<Latvija>
 秋のバルト三国美しき古都と城を訪
ねて
   <2014.10.9(木)~10.18(土)・ワールド航空サービス社>


    ~10月14日(月)旅行6日目  天気 大粒の雨~ 






                                  No.14


◆ ラトヴィアのスイスと呼ばれるスィグルダ

  ▲ リガの朝(アヴァロン ホテル)

 皆さん、おはようございます。アヴァロンホテル3泊目の朝ですが、バルト3国の最後の訪問
地エストニアに向かいます。
 早速、雨模様のリガの朝からをお伝えしたいと思いますが、文句なしのA評価だった朝食など
のホテルの評価(506号室)は、10月12日(土)のページ(No.8)をご覧くださいま
せ。

 次に、ホテル出発までの本日の予定を申し上げます。

  ・ モーニングコール     7時30分
  ・ 朝食(1Fレストラン)  7時00分
  ・ スーツケース廊下搬出   8時15分
  ・ ロビー集合・出発     9時00分

 次に、本日の観光予定ですが、

  ・ ラトヴィアのスイスと呼ばれるスィグルダの●トゥライダ城
  ・ 昼食
  ・ ツェースィスの〇騎士団の城跡や旧市街の散策
  ・ エストニアのパルヌに向かう(夕食)

              となっています。


  ▲ スィグルダのトゥライダ城

 
スィグルダは、リガから北東に約50㎞のところに位置しています。いつもですと、目的地に到着するまでの光景などをレポートするところですが、生憎のお天気もあり、バスからの写真が「ボケ!」ばかりで困ってしまいました。



  <暗い天気>

   <バスからの撮影>

 ボケていないものが二枚ありましたが、この地点でホテル出発から約1時間が経過していました。スィグルダのトゥライダ城には10時20分頃の到着となりました。
 スィグルダの見どころとなる古城や景観は、すべてガウヤ川沿いに点在しているそうですが、私たちが訪問するトゥライダ城は、13世紀に原住民のリーヴ人から帯剣騎士団によって占領された後にガウヤ川の西側を支配した僧正領に建てられた城だそうです。

 駐車場からトゥライダ城を目指して歩きはじめますと、教会のような建物などが見えてきました。



   <教会のような建物>

    <同じ建物の正面> 

 ここで、もう少しスィグルダの話を申し上げます。
 13世紀の占領後には、東側を騎士団が統治したのですが、西側と同じように城や商人などが住み着いて町となったのです。
 私たちが訪問したトゥライダ城は、ガウヤ川の西側(北側)にありますが、東側にもスィグルダ城址やスィグルダ教会などがあるほか同名の駅があることから、東側がスィグルダという町の中心なのではないか感じました。

 トゥライダ城に話を戻します。トゥライダとは、リーヴ語で「神の庭」という意味のようですが、神の庭に帯剣騎士団という軍隊が踏み込んで占領していいのでしょうか?
 さて、城が近づいてきますと、落ち葉の中に円筒形の赤い建物が目に入ってきました。



  <トゥライダ城の塔>   

     <同じくトゥライダ城>

 この後、いくつかの赤い建物が集まっているところにつきましたが、説明は省力してその模様をお伝えします。


    <太い塔>

   <高さ38mの塔>

    <同じく太い塔> 

   <15世紀建設の西棟>

 などといってますが、建物の説明ができないだけではないか?
 そうなのです。「高さ38mの塔」のところは、トゥライダ城の入口付近になります。
 そして、「太い塔」は「The gate tower of northern forecastle」という説明文が見つかりましたので、「北の前の塔状の高い建物」というような意味になるのでしょうか?小生には「筒型の太い建物」といったほうがピンとくるような気がします。
 なお、38mの高い塔がこの城の主要な塔(The main tower)で、また、15世紀建設の西棟は、大きな半円形タワー(The large semi-circulay tower)とでも呼ぶ建物のようです。

 私たちは、深い渓谷と豊かな緑で“ラトヴィアのスイス”と呼ばれるスィグルダを見学するために38mの高い塔に上ることにしました。



  <太い塔と庭師の家>

    <ガウヤ川を望む>

   <深い渓谷と豊かな緑>

    <紅葉の渓谷>

   <高い赤レンガの塔から>

  <トゥライダ城を包む豊かな自然>

 スィグルダの北側に位置するトゥライダ城ですが、ここからの眺めは、ラトヴィアのスイスというより「ここにしかない独自の美しい渓谷美」を備えていると感じました。
 高い塔からの眺めが終わりますと、次は博物館となっている半円塔の西棟の中に入りました。



  <囚人などが描いた独房> 

     <熊などの動物の模型?>

 ここには、中世のラトヴィアの地図など展示されていましたが、地下の牢獄の展示品には怖い
もの知らずの誰かさんも、当時の囚人の扱いを想像をすると、気持ちが暗くなりました。

 さて、次に、地下以外に展示されていた地図や模型、絵画などの数々をご覧ください。ラトヴィアの歴史が分かるようになっているのでしょうか?



  <弓矢>

  <大砲> 

   <城の模型> 

 <神への祈り> 

  <建設時の地図>

   <領主(僧正)?>

  <展示品の数々>

  <農家住宅?の模型>

  <ヨーロッパの地図>

 などと無責任なことを申し上げていますが、実際に展示されていたものでした。

 さて、この後はトゥライダ城に向かうときに見えた二つの建物などを確かめるように見学した光景です。その一つは、1750年に建てられた木造のトゥライダ教会です。



   <トゥライダ教会>

    <教会の内部>

 ヨーロッパの教会といえば、高く大きな建物で中も絢爛豪華なイメージを持っていますが、この教会は、東ヨーロッパ諸国で見られる木造教会と同じように「質素」という感じがピッタリする教会でした。

 もう一つは、トゥライダ教会の隣にある「トゥライダ・ルァザの墓」です。
 菩提樹の木の下に眠っているのは、トゥライダのバラと呼ばれた美女majaです。



   <トゥライダ・ルァザの墓>

    <同じく左方向から>

 どんな美女か?時は1601年、トゥライダ城でのポーランド軍との戦いの後、農夫が一人の女の子を城で見つけました。マイアと名付けられたその子はバラのような美しい娘になったそうです。そしてマイアは村の青年と恋に落ちて、グートゥマニャ洞窟で逢瀬を重ねていましたましたが、マイアに恋したポーランドの脱走兵がマイアをだまして洞窟に彼女を誘い出しました。

 さぁ、どうなる!というところですが、興味のある方はその後の顛末を調べてみてください。
 結局、彼女は愛を貫いて19才の生涯を閉じたのですが、その気高く清らかな心に感銘し、人々はマイアを偲んで、今も花を添え続けているそうです。

 この後は、トゥライダ城の西にあるレストランKungu Rijaでの昼食です。



 <レストランKungu Rija>
 スープがソバ入りで美味しかったのですが、撮影していませんでした。
 メインの魚のフィレも悪くはありませんし、デザートのワイルドベリーのパフェも同様でした。

 <魚のフィレ>

  <デザート> 

 昼食が終了すると、バスでスィグルダの北東にある町、ツェースィスに向かいました。








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