<Latvija>
 秋のバルト三国美しき古都と城を訪
ねて
   <2014.10.9(木)~10.18(土)・ワールド航空サービス社>


    ~10月13日(日)旅行5日目  天気    晴れ~ 






                                  No.12


◆ ラトヴィアのバウスカ近郊のルンダーレ宮殿など

  ▲ ルンダーレ宮殿の南棟と西棟

 前ページに続きルンダーレ宮殿の南棟にある「バラの間」についてお伝えします。


   ≪バラの花飾り・入口左側≫

   ≪同じく右側≫

 さらに、天井画も、といいたいところですが・・・壁一面に描かれたバラでご勘弁ください。
 次の部屋は、バラの間の隣にある「オランダの間」です。



  ≪ピンクのバラの間≫

   ≪オランダの間≫

 それにしても、宮殿というと、部屋が多すぎる上に絢爛豪華なのですから、縁のない小生など
には、ただただビックリして目を「ぱちくり!」と見張ってしまうというものですね。
 さて、次に訪れた部屋は、多くの人物画が飾ってあった「支配者の間」という部屋です。


   ≪ロシアの女帝アンナ≫

   ≪支配者の間≫

   ≪支配者の間の肖像画≫

 この部屋にには、ビロン家の人々の肖像画がありますので、女帝アンナの絵画があるのは当然
だと思うのですが、この宮殿の主であるビロン公の絵画がないのか?という疑問が沸きますよね!?

 実は右下の写真の置き時計の上の小さな人物
画がビロン公なのです。

 どのような顔なのかを確認したい方はウキペ
ディアにでていますので、確認してください、
と括弧書きで表示していたのですが、写真のア
プリケーションで拡大方法などを勉強して、自
分が撮影した写真で表示することができました
ので、ご覧ください。
 

  ≪家系図があった部屋のビロン公≫

 さて、次の部屋は宮殿の真ん中にある「公の寝室」です。ここからはバロック様式のフランス
式庭園が見られました。



    ≪公の寝室≫

   ≪フランス式庭園≫

 公の寝室は、最も重要な部屋で、天蓋付きの豪華なベッドがあるほか左手の壁面にはビロン公
と妻ベニクナの肖像画がかけられているはずですが、撮影していませんでした。
 寄木細工だという床と1740年製造の二対の陶器のストーブが印象に残っています。他の部
屋にも同じようなストーブがありますが、この部屋には裏側に小さな部屋があって、使用人がそ
こから薪をくべていたというから驚きです。

 次の部屋は、赤い壁面が印象的な赤い書斎といわれる「公の謁見室」です。そして、その隣の部
屋は、ビロン公の息子であるピーター公がイタリアが大好きだったことからこの部屋があるので
しょうか?青い色の壁色の「イタリアの間」です。



   ≪公の謁見室≫

   ≪イタリアの間≫

 ピーター公は、1772年にビロン公が死去すると後を継いだのですが、1795年の第3次
ポーランド分割によってクールランド公国はロシア領に組み込まれてしまい、女帝エカテリーナ2
世から年金と生活の保障をされて引退したという人物です。

 続いては、「大理石の間」といわれる部屋で食堂として利用されていた部屋です。周囲の壁は
、白と青の人工大理石で造られていて、テーブルの上に置かれている磁器の食器は、息子のピー
大公がベルリンの工房に制作させたものだそうです。



   ≪大理石の間≫

    ≪ビリヤードの部屋≫

 ビリヤードの部屋は、大理石の間の隣にあります。中央に置かれているビリヤードの台は、1
770年代に復元されたものですが、当時はビリーヤードの他にカードゲームをするためのテー
ブルもあったそうです。

 続いて「公のトイレ(化粧室)」や「シュヴァロフ伯の部屋」などです.
 シュヴァロフ伯とは、どのような人なのでしょうか?
 シュヴァロフ家は、ロシアの貴族で16世紀の女帝エリザヴェータ・ペトローヴナに重用され
、1746年9月5日に伯爵に叙せられ、サンクトペテルブルグに4つの宮殿を所有していたほ
か「ルンダーレ宮殿」などを入手しているそうです。
 シュヴァロフ伯の部屋がある確かな理由は分かりませんが、こうしたことを反映しているのではないでしょうか?


    ≪シュヴァロフ伯の部屋≫

   ≪書斎≫

    ≪公の化粧室(トイレ)≫ 

   ≪ビロン公の家系図≫

 こうして、南棟の見学が終わりますと、次は、公の家族が住んだという西棟を見学しましたが、右上の写真は、西棟で最初に見た部屋である「公夫人のプドゥアール」の前に撮影した人物画です。
 そのうち、上段の2人の人物が「エルンスト・ヨハン・フォン・ビロン公」(左)とその妻「ベ
ニグナ・フォン・トロタ夫人」(右)で、下段の右側の人物が二人の子供の「ペーター・フォン
・ビロン公」のようです。

 次は「公夫人のプドゥアール」といわれる部屋ですが、プドゥアールとは、女帝や公夫人たちの
私室で、親しい人をもてなす部屋または寝室を兼ねたプライベートな空間のことだそうです。
 その中には、「公夫人の化粧室」や「リビングルーム」、部屋や廊下の凹んだところである「ア
ルコーブ」などがありました。



   ≪公夫人の化粧室≫

   ≪公夫人のリビングルーム≫

   ≪女性らしい調度品≫ 

   ≪部屋のアルコーブ部分≫

 これらの部屋は、ご覧のように女性らしく美しい装飾を施してあり、また、椅子・テーブルな
どの調度品が置かれていました。
 次に、公夫人の寝室とトイレを見学しました。



   ≪公夫人のベッドルーム≫ 

   ≪公夫人のトイレ≫ 

 公夫人の寝室は、意外と小さいな!と感じましたが、寝室から隠し扉で通じているトイレは、
「これがトイレ?」というもので、これを見て「18世紀のヨーロッパのトイレが実感できた。」
と言えるものではありませんでした。



   ≪服装のリボン≫ 

    ≪公夫人のドレス≫ 

 最後に、公夫人が着用していたと同じものだという服装が展示してありましたので、掲載しま
した。
 これで、宮殿内の見学がすべて終了しました。この後は、宮殿のレストランでいただく昼食で
す。



   ≪サラダ≫

  ≪魚のフィレ≫   

  ≪デザート≫

 左上の「サラダ」は、「リンシードドレッシングがけ」だそうです。
 その右のメインディッシュですが、「魚のフィレ」です。
 最後に、右側のデザートですが、「シナモンのデザート」で、「レーズンソースがけ」となっ
ています。
 どれも「美味しい!」のですが、小生には品が良すぎて食べづらかったですね!


 食事の後は、腹ごなしにフランス式庭園の見学です。併せてルンダーレ宮殿の建物全体が入っ
たものなどが撮影できましたので、ご覧ください。



   ≪フランス式庭園≫

  ≪草花が咲き乱れる庭園≫ 

   ≪ルンダーレ宮殿≫

    ≪樹木越しの宮殿≫

 こうして宮殿を存分に見学しましたので、バスでリガ市内の戻り、新市街にあるユーゲントシュティール建築群などを見学する予定になっています。








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ます。