<Eesti> 
 秋のバルト三国美しき古都と城を訪
ねて
   <2014.10.9(木)~10.18(土)・ワールド航空サービス社>


    ~10月16日(木)旅行8日目  天気   晴れ~ 






                                  No.18


◆ エストニアのタリン

  ▲ タリンの朝(Hotel Telegraaf)

 皆さん、おはようございます。
 今日はモーニングコールはありませんが、スムーズに目覚めることができました。
 ワールドさんは、ゆっくりタイムが多いから楽ですね。
 今日も朝食後Tさんのご厚意で希望者が7時45分にロビーに集まって朝の散策に出ました。


 まず、朝食の模様ですが、その前にホテルの評価を申し上げます。
 湯沸かしはないけれど、シングルベッドながらバスタブ、トイレなどの水回りも良好、旧市街の中心部にあり、今回の旅行で最高のグレードのホテルといって良く、文句なしのA評価です。

 次に朝食ですが、パン、コーヒー、野菜、ハムなどの肉類、卵、果物などが豊富にあり、肝心な味も大変良かったので、こちらも「文句なしのA」評価でした。


   <アンティーク調の電話機>

   <大盛りの朝食>

 ところで、私たちの部屋にあった電話機ですが、ご覧のように古めかしいものが設置されていました。
 また、朝食の方ですが、相変わらずの大盛りで品のない盛り方ですから、「お行儀が悪い?」とかみさんから叱られそうですね。

 さて、朝食後の散策ですが、ホテルが面しているヴェネ(Vene)通りの北側に東方向に向かう細い路地がありますが、この有名な「カタリーナの通路」を通って旧市街のメインストリートのヴィル通り入口のヴィル門に向かうようです。



  <カタリーナの通路>

   <ドミニコ会修道院の壁>

 いやー、いきなり「旧市街で最も美しい!」といわれているカタリーナの通路に案内されたのですから驚いてしまいますね。
 小生は、左側に見える壁の向こう側には地図で「St.Catreyine’s Charch」という表示が見えましたので、近くにカタリーナ教会があると思っていたのですが、この壁が「ドミニコ会修道院」のものとは思いませんでした。
 でも、それで良いのですね。ドミニコ会修道院の歴史は、地球の歩き方に出ていますが、1513年の火災で廃墟となっていて、公開されているのは、かつての教会と中庭の部分、そして修道僧の居住区だった部分の二つだといいますから、活動しているドミニコ会修道院が存在していないようです。
 ところで、カタリーナの通路に写っている壊れた石のようなのものは、聖カタリーナ教会にあった14世紀~15世紀の墓石を修復したものだというから驚きですネ。


   <カタリーナの通路2>

   <カタリーナの通路3>

 こうしてみると、この通りは歴史を感じさせる美しいものでした。
 通路2の写真は、墓石が右側にありますので、歩いてきた方向を振り返って見た光景です。また、通路3の写真も同じく振り返って見た光景ですが、通路にかかる小さなアーチ状のもの(梁?)が朝日に輝いて光っていました。
 この通りをさらに進んで行きますと、セーターの壁で有名なMuurivaheという通りに出るようです。



   <カタリーナの通路4>

    <Muurivahe通り>

 通路4の建物の下を過ぎると、右側のMuurivaheという通りに出ました。
 この写真には、右側にタリンに現存する城壁の二つの内の一つで、この壁の登り口になっているヘルマン塔ではなく、ムンカデタグネという塔(Munkade tagune towr)が写っています。
 でも、私たちは、この見晴らしの良い城壁に上ることはありませんでした。
 さて、Muurivahe通りの左側には、「KATARINA KALK」と表示している赤と紺色の旗が下がっていますが、その下にカタリーナの通りの入口があります。


    <ヘルマン塔>

    <ヴィル通りのヴィル門>

 ここをさらに南に向かっていきますと、通りの左側には「Vana Wiru」と表示されたホテルがあり、その先にはムンカデタグネ塔と同じような形のヘンルマン塔が見えています。
「南に向かって歩いているのに右側に城壁が写っているのは変だ?」
 そうなのです。城壁と塔が写っているこの2枚の写真は振り向いて撮影したものなのです。

 さて、こうして、街の入口とでもいうべきヴィル門に無事、到着しました。
 この後は、このヴィル通りを西に向かって歩き、旧市庁舎などがあるラエコヤ広場を目指しました。


   <ヴィル通りの西方向>

 <足を組んでいる牛に睨まれている?>

 朝早いことから人がまったく見えませんが、この通りが、ヴィル門からラエコヤ広場まで約500mの区間の旧市街のメインストリートであるヴィル通り(Viru tanav)です。
 この区間には、飲食店や、お土産屋などが建ち並び、毎日、大勢の人々で賑わっているそうです。
 中央の奥に見える尖り棒のような塔は、旧市庁舎の塔です。

 小生が牛の彫像と一緒に椅子に座っているところは、ヴィル門から見ると左側にあるGood Winというステーキハウスです。

 ヴィル通りを進んで行きますと、私たちが宿泊しているホテルが面しているVene通りとその南方向のVana turgという通りに突き当たりますが、この交差点を左折するとすぐにVanaturu Kaelという細い通りの交差点が見えてきました。



   <Vana turg通りの左方向>

    <ヴィル通りの東方向>

 上の写真2枚の交差点は、4つの通りが交差しているといっても良いのですが、左上の写真の右側手前にVanaturu Kaelという通りがあり、その右側には、Baltic Amberという表示の建物があります。


<Vanaturv Kael通りの入口>
   <ラエコヤ広場>

 私たちが女性像と記念撮影しているところには、その左側で「Vana turg 1」という表示がありました。旗の後ろにある建物は、旧市庁舎のようです。
 この通りを真っ直ぐ進んで旧市庁舎を過ぎますと、ご覧のようなラエコヤという広場がありました。
 ラエコヤ広場には、もう一度訪れるようですから、その時に説明したいと思いますが、折角、撮影した広場の光景ですから2枚ほど掲載しておきます。


 <ラエコヤ広場から見える教会の塔>

   <ラエコヤ広場の旧市庁舎>

 ここまでは、朝の散策で見えたタリンの旧市街ですが、この後はホテルに戻って9時00分にロビーに集まってタリンの主たる見どころを見学する予定になっています。

 順番が逆になってしまいましたが、タリン旧市街の見どころを勉強しておきたいと思います。



<エストニアとタリンの予備知識>

 エストニアの首都タリンは、バルト海のフィンランド湾に臨む港町で、中世ハンザ都市の雰囲気をそのまま残し、多くの観光客を魅了している。
 エストニアの人口は約131万人(うちタリン約41万人)
 面積は4万5227平方㎞(日本の約8分の1)
 公用語 エストニア語
 通貨 ユーロ
 時差 -7時間(サマータイム-6時間)
                  
                  (在エストニア日本国大使館のエストニア案内から)


 という堅い話はこれくらいにして!
 タリン旧市街全体が分かる話から始めたいと思います。
 まず、その歴史の話からですね。

 タリン旧市街は、中世ドイツ風の街並みが残り、優れた景観と保存状態の良さが認められ97年に世界文化遺産に登録されました。

 この町は、中世から近代まで「レヴァル」と呼ばれていて、13世紀から16世紀までバルト海沿岸貿易を独占していたハンザ同盟に加盟し、西洋とロシアを結ぶ中継交易などで繁栄しました。

 「タリン」に改称したのは、1918年にエストニアが共和国として最初に独立した時のことです。
 「タリン」とは、エストニア語でデンマーク人の城という意味で、13世紀にデンマーク王が築いた軍事拠点、トームベア城にちなんでいるそうです。

 さて、主な見どころですが、支配者や貴族たちが居を構えた「山の手」とか「トームペアの丘」と呼ばれる高台にある地域と商人や職人たち市民が築き上げた「下町」とに分かれています。

 同じように話が堅い!!??



 私たちが最初に訪問した場所は、このうちの市街を見下ろす「山の手地区」でした。この地区には、トームペア城、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂、聖マリア大聖堂などありますが、エストニア支配の拠点として、大国に翻弄された歴史が凝縮されたところだとされています。

 私たちは、バスで山の手地区に向かったのですが、バスの乗った場所は、ホテルの前からではなく、カタリーナの通路などを通った朝の散策と同じコースで向かったヴィル門付近でした。



  <聖カタリーナ教会西側正門>

   <教会西部にあった墓石>

 朝の散策と同じコースでしたが、別な角度からの写真が撮影できましたので、掲載しておきました。
 ドミニコ修道院もカリーナ教会も、小生の旅行記ではその姿が描かれていませんので、分かりづらいのですが、私たちが宿泊したホテルがあるVene通りにある聖ペトロ・パウロ教会の奥にドミニコ修道院の中庭があるそうです。
 そして、カタリーナ教会は、ドミニコ修道院に併設されていたそうです。

 さて、話を私たちが訪問した「山の手」に戻しますが、まず、ヴィル門付近でバスに乗車しました。



   <ヴィル門の中側>

    <ヴィル門の外側>

 バスがどの通りを走ったのか正確には分かりませんが、ヴィル門からParnu街道を西に向かって走りますと、やがて聖ヨハネ教会(セントジョンズ教会)や自由広場(ワバドゥセ広場)を右に見てからToonpea(トームペア)という通りと交差しますので、この通りを左折してトームペア城付近でバスを降りたようです。


    <聖ヨハネ教会の尖塔>

     <自由広場>

 聖ヨハネ教会(セントジョンズ教会)は、伝道者聖ヨハネに捧げられている教会で、1862年に建設がはじまり、1867年に開設された比較的新しい教会だそうです。

 また、自由広場(ワバドゥセ広場)は、かつての城門の一つ「ハルユ門」があった場所ですが、広場自体は2009年に完成した比較的新しい広場です。

 広場に面して建っている四角の建物は、アートギャラリーまたはアートホールのようです。
 右写真の中央に見える尖塔は、方向と形からスエーデン人が使用する聖ミカエル教会のようですが、聖ニコラス教会の方向でもあります。

 左側の十字架の塔は、1991年8月20日に独立したことを記念して建てられた「エストニア独立戦争戦勝記念碑」です。
 この近くには桜の木が植えてある日本大使館があるそうですが、良く分かりませんでした。



   <のっぽのヘルマン>

 <アレクサンドル・ネフスキー大聖堂>

  <トームペア城>
 さて、バスを降りますと、トームペア城の南西の塔「のっぽのヘルマン」が私たちを歓迎するように3色旗がひらめいていました。

 トームペアは、石灰岩の層でできた高さ24m(海抜47m)の丘で、市街を見下ろすところにあることから常に権力者の居城にとなったところでした。

 
 

 トームペア城は、かつてエストニア人の砦があった場所に、13世紀から14世紀にかけてデンマーク軍が建てた城です。
 トームペア城は、北側、西側の外壁と3つの塔が15世紀の当時の姿をとどめていて、裏側からから見ると、かつての城の姿が容易に想像できるそうですが、上の<のっぽのヘルマン>の写真が裏側になると思います。
 なお、トームペア城には、現在、政府の一部と国会議事堂が入っているそうです。

 さて、Toonpea(トームペア)通りの北側には、タマネギの頭のような尖塔と鮮やかな色使いの建物が印象的な「アレクサンドル・ネフスキー大聖堂」が建っていました。
 この教会は、1901年に支配者の帝政ロシアによって建てられたロシア正教会です。
 それにしても、ロシアから独立した国の国会議事堂のそばにロシア正教が「デン」と建っているのは、エストニアの人々からすれば気持ちの良いものではないと思うのですが・・・。

 アレクサンドル・ネフスキー大聖堂を右手に見ながらToom-kooliという通りを北に向かって交差するRutu通りとKiriku plats通りを過ぎますと、「聖マリア大聖堂」の尖塔が見えてきました。



   <聖母マリア大聖堂>

   <聖母マリア大聖堂>

 こうして聖母マリア大聖堂に到着したのですが、その周辺にあった興味深い光景もご覧いただきましょうか?


   <国旗と人物像の建物> 

 <大聖堂前のToom-kooli通り>

 エストニア国旗と人物像が掲げられている家は、Toom-kooli通りにあったのですが、人物像にVoldemar Panso、1920 1977などの文字が看板に書かれていました。帰国してから「この人はどういう人なのかな?」と思い、調べたのですが、ヴォルデマール・パンソというエストニアの俳優・プロデューサーなどをしていた人で、建物は現在、博物館になっているそうです。

 また、右上の写真は、私たちが歩いてきたToom-kooli通りを大聖堂前から撮影したものです。

 聖母マリア大聖堂は、1919年にデンマーク人がトームペアを占領して建設したエストニア最古の教会です。
 私たちは中に入りませんでしたが、薄暗く古式騒然とした空気に包まれているそうで、教会であると同時に大規模な墓所でもあるそうです。
 そのため、壁には、無数の墓碑銘や紋章があり、また、墓標、石棺、墓石が残っているといいますから日本のお寺のような存在なのかも知れませんね。

 さて、この周辺には大聖堂以外に大聖堂付近に美しい建物がありました。別アングルの大聖堂の光景とともにご覧いただきましょう。



   <聖母マリア大聖堂前>

   <聖母マリア大聖堂>

   <エストニア騎士の館>

  <エストニア科学学会>

 しかし、この二つの美しい建物の正体が不明で困ってしまいました。
 左上の緑の建物は、英語では、「Estonian Knighthood House」と表示(エストニア語では、Eestimas ruutelkonna hoone)していますので、日本語では、「エストニア騎士の館」と表示されているようです。

 建物の説明も、「エストニアで結成されたドイツ貴族のための建物で、1845年から1848年に建設(その前は1684年の大火災で焼失)したもの。かっては外務省や国立図書館として使われ、2009年からはエストニア芸術大学の校舎の一つとして使われている。」そうですが、現在は「史跡」という表示がありますので、大学としては使われていないのかも知れませんね。


 また、右上の「エストニア科学学会」という建物は、「ヴァンゲルン・シュテンベルク宮殿」という表示があり、また、「リヴォニア貴族の一家が1868年に建築した建物で、トームペアにある建物としては、比較的新しいもの」という説明を見つけました。
 でも、どうもよく分かりません。リヴォニアなどについてウキペディアなどで勉強する必要がありそうです。


 ◆ タリンの展望台

 さて、エストニア科学学会などからはタリンの街並みが一望できる展望台に向かいました。
 トームペアには、有名な展望台が二つありますが、最初に向かったのは、距離が近い「コフトゥ展望台」でした。



   <コフトゥ展望台の左側>

    <コフトゥ展望台の右側>

 コフトゥ展望台(Kohtuotsa Vasteplats)は、バルト海、旧市街地、新市街地が一望できるおすすめの展望台です。
 左上の画面には、赤い塔が重なる中に高く突き出ている尖塔が印象的な聖オレフ教会などが見えています。
 また、右の画面には、遠方にバルト海、新市街地の近代的な建物、中央に旧市庁舎の尖塔などが見えています。

 「この展望台で二人が記念撮影したはずだ!?」という声が聞こえそうですが、寒さにガタガタ震えながらの冴えない顔の二人でしたので遠慮しました。

 コフトゥ展望台の見学が終わりますと、北側にあるもう一つの展望台パットクリ展望台(Patkuli Vaateplatvorm)に向かいました。



   <パットクリ展望台>

   <展望台の土産品店前の人形>

  <展望台前の店の展示品  

   <同じく展示品>

 パットクリ展望台からは、聖オレフ教会と手前の尖り棒のような屋根の家々が印象的ですが、旧市街の美しい光景を見ることができます。
 展望台にあった土産品展の前には、ご覧のような人形などが展示されていました。








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 このページ(No.18)は、中世の空気を今に伝えるエストニアの首都タリンにて観光と散策を楽しんだ様子を掲載しています。