<Eesti> 
 秋のバルト三国美しき古都と城を訪
ねて
   <2014.10.9(木)~10.18(土)・ワールド航空サービス社>


    ~10月16日(木)旅行8日目  天気   晴れ~ 






                                  No.19


 展望台での見学が終了しますと、山の手地区から下町に向かいました。
 大きな目標としては、下町のラエコヤ広場に向かうのですが、まず、コフトゥ通りなどを通って聖母マリア教会近くの政府機関の建物やエストニア騎士の館、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂などを見ながら「聖ニコラス教会」に向かったのです。


     <政府機関の建物>

   <エストニア騎士の館> 

    <長い足通り>

 <アレクサンドル・ネフスキー大聖堂>

 途中、コフトゥ通りを過ぎますと、長い足通りといわれるPikk jalg通りと短い足通りといわれるLihlke jalg通りを歩きました。
 アレクサンドル・ネフスキー大聖堂の近くには、「Bacapott」というスープが人気のカフェなどがあり、この辺りから急な坂道が多いという「短い足通り」に入ったようです。



   <カフェBacapott>

   <土産物品店Souvenir>

    <短い足通り>
 短い道を歩いて行きますと、やがて現在は宗教芸術作品のみを展示する博物館となっている「聖ニコラス教会」に出ました。

 1230年代にドイツ商人によって建てられた教会で、第2次世界大戦で破壊されましたが、1980年代に修復されました。
 展示品の中では、ベルント・ノトケの美しい絵画「死のダンス」や「主祭壇」などが見どころとなっているそうです。

   <聖ニコラス教会の裏側>

   <聖ニコラス教会>

    <教会の井戸> 

 私たちは、残念ながら教会の中には入りませんでした(午後に再訪問して入場)が、教会から続くラタスカエヴ(Rataskaevu)という通りを歩いて行きますと、途中に小さな広場があり、写真のような屋根付きの井戸がありました。
 ガイドさんの説明では、中世では井戸の中に悪霊が住んでおり、生け贄を捧げなければ、井戸が枯れてしまうとされていたそうです。
 そのため、私たちの身近にいるある動物を井戸に放り込んだそうですから、恐ろしい話ですね!
 ところで、井戸の後ろにいくつかの国旗がはためいている建物がありますが、Hermitageというレストランが入っているホテルのようです。

     <Dukri通りの建物>   この井戸と国旗がはためく建物の前にあるラタスカエヴ通りからDunkriという通りに入ってラエコヤ広場に向かったのですが、この街は、どこを歩いても美しい建物が並んでいて本当に楽しいものでした。 

 ラエコヤ広場の象徴のような旧市庁舎など広場の光景は、すでに掲載していますので、省略したいと思ったのですが、広場の説明をしていませんでしたので、再掲します。

 この広場は、旧市街、下町の中央にあり、デンマーク王がトームペア城を築く以前からスカンジナビアの商人たちが市を立てていて、以来、1896年まで市場として機能してきました。
 広場は、祭りや結婚式などが行われる場所でもあったのですが、今でもコンサートなどが開催されています。

    <ラエコヤ広場>

 14世紀には、広場の南側に市庁舎ができ、それ以来、ここは、「市庁舎(ラエコヤ)広場」と呼ばれるようになったのです。
 1695年には、オムレツの味を巡って僧侶とウェイトレスが言い争い、僧侶がウェイトレスを殺害し、僧侶が公開処刑された場所が広場の北東にあるそうです。

 ラエコヤ広場の中央からは、旧市庁舎、聖ニコラス教会、聖霊教会、聖オレフ教会、聖母マリア大聖堂など旧市街の主要な塔を全て見ることができきます。
 でも、小生には、広場から見えている尖塔がどこのものなのか「さっぱり」分かりませんでした。
 旧市庁舎の後ろ(南側)に見える尖塔は、聖ニコラス教会でしょうか?

 さて、広場に到着したときに話を戻していただいて、その模様と「市議会薬局」という建物などを併せてご覧ください。


  <ラエコヤ広場に到着!> 

    <広場の売店にて>

   <市議会薬局>

   <市議会薬局の看板>

 市議会薬局は、1422年にはすでに3代目が経営していたという記録が残っており、ロシアの皇帝も薬を注文していたそうです。
 建物の正面には、ご覧のような蛇が巻き付いた薬学を象徴する杯が掲げられていました。


    <市議会薬局の入口>

     <市議会薬局の内部> 

 さて、中に入りますと、現在も薬局として営業していますので、通常の薬のほかハーブティなどがあり、奥には「焼き蜂」などの中世の怪しげな薬が展示されていました。
 キュカンバーのハンドクリームを買った人が多かったようですが、わが家はどうしたのかな?

 ここからは、ラエコヤ広場からその尖塔が見える「聖霊教会」に向かいました。



   <左の建物が聖霊教会>

     <聖霊教会の大時計>

 聖霊教会は、14世紀の初めにはすでに記録がある古い教会ですが、タリンの教会では異色の教会であると言われています。旧市街にあるほかの教会が当時の貿易商人など豊かな上流階級の人々のために建てられたのに対し、、貧しい人々のための教会だったからです。そのため、「貧者の聖書」と呼ばれる新旧約聖書の物語を表した57枚の絵が描かれており、文字が読めない人々の教化に使われたのです。

 建物的にも、タリンに現存するゴシック様式の教会としては、最古のもので、市庁舎と聖霊教団救貧院付属の礼拝堂として建てられています。

 ピック通りに面している教会の大時計は、1684年製で、タリンで最初に取り付けられた公衆時計です。その四隅には複音書記者の彫像が彫られています。

 聖霊教会の見学が終わりますと、タリンの北側にある聖オレフ教会や、三姉妹、太っちょマルガリータなどを見学するためにピック(Pikk)通りを北に向かって歩きはじめました。


  <ピック通り左側のピンクの建物>

    <同じ場所の右側の建物> 

 最初に見えてきたのは、聖霊教会がピック通りに面しているところに小さな箱庭のようなところがありますが、そこから通りに向かいますと、左側に2階の中央ベランダから国旗が下がっているピンクの大きな建物が目に飛び込んできました。

 分かりやすく申し上げれば、聖霊教会の目と鼻の先にピンクの建物があったものですから、思わずシャッターを切ってしまいました。
 中央の国旗は、上が白、中が青、下が赤の3色の横縞のものですが、ロシア国旗でしょうか?

 ここをさらに進みますと、ピック通りの支流のようなOlevimagiという狭い通りが右手に見えてきますが、その手前の左手には、青色の金十字の国旗がたなびいているスウェーデン大使館がありました。



   <スウェーデン大使館> 

   <ブラック・ヘッドギルド> 

 ガイドさんが私たちに案内したかった建物は、スウェーデン大使館ではなく、その右隣の黄色の建物です。
 この建物が「ブラックヘッド・ギルド(会館)」といわれる建物です。

 ギルドと呼ばれる建物は、ほかにピック通りの聖霊教会付近にグレード・・ギルド(大ギルド会館)という建物がありますが、撮影していませんでした。
 こちらは、大ギルドの集会やパーティー、結婚式などに使われてきた建物で、現在、「歴史博物館」となっています。
 ギルドは、同じ職業の人々が争いを避け、互助を行うために作った組合のような団体で、いくつかのギルドがあったそうです。
 でも、この大ギルドは、市長や議員はすべてここから選出されたそうですから、最も権威が高い組織だったのではないでしょうか?

 さて、話が大ギルドにいってしまいましたが、ブラック・ヘッドギルドは、まだギルドに入る資格がなかった若い独身商人たちが1399年に結成した組織で、町の防衛や祭りの進行を担っていたそうです。
 この建物は、1517年からギルドの会館として使われていて、1531~32年に大がかりな増築が行われ、1597年にはオランダ風のルネッサンス様式に改築されています。
 写真のように正面の壁(ファザード)は様々なレリーフで装飾されています。


 さて、Olevimagi通りとの交差点を過ぎてピック通りをさらに北に進んでいきますと、左側に17世紀にオランダ商人の妻が殺害されて以来、夜な夜な不審な音がするようになったことから名付けられた「幽霊通り」という名の通りが現れます。(おおっ、恐!!)

 ここをさらに北の向かっていきますと、左側に旧市街で最も高い塔がある「聖オレフ教会」が見えてきます。でも、私たちは、さらに先の左側にある「3人姉妹」を先に見学するそうです。


    <3人姉妹> 

    <3人姉妹、中央の建物> 

   <3人姉妹、左側の建物> 
 3人姉妹は、15世紀に建てられた住宅の集合体で、美しく飾られたファサードが女性的な雰囲気を持つことから「3人姉妹」と呼ばれています。
 ライ通りにも同じような住宅の集合体があり、こちらは厳格な表情から「3人兄弟」と呼ばれているそうです。
 

 写真のように建物の正面上部には、突起物のようなものが見えますが、屋根裏の倉庫に物品を引き上げられるようにクレーンが設けられていたそうです。
 現在、3人姉妹は、スリー・シスターズ(The Three Sisters)というホテルになっています。
 私たちは、今晩、このホテルでエンペラーズメニューの夕食をいただくことになっています。


 3人姉妹を過ぎると、正面には、ピック通りを塞ぐように門が見えるところに出ました。
 この門が、「ふとっちょマルガレータ」といわれる砲塔と見張り塔の間にある「スール・ランナ門」です。
 しかし、門の中からは、ふとっちょマルガレータが写っていませんので、門を通過したところからの光景も併せてご覧いただきましょう!



  <スール・ランナ門>
    

   <太っちょマルゲリータなど> 

 スール・ランナ門を通過してから撮影した右側の写真のように、左側にふとっちょマルゲレータの一部が写っています。
 そこで、建物の姿をご覧いただきましょう!


「なるほど、ふとっちょだね!」といいたくなる形の建物ですが、街の最も重要な出入り口を守るため1529年に建てられた砲塔だというのですから、驚きですね。直径24m、壁の厚さ4.7mだそうですから、まさに名は体を表しているのでしょうね。(現在は海洋博物館)

   <太っちょマルゲレータ>

 その使い方にも変遷があって、砲弾が発射されなくなってからは、倉庫や、兵舎、監獄として使われたそうです。
 ここが監獄として使われていた頃、囚人の食事を切り盛りする「ふとっちょ」のおかみさんがいて、彼らから尊敬と畏敬の念を持って慕われていた彼女の名前が「マルガレータ」というそうで、それが塔の愛称になったという話です。

 ここからは、ピック通りから東方向のUus通りに出て、Stolting Towerという赤い塔などを楽しみながら、Olevimagi通りとAiaという通りの交差点で右折してOlevimagi通りに入り、途中でVene通りに入りました。


   <Uus通り>

  <Stolting Tower>

 <Aia通りなどとの交差点付近>
 Vene通りに入りますと、白い2階建ての建物が目に入ってきましたが、この建物は、東方正教会(Orthodx Church)でした。
 その手前(北側)にあった城壁のような建物と併せてご覧ください。
 教会の反対側の建物は、「Tallinn City Museum」となっていました。
 

    <Vene通りの城壁?>

    <東方正教会>

 何のためにVene通りに出きたのか?
 それは、この通りに私たちがお世話になっているテレグラフホテルがあり、この日の昼食(自由)をホテル付近のレストランでいただくためです。
 そのレストランの名前は、イタリアンレストランの「La BOTTEGA」です。
 場所は、ベネ通りを南に向かってテレグラフホテルを過ぎて右側になります。
 それにしても、言葉が通じませんし、何をいただいて良いのか困ってしまいました。
 幸い、ツアーの皆さんの中に外国語が堪能で、イタリア料理に精通している方がいらっしゃいましたので、その方と同じもの(パスタ)をいただきましたが、雰囲気に飲まれて味などは、さっぱり理解できませんでした。


 <レストランLa BOTTEGA>

    <パスタ>

 昼食が終わりますと、「死のダンス」が有名だという「聖ニコララス教会」に向かいました。
 現在、聖ニコラス教会は、博物館として利用されていますが、天に向かって真っ直ぐ伸びる尖塔が印象的な教会です。
 場所は、ベネ通りを南に向かってヴィル通りに出て、右方向(西)に歩きますが、トームベアにある城や教会などを見学したときにこのページの中程の外観を見ていました。


   <聖ニコラス教会>

    <聖母マリアの祭壇>

 こうして、私たちは教会の中に入ったのですが、教会の代名詞とも言える15世紀の絵画「死のダンス」を見学しなかった?のです。
 といいますと、嘘になりますが、法王や、皇帝、皇女、枢密卿、国王などが「いやいや」ながら「死(骸骨)」とともにダンスを繰り広げる様子が描かれているという縦1.6m、横7.5mのカンパスに描かれた作品を撮影していなかったのです。
 また、絵の下には、「死」が語る皮肉に満ちた警句が記されているそうです。

 この警句が「地球の歩き方」に掲載されていて、とても愉快な言葉(日本語訳)でしたので、参考に掲載しておきます。

 【「死」が語る皮肉に満ちた警句】

 みんなダンスに加わりな、法王、皇帝、すべての生けるものたちよ、貧しいものも、富めるものも、大物も小物も、さあ一歩踏み出して、、自己憐憫(れんびん)など役にはたたぬ、おぼえておきな、罪の許しを得るために、善行かさねておきなされ、さあ、おいらのバグパイプにあわせて、みなの衆、今がそのとき踊るとき・・・


 では、何を撮影したのか?ですが、上に掲載した「15世紀の聖母マリノアの祭壇」、15世紀リューベックの職人ヘレメン・ローデの傑作とされる「主祭壇」、工作ギルド組合員による「銀細工」などでした。


<ヘレメン・ローデの傑作「主祭壇」>

 主祭壇は、ご覧のように観音開きになっていて、第二面の左側には、船乗りや、貧しい人々を救済する「聖ニコラスの生涯」が、右側には、異教の偶像を破壊し、殉教した「聖ヴィクトルの生涯」が描かれているそうです。

 教会の見学が2時過ぎに終了しますと、自由行動となっていましたので、帰国に備えてショッピングセンターに向かいました。

 夕刻には、天皇皇后両陛下がお泊まりになったスリーシスターズホテルのお部屋を見学し、ホテルのレストランで「エンペラーズメニュー」をいただくことになっています。


<天皇皇后両陛下のお写真>

 どんなメニューか?
 ・ 新鮮野菜のサン・ダニエーレ産(の)生ハム巻き
    トマトシャーベットと木苺のビネガーソース添え
 ・ 仔牛 鞍下肉のグリル、ソース・ショロン(トマトペーストの入った酸味のあるソース)    がけ
    アスパラガス・トマト・トリュフ・マッシュドポテト添え
 ・ 温かいカヌレ(フランスの焼き菓子)
    バニラアイスクリームとピスタチオ添え

 となっています。
 昭和天皇皇后陛下が召し上がったメニューだそうですから、緊張して料理の味を吟味する余裕などありませんでした。

 明日は、旅行9日目ですが、バルト3国にさよならを告げて日本に帰国する日でもあります。 ホテルを12時30分に出発となっていますので、午前中は自由行動です。
 Tさんが私たちを飽きさせないようにどこか見学先を予定しているようです。







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 このページ(No.19)は、中世の空気を今に伝えるエストニアの首都タリンにて観光と散策を楽しんだ様子を掲載 しています。