<Lietuva> |
秋のバルト三国美しき古都と城を訪 ねて <2014.10.9(木)~10.18(土)・ワールド航空サービス社> ~10月11日(金)旅行3日目 天気 曇り~ |
≪肉類のメニュー≫ |
≪クルミなど≫ |
≪ロシア正教会≫ |
≪ヴィリニュス市内≫ |
≪またもやロシア正教!≫ |
≪朝靄が漂う光景≫ |
≪10分前に見えた建物≫ |
≪紅葉のカウナス≫ |
≪命のヴィザの表札≫ |
≪旧日本領事館≫ |
≪旧領事館の入口に向かう≫ |
≪杉原記念館の標識≫ |
≪命のヴィザ≫ |
≪縦に撮影したヴィザ≫ |
≪ビデオ鑑賞≫ |
≪子供の写真や名簿≫ |
≪杉原千畝の執務室≫ |
≪電信第67号≫ |
杉原は、わざと返信を送らせてヴィザ発給要 件に関する本省との論争を避け、領事館を閉鎖 した後になって電信第67号(昭和15年8月 1日後發)を本省に送ったのです。 内容? 行先国の許可や必要な携帯金のない多くの難 民に関しては、必要な手続きは納得させた上で 当方はヴィザを発給している、というもの。 遵法を装っている内容の電信文ということで すね。 |
右の電信文は、ラトヴィアの首都リガの大鷹公使から昭和15(1940)年7月31日(後發)に外務省に送った電文です。 内容は、「メーメル」は領事館の地としては、不適当なので、ケニヒスベルクがよい。ただし、杉原は、正式な総領事などの下で対ソ連関係の事務を行わせるのが適当である、などという松岡大臣あての電信文ですね。 |
≪リガの大鷹公使の電信文≫ |
≪命のヴィザ≫ |
「メーメル」は、バルト海沿いのリトアニア の港湾都市、「ケ(ー)ニヒスベルク」は、1 945年までは東プロセインの中心都市、現在 はロシア連邦のカリーニングラードになってい ます。 左の「命のヴィザ」には、「昭和15年12 月3日至昭和16年1月3日」という福井県の 入国許可の印が押されています。 |
≪領事館の人々と家族≫ |
≪家族との写真≫ |
これらの写真は、いずれも杉原千畝と家族、領 事館で働いていた人々との写真です。 家族との写真には、妻の杉原幸子さん、長男弘 樹さん、次男千暁さん、妻の妹菊池節子さんが写 っているそうです。(右上の写真) |
≪同じく家族との写真≫ |
≪領事館の裏側≫ |
≪希望の門 命のヴィザ≫ |
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