トルコ一周とカッパドキアの旅
 <2010.10.18(月)~10.30(土)・ワールド航空サービス社>

    ~旅行11日目・10月28日(木)  曇りのち雨~ 






                                  No.40


 
▲ イスタンブール旧市街歴史地区散策(トプカプ宮殿)

<Mugiko>
 昼食を済ましてからも単に「うろうろ」しているだけにならないように注意しないといけないわね。見える建物などがどういうもので、どんな歴史を持っているのかなどの説明があるはずだけれど、二人とも見えるものに圧倒されてしまいそうだわね。
<Mugio>
 まぁ、お手柔らかにお願いしますよ。写真がないので文字で誤魔化すとして、まず、歴史だけれども、ウキペディアによれば、次のように説明してるよ。

 
メフメト2世が、1460年代に造営を開始し、1478年ころまでに完成した。メフメト2世がここに居を定めてからは、1453年にコンスタンティノープルを征服して以来の宮殿が「旧宮殿」と呼ばれるようになったのに対して「新宮殿(サライ・ジェジードあるいはイェニ・サライ)」と呼ばれ、またイスタンブールに営まれた多くの宮殿のうちの正宮殿として「帝王の宮殿(サライ・ヒュマーユーン)」とも呼ばれた。現在使われているとトプカプ宮殿の名は、19世紀にこの宮殿から皇帝が去った後、トプカプ宮殿の丘がある岬の先端にある「大砲の門(トルコ語:トプカプ)」に因んで呼ばれるようになった。宮殿は君主の住居であると同時に、オスマン帝国の行政の中心地として機能した。君主が主催するオスマン帝国の最高意思決定機関である御前会議は、宮殿の・・・・

<Mugiko>
 まぁ!昼の目覚ましにはいいかも知れないけれど長い文章ね。
 要約すると、「15世紀にオスマン帝国がコンスタンティノープルを征服し、メフメト2世という皇帝が帝王の宮殿を造営した。そして、宮殿は、君主の住居であるとともに行政の中心地として機能した。トプカプ宮殿という名前は、「大砲の門」を意味するトルコ語に因んでいる。」ということかしら?



  <第3庭園> 

  <同じく左方向>

<Mugio>
 そういうことだね。ところで、上の写真は、第4庭園にあるレストラン「コンヤル」を出て第3庭園(チューリップ庭園)に入ったところのもので、同じところから撮影したものだネ。
<Mugiko>
 1番からではなく4番から説明しているようだけれど、第4庭園の写真はないの?
<Mugio>
 第4庭園には、私たちが昼食をいただいたレストランのほか3つのキョシュキュ(あずまや)があるそうだよ。
<Mugiko>
 そうすると、多くの見どころがあるのは、第3庭園にあるということかしら?
<Mugio>
 第2庭園と第3庭園を結ぶ「幸福の門」や、幸福の門の前にある「謁見室」、その後ろの「アメフト3世の図書館」、その右側にある「スルタンの衣装展示室」「宝物館」のほか、左奥の「時計」「聖遺物」などがあるはずだね。


 <第3庭園の宝物館> 

  <同じく謁見室> 

<Mugiko>
 そういう言い方をするということは、撮影していないものが多数あるということネ?
<Mugio>
 いやなことを平気でいうね。図星だから言い訳はできないけれど、撮影できたものだけでも掲載しておきたいね。


 <ハーレムの象徴「正義の塔」> 
<Mugiko>
 ハーレムは、第2庭園の「正義の塔」の下にある、という説明が多いけれども、正確には第3庭園との間にあるといった方が良いと思うわ。
<Mugio>

 第2庭園の「ディエアンの庭」から入場するようになっているから、そのように説明しているようだね。
 ハーレムは、チケットが必要でグールプで30分ごとの入場となっていてトルコ語または英語のガイドがつく、ということだ。
<Mugiko>

 私たちも入場することになっているはずよ。
 ところで、話が第3庭園にある見どころからハーレムになってしまったけれども、第2庭園との間にあるロココ様式の「幸福の門」の写真はあるの?
 それと、「宝物館」にも入場して、光り輝く宝石などを見学したわ。。

<Mugio>
 謁見室、図書館、衣装展示室などは、撮影しなかったけれど、幸福の門は、衣装展示室の前あたりから撮影したものがあるよ。

<Mugiko>
 宝物館は、衣装展示室の横に位置していて、「ダイヤモンド、ルビー、エメラルド、真珠のきらめきを、黄金の輝きが包む。初め驚嘆し、やがてはあきれ返るほど。」と説明している。
<Mugio>
 そして、有名なのは、「トプカプの短剣とスプーン売りのダイヤモンド。」とあるが、輝きに「あきれて!」記憶から消えてしまったようだネ。

  <幸福の門>

<Mugiko>
 その後は、幸福の門を通って第2庭園からハーレムに入りました。
 第2庭園には、ハーレムのほかに議会室や厨房が設けられているそうね。
<Mugio>
 でも、何といっても、見どころは男子禁制のハーレムで、日本でいうと江戸時代の大奥といった感じかもしれないね。


  <宦官の部屋が並ぶ>  
 <Mugiko>
 ハーレムは、スルタンの夫人、母、皇子、宦官、女奴隷たちが生活した場所で外界とは完全に隔離されたところで、かっては400もの部屋があったそうね。
 また、スルタンの継承争いに敗れた皇子たちを幽閉した「鳥籠」と呼ばれる部屋もあったそうね。


 <Mugio>
 入場すると、まず、ハーレムを警護する宦官の部屋があるはずだね。彼らは、エジプトからきた去勢された男性だというけれど・・・

 <女たちの居住区>

  <女たちの部屋>
<Mugiko>
 宦官の部屋は撮影していなかったけれど、女たちの部屋は、撮影できたわね。
 女たちの部屋は、スルタンの母が住むところ、妻たちが住むところ、その他大勢の住むところに分かれているみたいね。
 

<Mugiko>
 ところで、これらの部屋には、美しいタイルの壁の装飾があったはずよ。

   

<Mugio>
 ハーレムには、このような美しい模様のタイルが多数あるので圧倒されてしまったね。
 装飾に並々ならぬ興味がある君には毒だったかな?
 次に入った部屋は帝王やスルタンの間といわれる絢爛豪華な部屋だ。
<Mugiko>
 そこでは、何をしていたのかしら?皇帝の子供を作るための????
 単なる権力争いなのか?それとも、無理やり連れてこられてそういう運命をを背負わされたのか?など想像もできなけれど、なんだか悲しすぎるような気がするわ。



  <スルタン(帝王)の広間>

   <同じく正面>

<Mugio>
 それにしても、部屋の中が暗い!ね。
<Mugiko>
 外部からの侵入や女奴隷たちの逃亡を防ぐため、窓という窓は鉄格子でふさがれているそうだから、きっと光が部屋の中に入らないような造りになっているのよ。
<Mugio>
 次はスルタン争いに敗れた皇子たちが閉じ込めら得たという「鳥籠」という部屋も覗いたけれど、ここもその謂れを反映するように暗い!部屋だったね。


  < 鳥籠(皇子の間)>
<Mugiko>
 15世紀以降のオスマン帝国では、王位継承者争いの当事者となった兄弟は争いに決着がつくや否やことごとく粛清(処刑)されることが当たり前のように行われていたそうね。
<Mugio>
 怖い話だね。しかし、この恐ろしい習慣は、17世紀以降、宮殿内に鳥籠といわれる部屋に軟禁・監視する制度にかわったそうだ。
<Mugiko>
 でも、同じ兄弟でも、勝者と敗者では、権力者として贅の限りを尽くす勝者と、狭い部屋に押し込められて常時監視されて軟禁状態にある敗者では雲泥の差だと思うわ。
<Mugio>

 本当だね。どこの国の王朝でも同じような権力争いがあった思うけれど、もしかしたら、我々のような平凡な人生が人間として一番、幸せかもしれないね。
 右のステンドグラスは、その鳥籠の部屋の上部に並んであったものだけれど、何を意味しているのかね?

<皇子の間のステンドグラス>

<Mugiko>
 このステンドグラスも美しいけれど、ハレムにはため息が出るほどの美しいタイルに描かれた文様があちこちにありました。


 <壁を飾るタイル> 
<Mugio>
 君は、本当にこういうイスラム系の精密なものが好きだね。
 ところで、これらのタイルは「皇子の間」にあったものかね?
 <Mugiko>
 それがよく分からないのよ。
 でも、ハレムのような場所にこのような素晴らしい作品があることが驚きね。
 

  <これも同じ!>






   ▲ イスタンブール旧市街歴史地区散策(アヤソフィア聖堂)
         
 
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