<Eesti> 
 秋のバルト三国美しき古都と城を訪
ねて
   <2014.10.9(木)~10.18(土)・ワールド航空サービス社>


    ~10月15日(火)旅行7日目  天気    曇り~ 







                                  No.17


  ▲ パルヌの旧市街散策

 こうして小生がレッドタワーを見ている間、かみさんは、店の中を存分に見学したようです。

 
 

 工芸店の見学が終了しますと、次は昼食?
 何でも、19世紀のドイツ人貴族の邸宅を利用したホテルのレストランでいただく、という話
ですから超楽しみですね。
 また、レストランに到着するまでに秋景色に彩られたパルヌのタリン門などを見学するそうで
す。

 早速、その模様をお伝えしたいと思います。
 まず、工芸店前のUus通りからニコライ(Nikolai)通りに出て、そしてRuutl
a通りを東方向に歩きました。
 ニコライ通りからは、再びエリザベート教会などパルヌを代表する光景が見えましたが、Ru
utla通りでは、何かを持った黒い彫刻の男性像が置かれていましたので、思わず記念撮影を
してしまいました。
 場所は、ニコライ通りとRuutla通りの交差点を左(西方向)に曲がったところで、ご覧
のような石積みの歩道になっていました。



   <帽子にステッキなど> 

    <中央図書館> 

 この男性像のところからは、Akadeemia(アカデミア)という通りに出て、バスに乗
ってKeskvaljakという大きな通りとの交差点で中央図書館(Parnu Centr
al Library)の建物が目に入ってきたのです。

 ここからタリン門には、アカデミア通りを南に進んで行き、突き当たりのLounaという通
りを右折(西方向)して、さらにRingiという通りの交差点で小路に右折してParnu 
Vallikaarという公園に入ったようです。

 この公園は、周りがパルヌ川(Parnu River)が陸地に食い込んでいるようなとこ
ろにあり、この水辺のことをParnu Vallkaavと表記してあります。

 タリン門があるのは、この水辺の奥ですが、南向きの門は、門というより大きな分厚い建物の
ような造りでした。綺麗に塗り直されているのか「これがかつて3つあったという17世紀の城
門なのか?」という印象でした。



  <林の奥にタリン門> 

    <秋深し!の樹木> 

    <タリン門の正面> 

   <黄色い落ち葉の公園> 

 タリン門とともに公園の秋をご覧いただきました。
 もう少し面白い光景がないのか!?
 リクエストに応えて周辺で見かけたものをご覧いただきたいと思います。



    <タリン門付近のの水辺> 

    <タリン門付近の彫刻>  

 この水辺が、タリン門の正面から見ると西側にあるParnu Vallkaavという表示
のパルヌ川の支流のような流れて、鴨などが護岸に羽を休めていて、湖や池のように見えていま
す。
 ここからは、さらに南のアメンデ・ヴィラ(Ammende Villa)というホテルに向
かいましたが、その間に見つけたパルヌの秋をご覧ください。



    <タリン門付近にて> 

    <ホテルの前にて> 

 この素敵なホテルで美味しい料理の数々をいただきました。まず、ホテルの外観といただいた
昼食の内容をご覧いただきますが、食後に案内されたホテルの内部も素敵なものでした。



  <ホテル アメンデ・ヴィラ>

 <レストランにて> 

 <クリーム。ブリュレ>
  

  <子豚のトロ煮>

  <スープ>

 建物が美しいと食べ物も美味しい?そんなわけはありませんが、中の調度品や料理も洒落てい
て美味しいものでしたネ。高級感が溢れていましたので、料理が美味しかったと感じたのは、「
ハロー効果だった」のかも知れません。
 さて、次はホテルの部屋(ジュニアスイートルーム)をご覧ください。



   <ジュニアスイートルーム>

   <ジュニアスイートルーム>

   <ベランダからの眺め>

   <ホテルの廊下、天井> 

 この後は、13時30分ごろにホテルを出発して一路、エストニアの首都タリンに向かいまし
た。
 まず。出発して40分ぐらい走ったところの白い雲が美しいエストニアの空と首都タリンに近
づいて見えたUlemiste行きのトラムの模様をご覧ください。



    <青空と飛行機雲?>

    <Ulemiste行き?>

  やがてタリンに到着したのですが、パルヌ街道からタリン旧市街を抜けてナルヴァという街
道に入り、郊外の北東方向にある「歌の広場」というところに向かいました。
 なぜ、ここを案内してくれるのか?
 それは、ここで「全国歌謡祭」が開催されているからだと思います。5年一度開催される歌謡
祭で、2003年には、「人類の口承及び無形遺産に関する傑作の宣言」に、2008年には、
「バルト地方の歌謡・舞踏フェスティバル」の一部として無形文化遺産に登録されています。

 ところで、なぜ、こういう登録がされたのかを考えることが大切なのだと思います。
 「ロシア帝国時代」の1869年にはじまった大規模な歌謡祭が2019年で第27回を数え
ていますが、その間、戦間期やソ連時代、独立回復期、独立回復後のそれぞれの時代にこの歌謡
祭を行うために多くの方々の苦労と努力の歴史があるからです。

 特に、第一回歌謡祭活動の中心人物であるジャーナリストのヨハン・ヴォルデマル・ヤンセン
とその娘であるリディア・コイトゥラ、ソ連時代の作曲家グスタス・エレネサクスが有名です。
 この歌謡祭で歌われているリディア・コイトゥラ作詞、グスタス・エレネサクス作曲の「我が
祖国我が愛」は、今でも国家のように歌われているそうです。

 リディア・コイトゥラといえば、パルヌに彼女の像があったコイトゥラ公園がありましたネ。


    <年号の記念碑>

     <野外音楽施設>

 タリン歌の広場といわれるこの場所には、写真の「1869」と「1969」という年号を刻
んだ彫刻が建っていました。
 その意味は、1869年が第一回の全国歌謡祭が開催された年を表し、1969年は、百周年
(第17回、出演人員30230人)を表しているのだと思います。

 まるで宇宙船のような形をした野外音楽施設があるタリン音楽広場は、ステージ部分が180
0㎡の屋内床面積と23ヘクタールの屋外エリアを擁するものです。
 ステージは、2本の放物線に囲まれた75メートル×35メートルの屋根を特徴とし、これは
音を反響させる役割も担っていて、ステージには1万5千人の演者を収容できるそうです。

 こういう話を伺いますと、この歌の広場を案内していただいた意味が良く理解できたところで
すが、小生には、特に、会場の麓から野外音楽施設を見下ろすエルネサクス像が印象的でした。


 歌の広場への入口は3つあり、そのうちのラスマナエからの入口沿いには、1869年からの伝統をエストニア音楽祭の歴史を辿った彫刻群が設置されているほか、グランドには音楽が流れる「歌う椅子」や、高さ2.25メートル、重さ2.5トンのグスタフ・エルネサクス像が設置されています。     <バスが見える広場への入口>

   <グスタス・エレネサクス像> 
 エストニアの音楽の父エレネサクス(1908~1993年、Gustav Emesaka)は、エストニア歌謡祭典の最終日に歌われるエストニア第二国歌「我が祖国我が愛」の作曲家です。
 会場の麓から見下ろすエレネサクス像は、いったい何を思いながら人々の歌声を聞いていたのでしょうか?
 

 歌の広場の見学が終了しますと、今夜の宿泊ホテルのテレグラフ(Hotel Telegr
aaf)に向かいました。
 旧市街の北側(タリン湾付近)に近づきますと、Rannamae teeという通りを通過
しましたが、その際、赤い屋根の丸く太った建物?と青く高い教会の尖塔が見えてきました。
 「ここは、どういうところだろうか?」と思いましたので、勝手にシャッターを切っていまし
た。
  もしかしたら、明日、ここを訪れることになるのかも知れませんネ!


   <丸い太った建物?>

   <タリン旧市街にあるホテル> 

 ホテル到着後は、19時の夕食までは自由時間でしたから、町の散策に出かけました。
 そして、19時から予定通りホテルのレストランで夕食をいただきました。(生演奏付き!)


    <魚のタルタル>

    <ローストダック>

 <西洋ナシとアーモンド> 

 とても美味しそうで、品がいいですね?
 自分で好きなものをどうぞ!ではないからです。
 味?「記憶にございません。」といいたいところですが、文句なしの美味しさ!でした。
 ということで、明日(10月16日(木)旅行8日目)は、タリン市内観光が待っています。
 明日もの楽しみですが、段々帰国の日が近づいてきて、寂しくなってきましたネ!

 朝の予定
 ・ モーニングコール  なし
 ・ 朝食        7時00分から
 ・ 朝の散歩      7時45分(希望者ロービー集合)
 ・ 出発        9時00分(ロビー集合)










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 このページ(No.17)は、「歴史と海と太陽の町」エストニアのパルヌにて観光と散策を楽しんだ様子と首都のタリン郊外などを掲載しています。