまま保管され、公開されているそうだ。

  <ドルマバフチェ・ジャミイ> <Mugiko>
 この建物は、ボケて写っているけれど、宮殿に関係しているの? 
<Mugio>
 宮殿入口の手前にある「ドルマバフチェ・ジャミイ」だね。
<Mugiko>

 このモスクは、アブデュルメジト1世の皇太后ベズミ・アルミが1855年に建てたバロック様式のモスクだそうね。

<Mugio>
 訪問した時には気付かなかった建物で、ここから帰るときに撮影したので、紹介する順番が逆になってしまったが、御容赦願いたいものだね。
 「皇帝の門の前にある」といえば、先ほど胴体が切れていた「時計塔」があるから、これももう一度ご覧いただきましょう。


<Mugiko>
 なるほどネ!
 おかしなことを言うな?と思ったら、時計塔の向こうに世界で最も細いといわれているドルマバフチェ・ジャミイの2本のミナレット(尖塔)を見なさい!といいたいわけ?
 
<Mugio>

 まぁ、それもあるけれど、時計塔の説明もしていなかったからね。
 このネオバロック調の時計塔は、オスマン朝の末期にオリエント急行でシルケジ駅からヨーロッパに亡命した第34代スルタン、アブデュルハミド2世が1895年に建造した建物だそうだ。
 こういう話を聞くと、歴史というものをもっと勉強しければいけないな!と思ったよ。

<Mugiko>

 さぁ!宮殿に入りましょう。
 皇帝の門を潜ると、次に「ハーズィネ」という門がありました。

   <時計塔>





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