<Latvija>
 秋のバルト三国美しき古都と城を訪
ねて
   <2014.10.9(木)~10.18(土)・ワールド航空サービス社>


    ~10月13日(日)旅行5日目  天気    晴れ~ 







                                  No.13


◆ ラトヴィアの首都リガの新市街散策

  ▲ ユーゲントシュティール建築群

 私たちは、バウスカ近郊のルンダーレ宮殿から再びリガに戻ることになっています。
 とはいいましても、旧市街に散策は終了していますので、リガのもう一つの見どころであるユ
ーゲントシュティール建築群に向かいました。

 まずは、リガ到着前に見えた面白い?光景をご覧ください。



   <リガ到着1時間前の光景>

   <リガ近郊ののダウガウァ川>

   <リガ市内のインターチェンジ>

   <科学アカデミー> 

 ルンダーレ宮殿がある町バウスカからリガまでは直線で100㎞ぐらいでしょうか?
 左上の光景は、出発してから40分後ぐらいの距離にあるところですが、何という地名なので
しょうか?穏やかな空気が流れていましたので、とても清々しい心温まる光景でした。

 右上の写真は、ダウガウァ川にかかる電波塔のようなものでしょうか?ここで、リガに近づい
たことが分かりました。

 そして、科学アカデミーの近くを走りましたので、鉄道橋の南にあるアクメンス橋や市内のイ
ンターチェンジ、リガ駅周辺を通ったことが分かります。

 こうして、リガ駅前を走っている1月13日通りからホテルOPERAなどを見ながらユーゲ
ントシュティール建築群にむかったようです。

 それにしても、バスを下車してすぐに「これは何だろうか?」という記念碑みたいなものに出
会うとは驚いてしまいました。その中身は、後ほどご覧ください。



   <ホテルOPERA>

   <クロンヴァルダ公園>

 バスを下車した場所は、ユーゲントシュティール建築群の近隣にあるクロンヴァルダ公園のよ
うです。
 帰国してから、この石碑のことを調べたのですが、この記念碑に刻まれている言葉の日本語訳
を見つけることができました。
 少々長く、日本語的にはおかしいところもありますが、掲載しておきます。


            リガのベルリンの壁とバリケード
              記念ブロックの断片


 ベルリンの壁が崩壊したあと、その断片がラトヴィアに寄付され、1991年バリケード中に
セイマの建物に建設されたコンクリートの壁とともに、リガのクロンヴァルド(ダ)公園にまだ
残されています。今日は鉄のカーテンの崩壊の30周年であり、このイベントは私たち自身の独
立の回復に必然的に貢献しました。

 私がベルリンに初めていたとき、ベルタの壁の遺跡はもちろん、国会議事堂、ブランデルブル
ク門、有名なスタファ・ケバブとともに必見の名所の一つでした。しかし、鉄のカーテンの残骸
にくる前でさえ、購入しにくいコンクリートの破片-ベルリンの壁の大小の破片-に四方八方に
襲われました。
 鎖でつながれた最小のものはキーリング機能を持ち、ガラス製の箱に入ったわずかに大きいも
のは落下しますが、プラットホームに取り付けられた非常に高価なものはまったく機能しません
。私も最初の石積みを購入してラトヴィアに持ち込みましたが、クロンヴァルト公園にはすでに
はるかに大きな「お土産」があり、1991年のバリケードコンクリート壁の断片と組み合わさ
れたベルリンの壁の本当の断片です。

 ベルリンの30周年の前夜に私が思い出したのは、この物体であり、世界の歴史の中でこのよ
うな重要かつ象徴的な鉄筋コンクリートの死を祝うことにしました。

 記念碑は1992年に公開されましたが、ベルリンの壁の破片はラトヴィアでの最初の日では
ありませんでした。つまり1990年にはすでにリガの東ヨーロッパ諸国の政治的目覚めに関す
る展示会で展示されていました。その後、ハウスアムチェックポイントチャーリーミュージアム
のディレクターがラトヴィアの首都に贈りました。

 OiSparitisの著書「Riga Monuments and Decorativ
e Sculpture」で報告されたように、1992年にはバリケード中にSaeimaの
建物に建てられたコンクリートの壁の破片と記念のアンサンブルにまとめられました。

 1990年11月にリガで開催されたベルリンウォールミュージアムのハウスアムチェックポ
イントチャーリー展の後、ミュージアムディレクターのレイナーヒルデブラントは、この壁の断
片をラトヴィアの首都に紹介しました。

 <以下は、記念碑に書かれている人々の紹介でしょうか?>
 ベルリン国立博物館「ハウスアムチェックポイントチャーリー」、1990年11月、リガの
ハットデアミュージアムデ(で?)ディレクターズレイナーヒルデブラントダイゼスフラグメン
トデルマウアーデアハウプシュタッドレッツランドゲシェント

 <以下は、記念碑の中央に大きく書かれている言葉でしょうか?>
 ラトヴィア語とロシア語のバリケード記念ブロックについて
 「ベルリンの壁が私たちを分離 リガの壁は私たちを結びつける
  隣人を愛しましょう そして、敵のために神に祈りましょう。」

 <以下は左下の小さな石碑に刻まれている言葉のようです。>
 2011年に、記念碑はラトヴィア語、英語、ロシア語のテキストのあるプラークで復元され
ました。ラトヴィアは、石の破片が置かれた唯一の場所です。つまり、その破片が世界の多くの
大都市に寄付された後だけでなく、私たちの場合、視覚的にも象徴的にも記念碑を補完するユニ
ークなバリケード記念ブロックです。



 何だか長い説明文で小生にも内容が良く分からないのですが、ドイツのベルリンの壁のことが
書かれている記念碑のようです。
 ベルリンの壁の崩壊は、ラトヴィアをはじめ東側の人々にとってはそれほど重大な出来事だっ
たのだと感じました。


 という独り言のような話ですが、本題のユーゲントシュティール建築群に戻りたいと思います。ユーゲントシュティールは、ドイツ語でアールヌーヴォーという意味だそうで、19世紀後半にヨーロッパ各地を席巻した新芸術様式で、多くの建物でその特徴である装飾的なデザインを多用しているそうです。
 リガのユーゲントシュティール建築群は、この新芸術様式が1900年頃からはじまって十数年間という短い期間で膨大な数の多様な建築を残したそうです。


   <Pulkveza通り>

 <ストレールニエク4番地の建物>
     

 このユーゲントシュティール建築群は、ミハエル・エイゼンシュテイン(1867~1921
)というユダヤ系ロシア人の独創的な建築が見られるアルベルタ通りとその周辺に集まっていま
した。

 左上の写真は、アルベルタ通りに向かっているところで、ペルクベザという通りの隅にあるモ
ニカセントラムホテルなどを見ながらエリザベテス通り(Elizabetes iela)を
歩いているところです。

 この交差点を少し過ぎますと、北東に走っているストレールニエク(Strelnieku 
iela)という通りがあり、この通りを歩いて行きますと、その4番地に最初の見どころであ
るエイゼンシュテイン製作の美しい建物がありました。
 この建物は、1905年の建物で、ミッツソウという私立学校として使われているそうです。 細かい装飾と青いレンガ、そして、美しい女性像など何とも優雅ですが、右上の建物全体の写真ではそこのところが分からないかも知れませんね?
 そこで、小生が帰国してから拡大できないか苦労して造った画像がありますので、少々斜めになってしまいましたが、ご覧ください。


  <花輪を掲げる女性>

   <青と美しい女性像> 

 小生にしては、うまくいきました!ストレールニエク通り4番地の青いレンガと美しい女性像が確かに写っていました。
 「そうはいっても、右側の青い建物の様子は分かったが、左の茶色の建物の拡大写真がないのか?」という話になりますが、幸いにも現地でこの部分の拡大写真を撮影していました。


   <茶色の建物の女性像>

  <ユーゲントシュティール博物館>

 それにしても、髪の毛でおっぱいを支えるとは!面白い発想の女性像ですね。
 ところで、この茶色の建物は、ストレールニエク通り4番地の青いレンガの建物と繋がってい
るように見えますが、「アルベルタ通り13番地」と表示されている建物で、写真はストレール
ニエク通り側から見えた部分です。

 さて、話が変わって恐縮ですが、右上の赤い尖り棒のような屋根が見える建物は、この周辺の
四角い建物が多い中で変わった造りになっていると感じました。
 この建物が「ユーゲントシュティール博物館(アルベルタ通り12番地)」ですが、この博物
館などが入っている建物は、K.ペークシェーンスとEラウベという方の製作で1903年の後
期民族主義建築といわれています。

 建物の中には螺旋階段やアールヌーヴォーの色使いをした天井などの見どころがあるようです
が、見学しませんでした。


   <茶色の建物の人面像>

   <同じく女性像>

 こうしてメインストリートのアルベルタ通りに入ったのですが、次に撮影した場所もアルベルタ通り13番地の建物でした。


   <13番地の茶色の建物>

  <アルベルタ通り13番地の人面像> 
 このアルベルタ通り13番地の建物は、同じく
エイゼンシュテインの作で、動物、植物、喜怒哀楽
を表す人面、女性など無数の彫刻がありますが、
2002年に修復が終わり、輝きを取り戻した建
物の一つだそうです。
 この人面は、建物の左右に二つ見えますが、怒
っているのでしょうか?

 ここからアルベルタ通りを東に進んでいきますと、通りの左側に見どころの8番地、6番地、
4番地などの建物が並んでいるはずですが、まず、中央にエレベータのような塔が印象的な8番
地の建物が見えてきました。
 でも、まずご覧いただくのは13番地の横にある茶褐色の暗い建物です。この建物があるのは通りの右側にある11番地です。



   <11番地の茶褐色の建物>

   <11番地の中央部分>

 この建物は、豪華で美しい建物が並んでいる建築群の中では、薄暗く、悪く言えば「汚い!」と感じてしまいました。だから、通りの反対側に建っているのでしょうか、そして、もしかしたらこれから修復されるのでしょうか?
 さて、次が豪華な建築群が並んでいるアルベルタ通りの建物で、通りを西側から入ると、最初に目に入る8番地の建物(1903年エイゼンシュテイン)です。



   <8番地の建物>

    <8番地の中央上部> 

 この建物は、ブルーの縦のラインと中央のエレベータのような造りが印象的です。そして、中央上部の力強いライオンの顔とその周りの繊細で優雅な装飾が見どころとなっています。

 さて、次に8番地の横の建物6番地(1903年エイゼンシュテイン)ですが、ここから建物全体を撮影していませんでした。誠に心苦しいのですが、そのエキスみたいな写真でご勘弁いただきたいと思います。


    <アルベルタ通り>

   <6番地の建物>

 工事中の赤いレンガが印象的な6番地の建物です。左の写真で見ると、その隣の薄茶色に見える建築物が4番地(1904年エイゼンシュテイン)の建物です。


    <6番の建物の中央上部>

    <アルベルタ通りにて>

 次が隣の4番地の建物ですが、正面から撮影したものがありませんが、・・・


   <中央が4番地の建物>

   <4番地の中央上部>

    <4番地のライオン像>

   <メドゥーサの3つの顔>

 この4番地の建物は、最も完成度の高い建物の一つといわれています。
 中央上部の3つの窓の美しい曲線、メドゥーサの3つの顔、青と緑の窓ガラスが心に響く!といわれていますが、果たしてどうでしょうか?。
 ここに描かれている、メドゥーサ(Medousa)は、泣いているのでしょうか?怒っているのでしょうか?
 なお、ギリシャ神話に登場する怪物で、ゴルゴーン3姉妹の一人です。メドゥーサは「女王」という意味の三女で、姉はステンノー(強い女)とエウリュアレー(広く彷徨う女)と呼ばれているそうです。

 4番地の次の見どころは2a番地の建物です。
 この建物もエイゼンシュテインの設計で建てられたもので、縦の赤いタイルが印象的な建物で
、窓ガラスの青と建物の色と調和したデザインになっていると評されています。


   <2a番地の建物>
 しかし、小生には、女性やスフィンクス、人
面などの彫刻の方が印象的でした。
 最上部には、兜を被ったような人面などの彫
刻が横一列に並んでいました。

 でも、左の写真には、説明のような赤い柵の
ような縦のタイルや様々な彫刻もはっきりと写
っていませんね。

   <女性と怒ったような人面の彫刻>

<最上部の兜を被った兵士のような人面>

 こうして、アルベルタ通りの見学が終わりますと、南のエリザベテス通りに戻って東側に建っている10b番地と33番地に向かいました。
 通りを東から入りますと、面白い建物がありました。なんと!カタカナで「ヤクザ」という文字と大きく「YAKUZA」という文字の看板が掛かっている店があったのです。



   <明るい雰囲気の通り>

    <YAKUZAの建物>

 YAKUZAという看板がある建物ですが、ここは寿司店のようです。余計なお世話ですが、YAKUZAの意味を承知していて表示しているのでしょうか?
 さて、この店は、10a番地の表示がある建物の横にありましたので、見学したい10b番地の建物の並びのようです。具体的には、「隣の隣」に10b番地の建物が建っているということになります。


   <10b番地と10a番地>

   <10b番地の建物の上部> 

 左の白っぽい建物が10b番地の建物で、右の茶褐色の建物が10a番地の建物ですが、見どころの10b番地の建物の上部には、大きな人間の顔などの彫刻が飾ってありました。

 右の写真は、隣の10a番地の茶色の建物も
見えていますが、中央の巨大な顔が二つある右
端の彫刻です。
 なお、中央には、巨大な顔のほか、クジャク
のような鳥、その上に驚いたような顔の男、そ
れに続くような幾何学紋様の彫刻が多数ありました。

  <10b番地と10a番地の彫刻>

 なお、ヤクザの隣の汚いイメージがある建物にも多くの彫刻が彫られているようですから、こ
ちらも修復すれば素晴らしいもになるのではないでしょうか!
 いずれにしても、ユーゲントシュティール建築(アールヌーボー)に興味がある方々にとって
は、このリガの建築群は魅力的な場所なのだと思います。

 最後にエリザベテス通り33番地の建物(1901年、エイゼンシュテイン)ですが、10b番地の斜め前の方向に静かに佇んでいました。



   <エリザベテス通り33番地>

    <33番地の彫刻>

 33番地の建物の写真が遠景の撮影となってしまいましたので、彫刻部分を一部拡大してみま
した。
 この建物は、最初期のユーゲントシュティール建築で、様々な建築様式の影響が見られるとさ
れていますが、良く分かりませんでした。

 この後は、近くのクロンヴァルダ公園や、その側で開かれていた果物売り場、ロシア大使館、
フランス大使館などを見て、さらに、中央市場とスーパーでで買い物を楽しんでからホテルに戻りました。


   <クロンヴァルダ公園> 

     <フランス大使館>

 夕食は、ちょっと遅めの19時00分からホテル近くの「STEIKU HAOSS」という
レストランでいただきました。



  <中央市場>

  <スーパーにて>

   <レストラン>

  <クリームスープ>

  <ローストポーク>

 <ダークチョコレート>

 このレストランの料理ですが、メインのポークは「美味」、スープとチョコレートは「まあまあ」といったところでしたが、飲み物として小生は赤ワインを、かみさんは白ワインをいただきました。(両方とも5ユーロ)







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 このページ(No.13)は、ラトヴィアの首都リガの新市街のユーゲントシュティール建築群などを掲載しています。