花のベネルクス物語15日間の旅行記
 <2012. 4.11(水)~ 4.25(水) (株)ユーラシア旅行社>

        ~4月19日(木)旅行9日目  くもり~  
 
 





                                No.16


 本日は美術館で名画を堪能することがメイン行事のようです。
 でも、今日の予定を申し上げる前に小生の独断と偏見によるホテル評価を「ロッテルダムの朝」として申し上げたいと思います。

 到着時の印象は、前ページの写真のように「高い建物であるが、入口が狭い。」そして、部屋の中は、「浴槽やシャワー、トイレなどの水回りのうち、浴槽はお湯が急速に出るが、シャワーは飛び散らないようにとの配慮からか水圧が弱い、また、トイレの水はもっと水量がないと汚れが落ちにくい!」と感じました。
 部屋の面積は、写真のように広々としていて申し分ありませんでした。
 食事の美味しさを加味して総合的に申し上げると
「優良!」といったところです。

 次に、部屋から見えるロッテルダムの朝ですが、出発が9時30分と「ゆっくりだった」にも関わらずホテル周辺を散歩しなかったものですから、何にも残っていませんでした。

 さて、添乗員のTさんから配られた今日の予定表には、モーニングコールが7時30分、朝食6時30分(0階レストラン)、バゲージダーン8時45分、集合(出発)9時30分となっています。

 そして、見学先は、午前中がロッテルダムにある
「ボイマウス・ファン・ベーニンゲン美術館」、デルフトで昼食をいただいた後、そのデルフトで「デルフト焼工房」とフェルメールが“デルフトの眺望”を描いたとされる場所を訪れます。
 その後は、「女王様もお住まいの町デン・ハーグに宿泊」という予定になっています。

   まず、小生が「美味!」と評したホテルの朝食をご覧ください。
 相変わらず卵とベーコンなどで「お前の好みに偏りがある!」などというご指摘をいただきそうですネ。
 でも、緑の野菜も見えていますし、何より「美味しい」のですから「何より!」ではありませんか!
 

 レストランで食事が終わりますと、予定通り9時30分にホテルを出発しました。
 ユーラシア旅行社からいただいた日程表によれば、すぐに
ボイマウス・ファン・ベーニンゲン美術館に向かうような書き方でしたが、小生の勘違いのようです。
 
 現地添乗員のKさん(日本人)の案内付きで市内観光が用意されていました。
 ロッテルダムは、前ページで申し上げたようにドイツ軍の空爆で破壊され、その後、近代的な街に造り替えられましたが、日本の都市とは違ったユニークな高層ビルがあるなどとても面白い都市でした。 
 中でも、サイコロを合わせたような
「キューブハウス」は、とても不思議な建物でした。
 まず、バスから撮影したキューブハウス近くの光景をご覧ください。


  <左前方のユニークな建物群>

  <ロケットのようなトンガリ帽の建物>

 天気が曇りですから、チョッピリ暗いという印象ですが、面白い形の建物がいくつか見えますよね!


  <通路正面の建物が!>

  <キューブハウスです>

 左上の写真を見て、「見えてきました。」という言葉が浮かんできました。「何が?」の答えが右上の写真と文字です。
 というような冗談はともかく、キューブハウス(カイククーブス)は、地下鉄のブラーク(Blaak)駅前にある建物で、個性的な建物が多いロッテルダムの旧港一帯で、とりわけ目をひく建物です。
 なにしろ、ご覧のようにルービックキューブを斜めに連ねたような建築物なのですから、驚いてしまいます。また、この建物が1950年代に設計されたマンションだというのですから、二重の驚きです。


  <中も斜めになっている?>

  <近づくと、こんな感じ>

 左上の写真のコメントのように中も斜めになっているのでしょうか!?「そんなことはないので、ご安心を!」といいたいところですが、モデルハウスがあったので中を見学できた出来たはずなのに狭い急傾斜の階段を登ったという記憶がありません。


  <斜めの部分にソファーが!> 
 「記憶がありません!などと何をとぼけているのか!?」という声が聞こえそうですね。
 かみさんが撮影した内部の写真がちゃんと残っていたからです。
 KUKKUBUS
1984の意味は、1984年建設ということでしょうか?
 ちなみに、このマンションのお値段ですが、2,000万円ぐらいだそうです。

 さて、このキューブハウスの近くには、聖ローレンス教会や地下鉄のブラーク駅など印象的な建築物が並んでいました。


  <聖ローレンス教会> 

  <黄色いパイプが建物を!>

  <地下鉄のブラーク駅>

 聖ローレンス教会は、14世紀から15世紀にかけて建設された後期ゴシック建築ですが、空爆で破壊され修復した建物だそうです。名前がローレンスという欧州一の大オルガンが見ものだそうですが、中を見学する時間はありませんでした。
 また、写真右上の建物は、黄色のパイプがまるで蛇のように絡みついているようで不気味な感じです。その下のブラーク駅の様子ですが、鉄棒に大きなお皿のようなものがぶら下がっているように見えます。


 ここからバスに乗って西部にある「デルフトハーフェン」というところに向かいました。
 デルフトハーフェン(デルフトの港)は、外港のなっかたデルフトの人々が新マース川まで12キロの運河を掘って築いた港町です。
 したがって、もともとはロッテルダムではなく、デルフトの一部だったところです。
 ロッテルダムは、第2次世界大戦の空爆で壊滅的な被害を受けましたが、デルフトハーフェンは爆撃を逃れた数少ない地域で、中世から近世のオランダの代表的な光景である古い町並みが残っています。

 その見どころですが、オランダ政府の観光案内では、1.ロッテルダム歴史博物館別館、2.ベリグリム(醸造所)3.復元された18世紀の戦艦「デルフト号」4.製粉風車5.ビルグリム・ファーザーズ教会の5つとしています。
 でも、全部を写真に納めることはできなかったようです。


  <船が浮かぶ運河!> 

  <ギザギザの屋根が美しい>

  <人形の看板があるレストラン?> 

  <運河に架かるはね橋> 

   <製粉風車?> 

  <運河と古い町並み!> 

 こうして、約20分間という短い時間でしたが、近代都市の中の風情溢れる、そして、歴史的な街を散策することができました。
 この後は、本日のメインイベントである
ボイマウス・ファン・ベーニンゲン美術館に向かいました。


  <オランダ建築博物館>

  <高い塔が印象的な美術館> 

 ボイマウス・ファン・ベーニンゲン美術館に近づきますと、近くに「プールの中に人参が斜めに刺さっている」とでも表現したら良いのでしょうか?面白い光景が広がっていました。後で分かったのですが、これが「オランダ建築博物館」だそうです。

 さて、ボイマウス・ファン・ベーニンゲン美術館に到着しますと、絵を見る前にとてもユニークなものが天井からぶら下がっていました。


  <面白い衣紋掛けが!> 
 一見してこれが何だか分かりますか?
 白や赤の紐のようなものが写っていますが、これは、なんと!来客が服を掛ける
ハンガーなのです。
 どう使うのか?人が写っていますが、この紐を緩めるとハンガーが架かっているところが降りてきて、服をかけたり外したりするのでは!
 絵画よりもこちらの印象が強くなってしまいました。

 ところで、ボイマウス・ファン・ベーニンゲン美術館は、「アムステルダムの国立美術館に並ぶ国内最大級のコレクションを誇り、尖塔をいただく印象的な外観が、2003年に大改修を経て生まれ変わった(わがまま歩き)。」とありますが、右上の写真のように尖塔は健在でしたネ!
 問題はコレクションですが、「その中核をなすのは、1847年にF.J.Oボイマンスから市に寄贈された
古典美術と、D.Gファン・ベーニンゲンに寄贈による近代美術(同左)。」だといいます。
 こうしたことから、美術館の名称は、この二人の名前を冠したものだと思いますが、古典美術と近代美術の区別が小生には分かりません。
 そこで、Wikipedeiaでこの美術館のことを調べましたら、そのヒントが隠されていました。
 Wikipedeiaには、所蔵作品として1490年から1945年の代表的な作品を記述していますが、この中で「古典美術」とは、ボイマンスが寄贈した1847年よりも以前の作品を、「近代美術」とは、それ以降の作品をいうのではないかと思ったのです。
 その適否はともかく、代表的作品としては、ヒエロニムス・ボスの
放蕩息子(1490~1505)」やビーテル・ブリューゲルの「バベルの塔(1563)」、クロード・モネの「漁師の家、ヴァランジュヴィル(1882)」、エドヴァルド・ムンクの「花咲くリンゴの木下の二人の少女(1905)」などとなっています。

 このうち、小生が撮影できたのは「放蕩息子」と「バベルの塔」だけでした。もちろん、写真は「パチパチ」と撮ったのですが、誰の何という作品なのか見当もつきません。
 そこで、二つ以外の作品は、写真集として
別のページ(16-2)に掲載することにしましたので、興味のある方はご覧くださいませ!


             <ヒエロニムス・ボスの「放蕩息子」>

          <ビーテル・ブリューゲルの「バベルの塔」>


 さて、こうして、調べていて面白いことが分かりました。
 それは、添乗員のTさんのメモに「フェルメールの贋作など興味深いものも。」という記述があったのですが、どいうことなのか理解できませんでした。
 仕方がないので、「ここのところは触れずにおこう!」と思ったのですが、何の気なしにWikipedeiaの載っていた所蔵作品の最後に
ハン・ファン・メーヘレン(1889~1947)という画家とその作品「エマオの食事(1936)」という文字が目につきました。

 そこで、これも調べて見るか?と軽い気持ちで調べたのですが、この画家と作品がTさんメモのフェルメールの贋作だというのですから驚いてしまいました。
 そして、ハン・ファン・メーヘレンの描いた絵を「フェルメールの真作」と専門家に言わしめる程の技量の持ち主で、「天才」と呼ばれる人物になり得る可能性もあった、といいますから、これまた「びっくり!」です。
 話が見えない?彼が書いた「エマオの食事」という作品は、フェルメールが書いた作品として展示されていたことがあるという話なのです。

 「エマオの絵」という作品を見たい?残念ながら、撮影していなかったものですから掲載できませんが、ネットで調べれば簡単に見ることができます。
 小生も見ましたが、4人の人物が暗い表情で描かれていて、個人的には好きな絵ではありませんでした。


 この後は、12時20分に美術館を出てデルフトに向かいました。
 昼食をいただいて、
「デルフト焼工房」とフェルメールが「デルフトの眺望」を描いたとされる場所を見学する予定です。
 そして、デルフトから今夜の宿泊地デン・ハーグに向かうことになっています。







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