<Latvija>
 秋のバルト三国美しき古都と城を訪
ねて
   <2014.10.9(木)~10.18(土)・ワールド航空サービス社>


    ~10月13日(日)旅行5日目  天気    晴れ~ 







                                  No.11


◆ ラトヴィアのバウスカ近郊のルンダーレ宮殿など

  ▲ ルンダーレ宮殿に向かう

 おはようございます。早いもので旅行5日目です。
 早速、いつものようにリガの朝をお伝えしたいところですが、リガのアヴァロン・ホテルは本
日が2泊目ですからホテルについて申し上げることはありません。
 そこで、ここでは、本日の観光予定を申し上げたいと思います
 「おっと!」その前にホテル出発前の朝の予定を申し上げます。

 モーニングコール 7時30分
 朝食(ホテルレストラン) 7時00分
 ロビー集合  9時00分

 次に観光予定です。

 午前 バルトのベルサイユともいわれる●ルンダーレ宮殿見学
 午後 リガ市内に戻り、ドイツの影響を受けたリガの新市街の観光〇ユーゲント・シュティー
   ル(アール・ヌーヴォー)様式の建築群を見ながらの散策

 早速、出発直後のバスからの光景をご覧ください。


  ≪リガ市内の朝≫

   ≪ダウガヴァ川に架かる鉄橋≫

 朝からお天気も良く、気持ちの良いスタートが切れました。
 ホテルの近くには、ご覧のようにトラムが走っていました。また、ダウガヴァ川の美しい光景
を見ることができました。


 その後、バスはラトヴィアの南、リトアニア国境に近いバウスカという町に向かいましたが、ホテル出発から約1時間後にはラトヴィアの原風景のような風景が見られました。


    ≪ラトヴィアの光景≫

     ≪ラトヴィアの草原≫

 やがて、何と書いてあるのか分かりませんが、道路標識がありました。
 ここからルンダーレ宮殿までは、遠くはなさそうです。



    ≪ラトヴィアの道路標識≫

    ≪美しい光景、小川の緑≫ 

 それにしても、美しい光景です。

 ところで、道路標識にはどのような表示があるのでしょうか?
 左上に矢印が伸びているところには、赤色で囲まれたところに「A7」と、緑色で囲まれたと
ころに「E67」とあり、その上に白色で「KAUNA」とありました。
 また、右上の線が丸くなっている部分にある矢印には「P103」と「ELEJA DOBE
JE」という文字が白色で表示されていました。

 このうち、地名が見つかったのは、ELEJA(エレヤ)だけですが、ここから10分ぐらい
走りますと、青空に導かれるようにルンダーレ宮殿の駐車場が見えてきました。
 リガのホテルから約1時間15分の旅ということになりますネ。



   ≪青空にぽっかり浮かんだ雲≫

    ≪ルンダーレ宮殿の駐車場≫

 「宮殿の入る前の話が長い?」 そうなのです。豪華な宮殿の話というのは、フランスのベル
サイユ宮殿やオーストリアのシェーブルン宮殿のように贅の限りを尽くしているので「すごいな
!」で終わってしまう?のかもしれませんネ。
 などという宮殿の説明ができないので、誤魔化そうとしているのですが、そういう予防線は、
このくらいにしまして、まず、宮殿に向かうところからご覧いただきましょう。



  ≪宮殿への小路≫ 

  ≪ENTRANCEの表示≫  

 駐車場からご覧のような小路を5分ほど歩きますと、最初に赤い平屋の建物が見えてきました
。そして、やがて、視界が大きく開けたところには、白と先ほどの赤の建物が並んで建っていま
した。
 ところで、赤い建物は何だと思いますか?ベルサイユ宮殿にもあった馬小屋だというのですか
ら「ビックリ!」です。



   ≪宮殿右側の赤い建物≫

   ≪ルンダーレ宮殿≫

 ここを左折して宮殿の正面に廻りますと、宮殿の大きさが実感できました。


   ≪宮殿の左側≫

    ≪宮殿右側≫

 宮殿全体を正面から撮影したものがないのか?!というお叱りを頂戴しそうですが、大きすぎ
てちょうど良い構図がなかったのです。
 ということで、次は正面の入口と門を入ったところ、そして、その反対(門方向)を撮影した
ものをご覧ください。



   ≪宮殿の外からの正面≫

    ≪宮殿の中の右側≫

    ≪宮殿の中の正面≫

    ≪宮殿の中の門方向≫


 この後は、宮殿の豪華な中ですが、ここで、ルンダーレ宮殿の一通りの説明をしておきます。
 ルンダーレ宮殿(Rundales Pils)は、バルトのベルサイユともいわれるバロッ
ク様式の豪華な宮殿です。


 * バロックの勉強<Wikipedia>

 バロック建築は、1590年頃から盛んになった建築様式。建築そのものだけではなく、彫刻
や絵画を含めた様々な芸術活動によって空間を構成し、複雑さや多様性を示すことを特徴とする
。特に、内部空間の複雑な構成は、他の建築様式とは際だった特色となっている。
 バロックの語源は、ポルトガル語のBarocco(歪んだ真珠)といわれ、元々は一部に見
られるグロテスクなまでに装飾過剰で大仰な建築に対する蔑称であったが、のちに広く17・1
8世紀の美術・建築に見られる傾向を示す洋式概念として用いられるようになった。



 などという説明がありますが、よく分かりませんね。
 でも、そのよく分からない話をもう一つ申し上げます。
 それは、ルンダーレ宮殿の建設の歴史ですが、文字ばかりではつまりませんので、その前に宮
殿の階段を上っているところなどをご覧いただきましょう。


    ≪宮殿の階段≫

   ≪これぞ!宮殿の階段≫

 宮殿は、保存修復が行われている2階部分が公開されていますので、2階に上がりました。
 宮殿は、ロココ調の装飾で埋まったもので、贅を尽くしたものとなっているという話ですが、
中でも「黄金の広間」と呼ばれる即位の広間が豪華さで群を抜いていました。


   ≪緑(青)の間≫

    ≪黄金の広間≫

 緑の間は、黄金の広間(Zelta Zale)の隣にありますが、絵画の横にある陶器製の
暖炉が印象的です。でも、この暖炉は他の部屋にも置かれていました。
 さて、黄金の広間は、公の戴冠式が行われた宮殿で最も豪華な広間です。
 金箔の漆喰彫刻は、プロセインの彫刻家J.Mグラフが手がけたもので、また、知恵、力、正
義などのテーマを寓話的に描いた天井画は、イタリア人のバロック画家F.マルティーニとCツ
ッキによるものだそうです。

 ということで、次に天井画などをご覧いただきたいところですが、その前に先ほど申し上げた
宮殿の建設の歴史をご覧ください。


 * ルンダーレ宮殿の説明<地球の歩き方など>

 ルンダーレ宮殿は、ロシアの女帝アンナ(1693~1740)の愛人になって、貧しい貴族
からクールランド大公に上りつめたビロン公(エルンスト・ヨハン・フォン・ビロン:1690
~1772年)の夏の離宮として1736年に建築が開始されました。
 建築家は、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館になっている冬の宮殿などを手がけ
たイタリア人のバルトロメオ・ラストゥレリです。
 
 女帝アンナが死亡した後の1741年に、ビロン公は財産すべて没収されてシベリア流刑にな
ってしまい、宮殿の建築も中断されましたが、1762年に親ドイツ派のピョートル3世が即位
するとビロン公は宮殿に呼び戻され、さらに、1763年には女帝エカテリーナ2世が彼をクリ
ーランド公に復帰させました。
 そして、工事が再開され、ルンダーレ宮殿は、1768年に完成しました。




 以上ですので、続きまして、先ほど申し上げた知恵、力、正義などを表しているという黄金の
広間の天井画などをご覧ください。



   
≪黄金の広間の天井画≫   

   ≪黄金の広間の窓際の飾り≫

 また、窓擬の柱や天井は、赤を使った化粧板のような飾りでしょうか?美しく飾ってありまし
た。
 そして、黄金の間に隣接する小部屋にある陶器は日本や中国から運ばれたものでしょうか?
 ヨーロッパの宮殿には、こういうスタイルの部屋が多いように感じられました。


   ≪陶器の小部屋≫

   ≪グランド・ギャラリーの天井≫

 黄金の広間からは、大きな廊下が繋がっていて、ここをグランド・ギャラリーとして使ってい
て、壁や天井に天使や花の美しいフレスコ画が描かれていました。



 ≪グランド・ギャラリーの壁≫

  ≪グランド・ギャラリー≫
 この大きな廊下の先には、「白の広間」があり
ますが、上の写真でいいますと、手前が白の広
間になっています。
 つまり、この写真は、黄金の広間の逆方向(奥)から撮影したものです。


 白の広間は、舞踏会が部屋で、白一色の内装は、女性の美しいドレス引き立てるためであった
とされています。



   ≪白の広間≫

   ≪部屋の奥からの白の広間≫

 写真で見ると、照明がついていないので暗いためか黒く見えますが、描かれている彫刻に外の
光が当たるように開放的な窓にしたり、白い壁にしたりしているのでしょうか?
 でも、この広間の見どころは、壁などにロココ様式の漆喰彫刻で描かれた農村風景や動物、神
話などだそうですから、じっくり拝見したいところです。


   ≪白の広間の彫刻≫ 

   ≪同じく白の広間の彫刻≫  

 いかがですか?なるほど、美しい彫刻ですね。
 さて、白の広間の奥には、小さな部屋がありました。「楕円形の陶器の間」といわれる部屋で
す。



 「陶器も命を与えられたようだ」と評される
陶器を飾った小部屋ですが、滝と波をイメージ
した45の台の上に陶器が並んでいました。
 中国製か日本製だという話ですが、陶器とい
えばアジアだったのでしょうか?

 この後は、小さな廊下(小回廊)と再び黄金
の広間を通って、クールランド公の住居及び執
務の場だったという南棟、そして公の家族が住
んだ西棟に向かいました。
 

   ≪楕円形の陶器の間≫

   ≪赤い絨毯の小さな廊下≫

 まず、南棟の右端(東)にある「スボフ伯の間」からスタートしました。この間の南側(窓際
)には、「バラの間」がありますが、ズボフの間の隣にある「図書室」などの小さな間を見て回っ
たようです。



   ≪ズボフ伯の間≫ 

   ≪隣の小さな間≫

    ≪図書の間≫

   ≪バラの間の入口≫

 どうして、ここにズボフ伯という間があるのか分かりませんが、女帝エカテリーナ2世(17
29~1796年)が最後に愛した人物がプラトン・ズーボフという人物だったそうですから、
ズボフ伯というのは、この方かも知れませんね。

 さて、「バラの間は、最も風変わりな美しい部屋のひとつで、ピンクの大理石の壁面に21の
花飾りが添えられているそうですが、「何だ!このピンク色は!?」とビックリしました。
 また、天井画は春の女神たちが描かれているそうですが、残念ながら、天井までは細かく撮影
していませんでした。

 花飾りなどを拡大して撮影したものは次のページでご覧ください。









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ています。