トルコ一周とカッパドキアの旅
 <2010.10.18(月)~10.30(土)・ワールド航空サービス社>


    ~旅行10日目・10月27日(水)  曇りのち雨~ 





                                  No.36


 
▲ イスタンブールの新市街(ボラポラス海峡クルーズとホテル)

<Mugiko>
 ドルマバフチェ宮殿の見学が終わったら、同じ新市街にある「スイスホテル・ザ・ボスフォラ」に向かうものと思っていたの。
 ところが、近くの桟橋から船に乗る!というので「明日の予定のボラポラス海峡クルーズが今日に変更になった。」ことを思い出したの。
<Mugio>
 僕は、ホテルがドルマバフチェ宮殿に近い!なんて知らなかったし、単純に皆さんについて行った、という感じで歩いていたね。


 <桟橋に向かって歩く> 

  <クルーズ船ERGUVANI>

<Mugiko>
 本当に、人の話を聞いていないのね。
<Mugio>
 クルーズ船に乗ると、まず見えてきたのが「海に面したドルマバフチェ宮殿」だね。


 <ドルマバフチェ宮殿の左側> 

  <ドルマバフチェ宮殿>

<Mugiko>
 ドルマバクチェ宮殿も見えていたけれど、僅かに覗いているノッポビル(リッツカールトン)の横には、宮殿から300mの位置にあるという「ドルマバフチェ・ジャミイ」も見えていましたヨ。


 <ドルマバフチェ・ジャミイ> 
<Mugio>
 クルーズ船は。いくつかあるようだが、私たちは、ドルマバクチェ宮殿近くの桟橋から出発したので、海峡の入口付近にある「乙女の塔」を見ることができなかった。
<Mugiko>

 クルーズ船は、南のマルマラ海付近から北の黒海に向かって走っていて、終点が「アナドル・カヴァーウ」というところになっているそうよ。
 私たちは、アジアとヨーロッパを結ぶ第2の大橋(ファティウ大橋)付近まで行って、戻ってくるみたいね。
   
<Mugio>
 ドルマバフチェ・ジャミイの次に見えてきたのが、現在はホテルになっている「チューラン・パラス」という宮殿でした。
<Mugiko>

 第32代スルタン、アブジルアジズ1世の命で1874年に建造された宮殿で、壮麗な宮殿は、議事堂として使われていました。
 しかし、火災で焼失し、しばらく廃墟になっていましたが、1990年に豪華ホテルとして再建されたそうです。

  <チューラン・パラス>

<Mugio>
 「宮殿」、「議事堂」などという言葉が出てくるものだから二人とも緊張して、言葉が「です。ます。」調になってしまったね。
 チューラン・パラスから10分ぐらい走ると、次の見どころのボスポラス大橋の近くに差し掛かりました。(緊張していません!)



  <美しい街並み>

  <小舟とジャミイの尖塔>

  <オルタキョイ・ジャミイ>
<Mugiko>
 この建物は、第31代スルタン、アブトゥル・メジト1世の母の命により1852年に建造されたモスクで、設計者は、ドルマバクチェ宮殿を手掛けたアルメニアのニコゴス・バラヤンという人だそうよ。
 <Mugio>
 アルメニアは、トルコの東隣の国だから、こういうことでも繋がりがあるんだね。
<Mugiko>
 オルタキョイジャミイの右側には、ボスポラス大橋があるけれども、橋との間に見えた光景が右の写真で、このうち、茶色の建物は、「The Marmara Esma Sultan」というホテルみたいね。
<Mugio>

 ほー!よく分かったね。もしかしたら、歴史的な建物かも知れないね。

 <オルタキョイ・ジャミイの右側> 

<Mugiko>
 ここを過ぎると、やがてトルコ共和国建国50周年を記念して、1973年にイギリスの会社によって建設された全長1560mのボスポラス大橋(ボアズィチ橋)が見えてきます。
 写真は、いずれも右側(ヨーロッパ側)の光景を撮影したものですが、美しい橋として地元では人気の橋だそうです。



 <ボスポラス大橋手前の光景>

  <ボスポラス大橋> 

<Mugio>
 大橋手前の黄色の建物は、もしかしたら大金持ちの別荘かも知れないね。現地ガイドのフセインさんがそのような説明をしていたような気がするんだ。
<Mugiko>
 「地球の歩き方」にも「両岸には優雅な住宅の間にヤルと呼ばれる古い木造の別荘も見られる。」と説明しているから、この建物も優雅な住宅かも知れないわね。






         ▲ <ボスポラス海峡クルーズとホテル>の続き
             
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