<クロアチア>
 旧ユーゴスラビア4カ国の旅
     <2010.5.23(日)~6.3(木)・阪急交通社>


        ~旅行3日目・5月25日(火)  晴れ~





                                  No.10

<ザダル旧市街>
mugio
 昼食が済むと、ザダル旧市街観光です。地元の観光ガイド、MRダボールさんが案内してくれるそうです!
mugiko
 先ほどあなたがザダルの説明をしていたけれど、地形は、旧市街の地図を見ると海に細長く突き出ている長方形という感じね。
 私達は、正門(Kamena vrata)から入って、石畳の通りを歩いてシロカ通りの左奥にあるフランシスコ修道院に向かったのよね。

mugio
 そのとおりだけれど、まず目に入ったのはシロカ通り沿いにある「聖ストシャ大聖堂」だったね。


  <石畳の通りを歩く!>

 <聖ストシャ大聖堂>

mugiko
 聖ストシャ大聖堂は、12世紀に建てられた、ダルマチア地方最大の大聖堂で、1202年の十字軍の攻撃や第2次世界大戦の爆撃で被害を受けたが、その都度修復されたそうね。
mugio
 こういう話を聞くと、本当に戦争は嫌だね。次は「フランシスコ会修道院」だね。


 <フランシスコ会修道院> 

     <修道院付近の光景>
mugiko 
 フランシスコ会修道院は、旧市街の北西部にあり、中にある教会は1283年に建てられたゴシック様式の教会だそうね。

mugio

 ここで1358年にベネチア共和国とハンガリー王国の間でザダル条約が締結され、この条約でダルマチアはハンガリー王国領になったという話だよ。

mugiko
 クロアチアでは、宗教美術品を収蔵・展示している教会が数多くあり、正門に近い
「聖マリア教会・修道院」には、隣の建物に宝物館があり、「ザダルの金と銀」という名で親しまれているそうよ。
 このようにザダルの教会には、質、量とも素晴らしい宝物館があるということのようね。
 写真のフランシスコ修道院にもゴシック様式の聖サンフランシスコ教会があり、その宝物館には12世紀に作られたロマネスク様式の十字架が収められているそうね。

mugio
 ということだけれど、私たちは、修道院や教会の中に入らなかったので、これらの宝物を見ることはできなかったという残念な話がしたいの?


 <聖マリア教会・修道院>

  <聖ドナト教会>

mugiko
 写真が先になっちゃたけれど、この近辺にはフォラム(Forum)というローマ時代の広場があり、シロカ通りを挟んで修道院・教会が集まっている!という感じだったわ。
mugio
 右上の写真「聖ドナト教会」は、正門から見てシロカ通りの左側、聖マリア教会の先にあり、フォラムの「恥の柱」の奥に見えるということだね。
 地球の歩き方では、フォラムのことを次のように説明しているよ。

 
ザダルの紀元前のものでローマの神に捧げられた神殿が建っていた。現在のフォーラムは、基礎を除いてほとんどの部分が破壊されてしまったが、2本の柱だけが残っていて、そのうちの北西に立っているのが恥の柱である。恥の柱は、中世に軽犯罪を犯した者が縛られた柱で嘲笑の的にされたという。

mugiko

 右上の写真は、聖ドナト教会の礼拝堂と鐘楼ね。恥の柱が見えないけれど、基礎のようなところにシルク製品?ぶら下げて何か売っているようね。


  <旧市街の海岸付近> 

  <シーオルガン> 

mugio
 さて、次は旧市街地の北西部にある海岸だけれど、ここを歩いていると不思議な音が聞こえてくるという話を聞いたよ。
mugiko
 それが右上の写真に見える海岸で、ここでは、海岸に風が吹くと地面に埋められた装置が反応してメロディを奏でる仕組みになっていて「シーオルガン」というらしいわ。シーオルガンは階段状になっているはず!だけど撮影しなかったの?
mugio
 仕方がないよ。添乗員のWさんに「おんぶにだっこ」で訪問しちゃたのだから、どこを見ても訳が分からない!というのが生じなところさ!
mugiko
 あら!開き直ったの!?しょうがないわね。
 ところで、今までの見学先は、実際に見学した順番と違うので、説明しておくわね。
 ザダルでは、ダボールさんという地元の方が案内してくださって、まず、フランシスコ修道院、その次にシーオルガン、フォラムと聖ドナト教会、聖ストシャ大聖堂という順番だったみたいね。
 そして、聖クルシェヴァン門・海の門といわれる城壁の門を見てフリータイムになり、その後、バスで次の訪問地シベニクに向かったということね。



 <聖クルシェヴァン門>

  <海の門>

mugio
 左上の写真「聖クルシェヴァン門」が旧市街の内側、右の写真{海の門」が外に出て海側から見た門ということだね。
 同じ門なのに名前が二つあるのは、建設した年代が違う門が二重構造になっているかららしいよ。






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