<Lietuva>
  秋のバルト三国美しき古都と城を訪
ねて
   <2014.10.9(木)~10.18(土)・ワールド航空サービス社>


    ~10月10日(金)旅行2日目  天気 晴れ~






                                  No.5


 
◆ リトアニアの首都ヴィリニュスの「聖アンナ教会」など

 ということで、大統領官邸のダウカント広場からスカダ通りなどを歩いてメインストリートの
ビリエス通りを渡ってMykolo、若しくはBernardnuと表示している通りから聖ア
ンナ教会に向かったようです。(推測!)
 なぜ、こんな説明をするのか?といいますと、その間に興味をそそられた景色を気ままに撮影
したからです。
 まず、大学周辺を歩く様子をご覧ください。



 ≪ヴィリニュス大学と聖ヨハネ教会の塔≫

   ≪同じく大学の構内?≫ 

 そして、ビリエス通りを過ぎて聖アンナ教会に向かう通りにある喫茶店などです。


   ≪地下道が見える≫

   ≪通りの屋外喫茶の店≫

 やがて、家屋(ジュエリーの店)の壁にBernardnuという表示がある所にでましたが
、この先に両側に大きな壁と落書きがある狭い通りがありました。
 ここを2~3分歩きますと、赤い美しい建物が見えてきました。ここが、ナポレオンが惚れた
という聖アンナ教会です。



   ≪Bernardnu通り≫

   ≪聖アンナ教会≫

 聖アンナ教会が赤く照らされて美しい?シャッターを切ったら濃い赤で彩られていましたので
、「びっくり!」でしたが、右上の写真の正面の建物は、聖アンナ教会ではありません!
 そうなのです。二つの教会が繋がっているように建っているのです。
 手前のとんがり棒のような建物が聖アンナ教会で、正面の大きな建物は
「聖ベルナルディン教
会」
だそうです。

 まず、聖アンナ教会ですが、この教会は、1
5世紀に建造されたゴシック様式建築の傑作と
いわれている建造物です。
 33種のレンガを積み重ねた赤煉瓦造りの教
会は、ロシア遠征の途中に寄ったナポレオンが
、その美しさにフランスに持ち帰りたいと語っ
た、という逸話も残されているそうです。

 この後は、正面の緑の公園のようなところか
らこの美しい教会や周辺の様子などを撮影しま
したので、ご覧ください。

 公園のようなところには、写真のような布を
被せた樹木がありました。
 

   ≪樹木に服を着せる?≫

   ≪聖アンナ教会≫

≪聖アンナ教会と聖ベルナルディン教会≫

 さて、聖ベルナルディン教会ですが、ゴシック様式とバロック様式が美味く溶け込んだ教会で
、「炎の教会」とも呼ばれ、北側の壁面は16世紀のフレスコ壁画で覆われています。
 教会は、リトアニア人が帝政ロシアに対して蜂起した1863年に閉鎖されました。また、ポ
ーランドに占領された1919年以降は、ポーランド将校の宿舎として、そして旧ソ連時代には
芸術アカデミーとして使用されていました。
 礼拝堂や側廊は当時のまま残されている(リトアニア観光情報局)そうです。


 この二つの教会を見学した後は、西隣にある聖ミカエル教会(教会遺産博物館)を見学しなが
ら旧市街に戻ったのではなく、聖アンナ教会と聖ベルナルディン教会の横顔が見られる南側の通
りに移動することにしました。
 その間の光景と二つの教会の横顔をご覧ください。と思ったのですが、その前に聖ミカエル教
会でしたね!



  ≪聖ミカエル教会≫
 聖ミカエル教会は、17世紀初頭にリトアニア
大公国の最高位にあったレオ・サビニカにより一
家の廟として建設された教会です。1655年の
コサックの襲撃によって建物の一部は破壊されま
したが、その後、何度か改修が繰り返され現在に
いたっています。
 現在、「教会遺産博物館」となっています。
 

 続いて、いくつかの通りで土産物店や景色を楽しみながら聖アンナ教会と聖ベルナルディン教
会の二つの教会の美しい横顔が見られる南側の通りを目指しました。



  ≪聖ミカエル教会近くの通り≫

   ≪可愛らしい看板≫

   ≪ジュエリーの店にて≫

    ≪人形のおみやげ店≫

 いやはや!こういう光景が広がっているのですから、小路歩きも楽しいものですね。
 ここを過ぎますと、やがてアンバー・ミュージアム(GINTARO MUZIEJUS)と
いう表示がある平屋の赤茶けた屋根が印象的な建物と、その後ろに見える名前が分からない教会
があり、程なくして聖アンナ教会と聖ベルナルディン教会の横顔が見えてきました。


 ≪GINTARO MUZIEJUS≫

   ≪どこの教会?≫

 それにしても、我ながら誠に情けないのですが、どこをどう廻ったのかはっきりしないので、
「こうだ!」といえないのが歯がゆいのです。
 何の話か?、上の写真に金メッキしたような船が見えていますが、この店に立ち寄ってから3
0分ぐらい経過したところで撮影したものが上の2枚ですが、どうやら左上の「GINTARO
MUZIEJUS(アンバー・ミュージアム)」という文字がある黄色の壁の建物がジュエリー
の店(琥珀ミュージアム)のようなのです。
 ということは、Maykoloという通りを当てもなく「うろうろ」して時間を過ごしたとい
うことですね。

 何を言っているのか分からない?そうですネ!


≪聖アンナ教会と聖ベルナルディン教会≫ 

 いかがですか?両教会の横顔が美しく鮮やかに映し出されていますよネ!
 ところで、両方の教会の内部の写真や説明がない?
 そうなのです。中を見学する予定がなかったので仕方がありませんネ(居直るな!)。

 この後は、教会から近い入口の窓ガラスに「Kavine Laras」という表示があるレ
ストランで昼食をいただきました。
 もしかしたら「Kavine」という言葉は、リトアニア語で「カフェ」を意味しているようで
すからレストランではないかも知れませんね。


   ≪Kavine Laras?≫ 

 ≪ツェッペリナイ≫

 ≪スープ≫

 ≪壁の展示品≫

≪Graf Z・・≫

 レストランなのかカフェなのかも分からない?仕方がありませんが、店の中にご覧のような人
物写真や時計、Graf Zeppelinという表示ある絵画?が展示してありました。
 Zeppelinとは、飛行船を意味しているようですが、リトアニア名物の「ツェッペリナ
イ」の形も飛行船の形をしています。
 また、多数の子供が赤い三角の帽子を被っている絵画のGraf Zeppelinという文
字を囲んでいる白い枠も飛行船の形をしています。

 それもそのはずで、添乗員のTさんのメモには、ツェッペリナイの説明がありました。
 この料理は、20世紀初頭に開発され、その後、第一次世界大戦ではドイツ軍によって偵察で
用いられた飛行船ツェッペリンを模したリトアニア名物で、「じゃがいも団子」のことだそうで
す。

 肝心な料理の味?
 A、B、Cで評価すると、最低のC評価でした。
 メインデッシュのツェッペリナイは、じゃがいもと片栗粉を練ったものに牛肉を入れたもので
すが、熱いうちは良いが食感が悪すぎました。
 スープは、味が良かった!
 写真はありませんが、デザートのフルーツもイマイチでした。

 さて、13時30分頃に昼食が終わると、ヴィリニュスからバスで40~50分ぐらい離れて
いるというトラカイ城に向かいました。


   ≪トラカイ城付近の湖≫

   ≪トラカイ城≫

 トラカイ(Trakai)は、ヴィリニュスから西へ約30㎞の距離にあり、ヴィリニュスに
移る前に首都がおかれていました。
 30以上の森と湖に囲まれ、こうした自然の中に赤煉瓦の古城が水面に映える美しい景観を持
っている観光地です。

 私たちのようにツアーの専用バスでは、簡単にトラカイ城が見える絶好の場所まで行くことが
できますが、通常のバスですとバスターミナルから城まで1.5㎞もあるそうです。
 このバスターミナルからは、左側にトトリシュキュウという湖が、右側にルコスという湖が見
えていますが、この両湖に挟まれるように南北に延びるヴィタウトという通りとカライムという
通りを走っていきますと、観光案内所や教会、カライメ博物館、礼拝所などが集まっているとこ
ろに着きます。
 しかし、私たちは、このトラカイの中心部のようなところには寄らずに、その先の湖ガルヴァ
湖の島にあるトラカイ城に向かいました。



   ≪トラカイ城≫

  ≪帆船が浮かぶ湖とトラカイ城≫

 まるで、おとぎの国のような光景を見ますと、思わずシャッターを切りまくることになってし
まいます。
 ここからは、トラカイ城の中を見学するため秋色に染まる小道を歩きながら散策を楽しんだの
です。



   ≪トーテムポール≫

    ≪トラカイ城への小路≫

   ≪トラカイ城の右側≫ 

   ≪橋の先にトラカイ城≫

 こうして赤いとんがり棒の建物が印象的なトラカイ城に到着しました。
 「水面に映える赤煉瓦の古城」という共通点からポーランドの世界遺産の城になぞらえて「小
さなマルボルク城」とも呼ばれているそうです。


   ≪トラカイ城の本丸≫
 トラカイ城は、14世紀に侵略を防ぐことと
祭事などを行う目的から中世リトアニアの君主
ケストゥディスとその息子であるヴィタウタス公により建設されました。
 ヴィタウタス公の死後、権力がポーランドに
移ると、その軍事的重要性を失い、一時はポー
ランド王の夏の離宮として使われたものの、次
第に城は荒れ、廃墟となってしまいました。
 1961年から復元がはじまり、1987年
にはほぼ15世紀当時の姿を取り戻しました。

 さて、城や建物の中ですが、じっくり見学することができました。
 城内に入りますと、大きな中庭が目に飛び込んできました。
 残念ながら、中世の戦いを表すようなものはありませんでしたが、円や三角の屋根に頑丈そう
な厚い壁など、この城が軍事目的だったことが窺えるものでした。



   ≪トラカイ城の中庭≫ 

   ≪北側の堀から湖≫ 

 また、右上の写真のように城に堀があり、堀が深くえぐれていて湖がつながっていたことを想
像させる光景となっています。
 この場所を見た小生の印象は、「なんと美しい赤の城なんだ!」というものでした。



   ≪建物の通路と階段≫

   ≪トラカイ城の美術品≫

 現在、城は博物館として使れており、かって使われていた武具や美術・工芸品、家具などトラ
カイの歴史に関するものが展示されています。
 肖像画は、ケストゥディス公かヴィタウタス公か分かりませんが・・・。



    ≪ヴィタウタス大公?≫ 

  ≪金の壺から金貨がこぼれる?≫ 
 城の本丸には、大公とその家族の居室、客
人との謁見に使われた部屋が9つもあり、右
の部屋は最も大きく美しい!といわれる大広
間です。(下手な写真だね!)

 この部屋は、外国からの賓客を迎えるところ
として使われていました。
 ゴシック様式のヴォールトやステンドグラ
スが印象的な美しい部屋です。

  ≪本丸の大広間≫ 

 こうして、トラカイ城を楽しく見学し、16時15分にバスに乗ってヴィリニュスのホテル戻
りました。18時40分にロビーに集合して外のレストランで楽しい夕食です。



 ≪ホテル部屋≫ 

 ≪ホテルのロビー≫ 

  ≪野菜サラダ≫ 

 ≪メインデッシュ≫ 

 左2枚の写真は、私たち夫婦がお世話になったホテル「ラディソン・ブリュ・アストリア」の
241号室とホテルのロビーです。
 また、右の2枚は、レストランの名前は分かりませんが、美味しそうな料理が用意されていま
した。
 でも、肝心な味は、A.B.Cで評価すると、「C」という最低のものでした。
 小生のコメントは、「野菜が多いのは良いが、魚または豚肉は堅すぎてイマイチ、デザートも
イマイチ」でした。

 そんなことよりも、この場でツアー参加者が自己紹介をしたのですが、皆さん、「ゆったりして
いて、ゆとりがある方々ばかりだな!」と感じました。








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 このページ(No.5)は、リトアニアのヴィリニュス観光(トラカイ城など)の模様を掲載しています。