<Lietuva> 
 秋のバルト三国美しき古都と城を訪
ねて
   <2014.10.9(木)~10.18(土)・ワールド航空サービス社>


    ~10月11日(金)旅行3日目  天気 晴れのち曇り~ 






                                  No.7


◆ リトアニアの第2の都市カウナスにて(旧市街の旧市庁舎など)

 ▲ カウナスの旧市街

 カウナスの旧市街は、私たちがお邪魔した杉原記念館から西に2㎞ぐらいの所にあります。
 ところで、カウナスという町は、南のネムナス川、北側のネリス川が合流する地点に旧市街が
あり、14世紀に最初に登場する古い町で中世の面影を残しています。
 15世紀にハンザ同盟の代表部が設けられたことから商業活動の中心地として繁栄した町で、
旧市街にはこの頃のゴシック建築が数多く残っているそうです。

 町の歩き方としては、新市街を貫く独立広場が起点のライスヴェス通りが中心となっていて、
ここにカフェや商店が軒を連ねています。この東西に延びる長い一本道を1.5㎞ほど西に進み
道なりに曲がりますと、ヴィリニアウスという通りに名前が変わり、地下道をくぐると旧市街に
出ます。

 旧市街の中心となっているのが、市庁舎広場で、ここは、ギャラリーや博物館などに使われて
いるゴシック様式の建物に囲まれています。



  ≪ヴィタウタス大公教会≫

   ≪ベルクーナスの家≫

 ところが、私たちが最初に見学したのは市庁舎広場ではなく、広場の南側にあるネムナス川沿
いに建っている
ヴィタウタス大公教会でした。
 ヴィタウタス大公教会は、カウナスの最も古い教会の一つで、美しいレンガ造りの建物はカウ
ナスを代表する建築物の一つになっています。
 15世紀前半、リトアニア大公ヴィタウタス大公がブルスクラ川の戦いで難を逃れたことを神
に感謝するために建立したゴシック様式のカトリック教会です。

 また、
ベルクーナスの家は、ヴィタウタス大公教会の斜め前に建っていました。
 赤煉瓦造りのこの建物は、15世紀後半にハンザ商人によって建てられたリトアニア最初のゴ
シック様式の建物です。
 フライボワイヤン様式(炎の飾りを特徴とする建築様式)の傑作とされ、リトアニアを代表す
る建築物の一つとなっています。
 この場所にリトアニアの主要神格の雷神ベルクナースの像が1818年に発見され、ベルクー
ナスを祀る神殿があったという言い伝えがあるそうです。



  ≪ベルクーナスの家≫ 

   ≪ヴィタウタス大公教会≫ 

 この二つの建物は、旧市街で最初に目に入った美しい建物でしたから、別な角度から撮影した
ものをそれぞれご覧いただきました。
 その後、旧市街の中心部、あの白い市庁舎などがある市庁舎広場に向かいました。



  ≪聖ペトロ&パウロ大聖堂≫

    ≪聖ペトロ&パウロ大聖堂≫

 ベルクーナスの家の前の通路を北に進みますと、聖ペトロ&パウロ大聖堂(カウナス大聖堂)
が右側に見えてきました。
 聖ペトロ&パウロ大聖堂は、15世紀に建設されたリトアニア最大のゴシック様式の建築物で
、その後、何度も改築を重ねたことから、現在ではルネッサンス様式、古典様式、ネオゴシック
様式など様々な建築様式を取り入れた建物になっています。
 教会内部は、祭壇が壁一面に描かれたフレスコ画と彫刻で飾られていて息をのむような光景だ
ということです。


≪白い美しい建物!旧市庁舎≫

 カウナスの歴史を刻んでいる市庁舎広場の中心にそびえ立つのは、バロック様式の旧市庁舎
す。
 16世紀に建設されましたが、当時の白い外装ととんがり棒のような尖塔から「白鳥(Whi
te Swan)」と呼ばれています。
 カウナスで最も美しい建物といわれてますが、リトアニア臨時政府が置かれていたときには、
政権の中枢として、また、シアターや消防署、ロシア人クラブ、収容所などリトアニアが歩んだ
歴史とともに様々な用途で使用されました。
 現在は結婚登記所、セラミック博物館となっています。


    ≪イエズス会教会≫
 市庁舎の左側(南)に建っているイエズス会教
会は、1660年から1720年にかけて建て
られたバロック様式のカトリック教会です。
 ソ連時代には、技術学校の体育館として使用
されましたが、リトアニアの再独立により教会
に戻されました。

 内部の豪華な装飾品が「一見の価値あり」だ
そうですが、見学しませんでした。

 この後、聖ペトロ&パウロ大聖堂の中を見学しますが、大聖堂に向かいながら、また、大聖堂
内部見学後に見えた美しい光景も併せてご覧ください。


   ≪旧市庁舎とイエズス会教会≫ 

  ≪聖ペトロ&パウロ大聖堂に向かう≫

  ≪大聖堂の正面≫

   ≪左写真の拡大画面≫

   ≪白く輝く彫刻≫

   ≪彫刻の数々≫

 中に入りますと、多くの彫刻やフレスコ画で埋められていましたので、小生のようなキリスト
教会が皆同じに見えてしまう人間でも、楽しく大いに見応えがありました。
 正面の祭壇は、12使徒がキリストを囲んでいるようです。

 さて、大聖堂の見学が終了しますと、大聖堂の横を抜けたところにあるベリネリュ・ウジェイ
ガ(Bemeliu Uzeiga)というレストランでリトアニアの郷土料理コールドゥナイ
という水餃子をいただきました。



   ≪写真ギャラリー≫

≪レストラン ベリネリュ・ウジェイガ≫

 左上の写真の赤茶けた建物は、カウナスの写真ギャラリーで、リトアニアだけではなく、東欧
を中心とした貴重な歴史的写真を数多く展示しているそうです。
 レストランに向かう途中にあった建物ですが、時間があれば見学したかったところです。



 ≪人形が歓迎?≫

≪揚げ物入り野菜≫
 人形が歓迎しているのではないようです。小
銭をお盆にのせるように促しているようです。

 さて、料理の味ですが、野菜は中に揚げ物(
七面鳥)が入っていて「まあまあA」、メイン
の水餃子(コルドゥナイ)は「まあまあB」、
甘いチョコアイスは「普通B」といったところでした。

 ≪水餃子≫

 ≪チョコアイス≫ 

 美味しい料理をいただいて、次は長距離のバス移動となるそうです。
 国境を越えてラトビアに入りリガのホテルに向かいます。
 その途中、リトアニアの象徴的な聖地、5万本を超す十字架が立てられているという「十字架
の丘」に立ち寄る予定です。

 十字架の丘は、カウナスからは、北西に向かってシャウレイ(Siauliai)という町を
目指すそうです。そして、シャウレイの北東12㎞のところに十字架の丘があります。
 地図で見ると、十字架の丘からラトヴィアの首都リガまでは直線の道路が走っていますので、
誠に好都合なのですネ。

 まず、カウナスのレストランから約1時間走ったところの光景とトイレ休憩したところをご覧
ください。



  ≪バスから見えた小さい秋≫

   ≪トイレ休憩の建物≫

 ▲ 十字架の丘

 十字架の丘は、トイレ休憩したところから1時間30分ぐらいの距離でしたが、無事、15時
30分過ぎに到着しました。
 赤い屋根の建物では、十字架やロザリオなどを販売していましたが、多くの人がここで購入し
た十字架などを丘に捧げていくそうです。
 また、駐車場には結婚式と思しき姿の車がありました。



   ≪十字架などの販売店≫

   ≪結婚式の一環?≫

 さて、話題を十字架の丘に戻しましょう。
 私たちは、ここに何があるのだろうか?と思ったのですが、ここには大小様々な十字架が立ち
並んでいるというのですから驚きです。



   ≪十字架の丘の遠景≫ 

    ≪段々近づくと?≫

 リトアニアは、十字架の国とも呼ばれたりもするそうです。その象徴的な場所がここなのでし
ょうね。
 現在では、十字架だけではなく、イエスの受難像やリトアニアの英雄の彫刻、聖母マリア像、
肖像画、ロザリオなどもカトリック教会の巡礼者によっておかれるようになったそうで、十字架
の数だけでも50,000以上だというのですから驚きです。
 でも、ここはお墓ではないそうですから死者が埋められてはいないのです。
 なのに、ここに多くの十字架があるのはなぜでしょうか?
 記録によれば、1831年のロシアに対する蜂起の後、処刑や流刑にされた人々のために立て
られたそうです。
 その後も、抑圧された民族、宗教の象徴として扱われましたが、ソ連時代にはブルドーザーな
どを使って何度も破壊され焼き払われたのです。



   ≪小さな十字架群≫ 

  ≪イエスの受難像≫ 

 しかし、その都度人々は、夜陰に紛れて新たな十字架を立てた!といいますから驚きですね。
 最後には、丘を破壊する計画まであったそうですが、地元の人々の思いが通じたのでしょうね
、今日の形に続くものになっているということだと思います。



   ≪大小の十字架など≫

    ≪聖母マリア像≫

   ≪通路と階段≫

   ≪十字架やイエスの受難像≫

 2001年に「リトアニアの十字架の手工芸とその象徴」の一つとして無形文化遺産の代表一
覧表に記載されているそうです。
 また、1993年9月に教皇(ローマ法王)ヨハネパウロ2世がこの丘を訪れ、「ここが平和
、愛、そして犠牲者のための場所である」と述べたことで、全世界のカトリック教徒の巡礼地と
なったそうです。


 こうして、16時ごろに十字架の丘に別れを告げて、バスで国境を越えてラトビアに入り、首
都のリガに向かいました。
 まず、16時30分ぐらいに見えた道路標識に矢印でリガなどの表示がありましたのでご覧く
ださい。


  ≪RigaとJoniskisの道路標識≫

  ≪EUと奥のJoniskisの標識≫

 左上の写真の標識は、Riga(リガ)が左方向、Joniskis(リトアニアのヨニスキス
)が右方向だという表示になっています。

 また、右上の写真には、EUとJoniskisという標識が写っています。
 リトアニアとラトビアの国境から4㎞ぐらいラトビアに入ったところにEleja(エレヤ)
という町がありますが、そこから北に2㎞ぐらいのところにある村が写真のヨニスキスのようで
す。
 ということで、次の訪問国ラトビアに入った!ということですね。


 この村から15分ぐらい走ると、大きな川にとんがり棒のような塔が立っている光景が見えて
きました。
 この川は、ダウガヴァという川で、ヨニスキス村から真っ直ぐ進み、この川に架かっているL
sland Bridegeという橋を渡りますと、リガの中心部に出るようです。



   ≪ダウガヴァ川と塔≫

   ≪インターチェンジ≫

 ですが、地図を見ると、リトアニアからリガに入る橋が3本あり、北からVansu Bri
dgeという橋、その南にStone Bridgeという橋、そして、その南に先ほど申し上
げたLsland Bridegeという橋があり、どの橋からもリガの中心部に出られるよう
です。
 ダウガヴァ川を越えると、リガの町を前方と左右に進めるためのインターチェンジのような複
雑な交差点がありましたが、私たちは、どの橋を渡ったのでしょうか?。

 私たちが今夜宿泊するアヴァロンホテル(AVALON HOTEL)は、Stone Br
idge橋を渡るのが一番近いようです。
 18時過ぎにリガの中心部に入りますと、教会と思しき建物やホテルなどが目に入ってきまし
た。



   ≪何という教会?≫

    ≪どういう建物?≫

    ≪この建物はホテル?≫

    ≪こちらもホテル?≫

 左上の写真の中央に見える教会は、左側の建物の看板に「HANZA HOTLE」とありま
すから「ルーテル教会(Riga Heart of Jesus Evangelicai 
Lutheran Church)」のようです。

 また、左下の薄茶色の建物はオペラホテルで、右側のガラス張りの建物が私たちが宿泊するア
ヴァロンホテルでした。

 ホテルに到着しますと、506号室の鍵をいただいて一休みですが、19時30分からこのホ
テルのレストランで夕食です。



 ≪506号室≫

  ≪野菜サラダ≫ 
 アヴァロンホテルは、近代的なホテルで文句
なし!といいたいところですが、私たちには高
級すぎるかも知れません。

 夕食もご覧のようにビッフェスタイルではな
く、洒落ています。
 肝心な味?残念ながら記憶も記録も残ってい
ませんので、評価のしようがありませんが、翌
朝の朝食が「美味しい!」という評価でした。

≪白身魚と野菜≫

 ≪デザート≫

 これで、本日の予定は、すべて終了です。
 明日は旅行4日目リガの旧市街観光が予定されています。









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 このページ(No.7)は、リトアニアのカウナスにて旧市街を掲載しています。