<Lietuva>
 秋のバルト三国美しき古都と城を訪
ねて
   <2014.10.9(木)~10.18(土)・ワールド航空サービス社>


     ~10月10日(金)旅行3日目  天気 晴れ~







                                  No.4


 
◆ リトアニアの首都ヴィリニュスの「ゲディミナスの塔」

 まず、赤い屋根が印象的なリトアニア国立博物館をご覧ください。


  ≪紅葉の国立博物館≫ 

    ≪国立博物館の裏側≫

 ここから考古学資料館展示館のそばに設置されているリフト(丘の高さが約50mですから歩
いても15分ぐらい)に乗ってゲディミナスの塔に向かいました。


   ≪リフト乗り場≫

  ≪リフト乗り場の壁に秋の気配≫

 ゲディミナスの城は、13世紀から建設が始まり、まず、はじめに丘の上の城が築かれ、その
後、16世紀までに下の城もほぼ完成し、大聖堂や現在博物館として使われている武器庫なども
この頃の城を構成して建築物だとされています。
 ゲディミナス大公がトラカイからビリニュスに遷都したのは、「鉄の鎧を着けたオオカミの夢
」を見たことが原因だという話が人々に語り継がれているというのですから面白いものですね。


  ≪丘の北東側、工芸博物館≫ 

   ≪ゲディミナス塔≫ 

 ところで、ゲディミナス城の大部分は19世紀初めにロシアの命令によって破壊されましたが
、大聖堂裏手にあった王宮は再建が終了し2013年にオープンし、博物館として公開されてい
ます。

 また、右上の写真の「ゲディミナス塔」は、現在残っている城壁の塔で監視塔として使われて
いましたが、現在は博物館と展望台になっていて、ヴィリニュスの歴史とパノラマを同時に楽し
める建物となっています。

 なお、塔の登り口の右手には、「バルトの道(人間の鎖)」の起点を示すプレートがありました


 バルトの道(人間の鎖)とは、1989年8
月23日にソビエト連邦のの統治下にあったバ
ルト三国で独立運動の一環として行われたデモ
行進のことです。

 およそ200万人が参加して手をつなぎ、3
旧和国を結び、約600㎞以上の人間の鎖を形
成したのです。

  ≪バルトの道のプレート≫

 このデモンストレーションは、バルト三国のソ連併合を認めた独ソ不可侵条約秘密議定書50
周年を期して行われ、三国が共通の歴史的運命を共有していることを国際社会に訴えるために行
われたそうです。プレートには、「バルトの道 リトアニア-ラトビア-エストニア 1989
年8月23日」との文字が記されています。
 それにしても、こういう歴史があるとは知りませんでしたので、驚きましたね。

 さて、塔の上からは旧市街と新市街が一望できますし、塔の北側にあるリトアニア国立博物館
や、考古学資料展示館、南西の大聖堂、王宮なども目に飛び込んできます。


  ≪ヴィリニュスの新市街≫

  ≪王宮と大聖堂≫

 まず、左上の写真ですが、手前に赤い屋根の国立博物館、そして、その向こうには北を流れて
いるネリス川と高層ビル群が建っている新市街が見えています。
 次に、右の写真ですが、白い建物の手前が王宮で、奥が大聖堂になっています。
 塔から見ますと旧市街の南西方向になりますが、王宮と大聖堂の前に見える樹木の後ろの赤い
屋根の低層の建物は、政府機関(リトアニア共和国の総務省)です。
 さらに、左方向を望みますと、ヴィリニュス大学・聖ヨハネ教会、大統領官邸などが見えるは
ずです。


   ≪大学と聖ヨハネ教会の塔≫

  ≪ゲディミナス城址≫

 などと勝手に説明していますが、聖ヨハネ教会の塔が微かに見えるくらいですね。
 さて、右側の写真ですが、これは、塔から見ますと右側の北東にあるゲディミナス城の跡のよ
うです。
 さらに、ここからは「3つの十字架の丘」が小さく見えているのですが、残念ながら小さすぎ
て確認できませんネ。
 伝説によると、この丘でフランシスコ派の僧侶7人が殺害され、そのうち3人が磔にされたこ
とがあったそうです。彼らを祈念して17世紀ぐらいから十字架が建てられ、後に3つの十字架
が建てられたそうです。
 しかし、ソ連占領の初期に破壊されてしまいました。
 独立運動の高まりとともに再建され、1989年6月14日に除幕式が行われ、再び市街を見
下ろす丘にその姿を現したそうです。


   ≪紅葉が美しいヴィリニュス≫

   ≪聖アンナ教会など≫ 

 左上の写真は、今回の旅のテーマである「バルト三国の秋」に相応しい光景が広がっていまし
た。
 右上の写真に写っている光景は、ヴィリニュス大学・聖ヨハネ教会の東側に見える聖アンナ教
会やミカエル教会、ベルナルデキン教会かも知れません。


 その後、再びケーブルカーに乗って下に降りて考古学資料展示館や国立博物館の前を通り、大
聖堂に向かいました。



   ≪考古学資料展示館≫

    ≪国立博物館≫

  ≪下から見えるゲディミナスの塔≫

   ≪考古学の看板≫

 大聖堂に向かう途中では、ご覧のような面白い光景が広がっていました。
 右下の蛇の首のような恐竜が描かれている看板には、「ARCHAEOLOGY」という大き
な文字が見えますが、これは、「考古学」という意味のようです。
 その下の英語の文字では、「先史時代のリトアニア」という意味の説明もありました。

 やがて、国立博物館の前に出て、その先を進むと、大聖堂と再建された王宮があるカテドゥロ
ス広場に着くはずです。



   ≪国立博物館前の像≫

   ≪博物館前からの王宮≫

  リトアニア国立博物館は、かつての武器弾薬庫を改装したもので、リトアニアの古代から現
代に至る長い歴史に関する展示や文化について紹介していますが、私たちは、中に入って見学す
ることはできませんでした。(時間がなかった?)
 ところで、正面にある像は、1236年に王位に就いたミンダウガス公(Mindaugas
在位1236~1263)で、この方は初代、唯一のリトアニア国王だそうです。

 ここを通り過ぎて右写真の紅葉している樹木の奥には、大聖堂の鐘楼が見えてきました。



   ≪大聖堂の鐘楼≫

  ≪大聖堂の入口≫ 

 最初に感じるのは、「高い鐘楼を従えた巨大なギリシャ神殿」というものでした。
 この大聖堂は、13世紀に十字軍の弾圧から逃れるため、ミンダウガス王がキリスト教を受け
入れて最初に建造したカソリック教会ですが、後に彼が暗殺されて、この地も自然崇拝の聖地に
戻されてしまったそうです。その後、14世紀にリトアニアが再びキリスト教化されたことから
、教会が建て直され、その後も改築が行われ、18世紀の大改築を経て現在のクラシック様式の
建築物となったのです。

 中に入ると、高い天井と直線的な柱、壁の肖像画などがあるが、ほとんど装飾のないシンプル
な構造となっています。



   ≪大聖堂の正面の祭壇≫

   ≪彫刻や壁の肖像画≫

 見どころとしては、リトアニアの守護聖人となったカジミエラス王子(1458~1484)
が安置された17世紀バロック様式の「聖カジミエルの礼拝所」で、大理石と砂岩で造られ、壁
画8体の王の像、漆喰彫刻、フレスコ画などで飾られているといいますが、次の写真をご覧くだ
さい。


 正面の聖カジミエルの壁画には、画家が何度
消しても消えないという3つ目の手があるとい
いますが、見えますか?

 また、側面の絵画のひとつは、120年後に
棺を開けた際にも遺体に変化がなかったという
「聖カジミエルの奇跡」を描いたものだそうで
す。

  ≪聖カジミエルの礼拝所≫

 そんな凄いものなら、たくさん写真を撮影したはずだ!と思いますよね。
 肝心なところで、ボケたものもありましたが、礼拝所の正面などを大きく撮影したものが何枚
かありますので、ご覧ください。


   ≪聖カジミエルの礼拝所≫ 

   ≪礼拝所の右の絵画など≫

   ≪聖カジミエルの奇跡≫ 

 ≪同じく聖カジミエルの奇跡(上部)≫

 これを細かく見ていきますと、先ほど申し上げた
3つの手があるという聖カジミエルの壁画に
は、確かに金色の手が3つ描かれています。でも、小生には、壁画というより彫刻のように見え
てしまいました。
 また、聖カジミエルの壁画の三角の屋根のようなところの上には、右下の写真のように白い聖
母マリアのような彫刻と聖カジミエルの壁画の上の部分が見えています。。
 聖母マリアのような壁画は、聖カジミエルとは別の造りですが、聖カジミエルの壁画と一体と
なった彫刻は、右手に十字架、左手に草花をかざしています。


  ≪カテドゥロス広場からの大聖堂≫
 大聖堂の手前にある鐘楼は高さ53m、基礎
の部分は13世紀の城壁の塔が使われているそ
うです。

 さて、中を見学した後は、大聖堂と王宮が並
んで建っている大聖堂広場で記念撮影に励みま
した。
 とはいっても、私ども夫婦の美しくない顔が
入ったものを公開するのは、遠慮しておきまし
た。
 

 今まで申し上げた以外の大聖堂に関する情報としては、正面の屋根の上にある3聖人の像(聖
スタニスラウス、聖ヘレン、聖カジミエル)は、「ソ連時代には撤去されていたが、1996年
に再設置された。」とか「広場にはゲディミナス公と夢に出てきた鉄の鎧のオオカミの像が建て
られている。」といったところでしょうか?


 肝心なことを忘れている!?
 そうです。大聖堂の隣にある王宮(大公宮殿)のことですが、建物の中ばかりではなく、広場
からの外観も撮影していなかったのです。残念ですが、記事にできませんでした。
 参考までに、リトアニア観光情報局の王宮に関する情報を掲載しておきます。

 
「ヴィリニュスの中心部に位置する、豪華なルネッサンス様式のリトアニア大公宮殿は、15世紀に建てられました。4世紀ほどにわたって栄えた宮殿は、国の政治、外交、文化の中心でしたが、18世紀に初めにロシア帝政政権の命令で取り壊されました。宮殿の再建という動きは、20世紀の終わりにリトアニアの独立とともにやってきました。再建作業は、2002年に始まり、2013年7月6日に正式にオープンしました。再建されたリトアニア大公宮殿の一部は、博物館として開放されています。博物館では、古代遺跡や出土品を通し宮殿の歴史と建築の発展を、ホールでは、後期ゴシック様式からルネッサンス様式への建築スタイルの変遷を見ることができます。」

 さて、次の訪問地ですが、
「大統領官邸」だそうです。
 大統領官邸の場所は、大聖堂から南に歩いてほんの数分の距離のところでした。
 大統領官邸にも秋が訪れているようで、近くの樹木ばかりではなく、壁に張り付いたツタが赤
く、そして黄色に染まっていました。



    ≪壁のツタが紅葉≫

   ≪大統領官邸≫

 ダウカンタ広場にある大統領官邸は、14世紀に司祭の邸宅として建てられましたが、18世紀にロシア帝国に支配されたときには、ヴィリニュス提督の住居となり、ロシア皇帝アレクサンドル1世やフランス王ルイ18世、ナポレオンなど歴史上の著名人がこの宮殿を訪問したとされています。
 1997に改装され、それ以降はリトアニア大統領の官邸となっています。

 その後は、ヴィリニュス大学や聖ヨハネ教会を見ながら東に直線で400~500mの距離にある
「聖アンナ教会」に向かいました。












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 このページ(No.4)は、リトアニアのヴィリニュス観光(ゲディミナスの塔など)の模様を掲載しています。