連泊で巡るポルトガルの美しい町や村12日間の旅
 <2013.3.5(火)~3.16(木)・ユーラシア旅行社>

    ~3月9日(土)旅行5日目   晴れのち曇り~






                                  No.9


 ◆ アーモンド列車に乗り、アルトドウロ地方へ(アーモンドの花咲く峡
  谷の見学)

 
≪アルト・ドウロ渓谷に向かう列車から≫

 〇 まず、 エヴォラの朝から

 さて、いつもの(・・・の朝)ホテルの評価ですが、ポルトのホテルは、メルキュール・チェ
ントロという名前ですが、街角の小さいホテル!という印象でした。
 場所的には、バターリャ広場に面していて、昨日の記事で申し上げたようにアズレージョが見
所となっているサン・ベント駅の近くです。


  ≪早朝のホテルの様子≫
 設備的には、部屋の面積は普通であるが、少々狭い!と感じました。
 しかし、浴槽やシャワー、トイレといった水回りがよく、いつも水が飛び散ることが気になる
シャワーも外に飛び散らないように工夫されていました。
 総評としては、「こぢんまりとしているが、使いやすくまとまっている」といったところでし
ょうか!
 

 さて、今朝はモーニングコールが5時30分、朝食はランチボックス(弁当)スーツケースは
各自持参、出発が6時30分です。
 なぜ、そんなに早起きなのか?といいますと、この旅のテーマにもなっているアーモンド列車
に乗ってアルトドウロ地方のアーモンドが咲く渓谷を訪ねるからです。

 ということで、予定通り6時30分にホテルを出発しました。
 そして、バス(ドライバーはマイケルさん)は6時40分にカンパニャン駅に到着しました。
 今日のガイドは、ドラ(DORA)さんです。
 カンパニャン駅発は、7時30分です。
 春を感じられるアーモンドの花が一杯咲いていればいいな!と思いましたが、どうなりますこ
とやら。


  ≪カンパニャン駅≫

   ≪駅の切符売り場≫
 
   ≪アーモンドの花の広告?≫

   ≪駅のホームと入線した列車≫

 ところで、、私たちは今日はどこに行くのでしょうか?
 何を言ってるんですか?「ポルトのカンパニャン駅からアーモンド列車に乗って、アントドロウ地方に行くことになっている。そこで花咲く峡谷をご覧いただく!」のじゃないですか!


  ≪ポルトガルの地図≫
 そうはいっても、列車に乗るポルトの場所さえ
知らないのだから、理解しづらいですね。

 ポルトは、ポルトガルの北部地方にあり、この
国の商工業の中心地として栄えてきました。
 詳しいことは、午後からポルトの観光がありま
すので、その時に「ちょこっとガイド」でお知ら
せしますが、左の地図では、左上部の海の面した
「Porto」となっているところです。

 私たちが列車で訪問するアントドロウ地方は、
ポルトから見ると、東方向(スペイン方面)にあ
るといえます。
 地図で言いますと、「Vila(ヴィラ・レアル)
」と書いてある街の南にドウロ川が流れています
が、この川沿いに走る鉄道でスペイン近くまで行
きますと、目的地(下車する地)のポシーニョ(
Pocinho)に到着します。

 超大まかに言いますと、ドウロ川は、ポルトか
らスペイン国境の右下方向、スペインから見ると
、国境に突起のように突き出た部分が見えますが
、そこに線を引いた部分に流れていると言うこと
です。

 話は変わりますが、リスボン(Lisbon)からスペ
インに向かって流れている川(「スペインからリ
スボンに向かって流れている川」といった方が正
確ですね。)は、テージョ川(RioTejo)です。
 

 話題が地図の方に飛んでしまいましたが、このポルトとポシーニョを結ぶ列車の線路名は、川
と同じ「ドウロ線」というようです。
 そして、鉄道好きにとっては、この路線を「ヨーロッパでもトップクラスの車窓景観を有する
路線」だという方もいます。
 もっとも、実際に乗車した小生としては、単に「美しいアーモンドの花が見られる!」と期待
して列車に乗ったものですから、そのような素晴らしい景色が見られる!という自覚はありませ
んでした。
 しかし、この車窓景観に感動しない人間は「旅をする資格がない!」という鉄道ファンもいらしゃいます(おお、恐!)。
 早速、その車窓景観ですが、出発から約30分走ったところからご覧くださいませ。



  ≪明るい夜明けの景色≫

   ≪ブドウ畑?≫ 

 この2枚は、ポルトのカンパニャン駅を出発して30分くらい走ったところの景色ですが、こ
の時には「平野部を走っているな!」とか「お天気が良さそうで良かったな!」といった感想し
か持っていませんでした。
 この列車から見る景色は、時間にして3時間30分弱もあるのですから、「これはいいな!」
と勝手に感じた景色を撮影することと「アーモンドの花」を期待する列車旅だったのです。
 そこで、上の写真に続き「感動」ではなく、旅の記念になりそうなものを撮影した写真を掲載
したいと思います。


 ≪列車に表示された路線図≫ 

  ≪列車の中の様子≫

 列車に表示されていた路線図は、小さくて見づらいのですが、私たちが乗車したポルトのカン
パニャン(Canpanha)駅の一つ先の駅エルメシンデ?(Ermesinde)で、緑色に表示されているトル
ファ(Trofa)駅方面(終着駅ビーゴ(Vigo、スペイン領))と青色の表示のパレデス(Paredes)駅方面(終着駅ポシチーニョ(Pocinho))に分かれています。
 緑の路線は、北に向かってスペイン領のビーゴに向かいますが、青色の路線は、西に向かってスペイン国境に向かいますが、現在は、ポルトガルの領のポシチーニョが終点となっています。
 私たちは、このうち青の路線を走る列車でポシチーニョ駅に向かいました。
 この路線は、ポルトからカイーデ(Caide)までは電化複線の路線のようですが、途中か
ら単線になりディーゼルエンジンで走っているということです。。
 また、ポルトのカンパニャン駅からポシチーニョ駅までは172㎞あります。


 ≪モステイロ(Mosteiro)駅に到着≫ 

  ≪モステイロ駅通過後の光景≫ 

 モステイロ駅には、8時38分頃到着しましたので、1時間以上走ったことになります。
 また、右上の写真は、モステイロ駅から約5分間走ったところの光景ですが、ドウロ川に沿っ
てこの路線が走っていることがよく分かります。
 こういう光景は、ローカル線が好きな方には、何ともいえない魅力的な光景なのではないでし
ょうか。
 でも、私たちも、どことなく日本の田舎に似た素朴な光景ですから、とても魅力的だな!と感
じたものです。
 さて、次の大きな駅は、レグア駅ですが、まず、モステイロ駅からレグア駅の間に見えた光景
をご覧ください。


  ≪美しさと静寂に包まれた沿線≫

  ≪近代的な橋も見えてきた≫

 季節が「春」には少し間がある時期だったものですから、枯れ葉などが地面を覆っていますが
、蕩蕩と流れる大河ドウロ川に沿って小高い山が配置されていることが分かります。
 こういう地形の土地をどう利用しているのか?と思うのですが、アウト・ドウロの観光の拠点
といわれる「レグア(Regua)」が近づいてきましたので、その答えは後ほど。



  ≪レグア駅周辺の光景≫

   ≪レグア駅に到着≫ 

 左上の写真は、レグア駅到着時に撮影したものです。
 レグアは、アルト・ドウロ地方の観光の起点とされています(地球の歩き方)が、この町は、
古くからポートワインの集積所として発展してきたところです。
 このことから、この線路は、19世紀にポートワインの運搬用として敷設されたものだということが分かります。
 ということで、この駅で下車して「町を散策」といきたいところですが、そのまま通過して次の見所となっている「ピニャオン(Pinhao)駅」に向かいました。
 その間に見えた光景があまりにも美しかったものですから、そのうちの一枚をこのページの巻頭写真として掲載しました。



  ≪ドウロ川沿いの渓谷≫

   ≪コルクの樹木とブドウ畑?≫

 ピニャオンは、かっては、ワインの樽が帆船でポルトへ運ばれていました。現在では運搬手段がトラックに変わってしまいましたが、桟橋はクルーズ船の発着場になり、ワイン倉庫は瀟洒なホテルになっています。
 などと説明していますが、私たちが乗った列車は、知らないうちにこの駅を通過してしまいましたので、写真が残っていません。
 また、この駅に描かれているという有名なアズレージョも見ることができませんでした。(残念だな!)
 こうして、列車は、またまた知らないうちにピニャオン駅から13㎞の隣に駅トゥア(Tua)駅に向かいましたが、この間の景色やトゥア駅の写真も撮影していませんでした。
 なお、このトゥア駅といえば、夏場(7月中旬~9月下旬)の毎週土曜日にレグア駅から蒸気機関車が走っていますが、その終着駅がトゥア駅だそうです。

 そして、終着駅のポシチーニョに到着した?と言いたいところですが・・・
 トゥア駅からポシチーニョまでに6つの駅があるのですが、どういうわけかポシチーニョ駅の
一つ前の駅「Freixo de Numao」という駅に10時42分頃停車したのです。


 ≪Freixo de Numao駅≫

  ≪終着駅到着前の光景≫ 

 「おまえは、この駅で降りたのか?」という声が聞こえそうですが、私たちは降りませんでした。
 「なーんだ!ヌマオ?という駅で何かあったのように言うのは、よしなさい!」というようなおし
かりを頂戴しそうですね。


  ≪ポシチーニョ駅≫ 

  ≪ポシチーニョ駅前のバス≫ 

 こうして、私たちは、予定通りこの鉄道の終着駅ポシチーニョに到着したのです。
 でも、「肝心なことを忘れていないか?」というご指摘をいただきそうですね。
 そうです。この列車旅の最大の楽しみであるアーモンドの花の話が出てきませんよネ。

 この後、私たちはバスの乗って「トーレ デ モンコルボ(TORRE DE MONCORVO)」というところのマーケットに向かいました。


  ≪マーケット到着前の光景≫ 

   ≪豚肉の店?≫

 そして、その後の12時過ぎには最大の楽しみである「アーモンドの花」が咲き乱れるところを訪問したのです。 
 でも、この花が今回の旅行のテーマになっていると堅く信じていた二人には、この光景は、「え
え、ええ、これが!」や「あっあっあっ!」といった息ばかりになってしまいました。



  ≪咲き乱れるアーモンドの花≫

  ≪薄いピンク色のアーモンド≫

 「まぁ、日本の桜のようには行きませんよ。この後の昼食を楽しみにすることにしましょう!」という声が聞こえてきました。

   レストランは、 OARTURという地元の有名レストランだということですが、味の方も「全般に最高でした!」というコメントが残っています。
 中でも「イベリコ最高!」と評価しています。

 それにしても、写真では、何が出てきたのか分かりにくいと思いますが、いただいた料理は、「チーズ、生ハムとメロン、ソーセージ、ローストの仔牛、ポテトとライス、フルーツサラダとアーモンドケーキ、水、ワインュース付き」だそうです。

 最高!のイベリコは左上ですね。

 
 
 

 食事の後は、列車ではなく、バスでポルトに戻りました。
 ポルトでの観光予定は、『ポルサ宮』、『サンフランシスコ教会』となっています。
 途中、トイレ休憩もとらずに真っ直ぐポルトに向かった!と言いたいところですが、バスから
見えた光景と「Burest」と書かれた建物に寄った証拠写真がありました。


  ≪ここはどこでしょう?≫ 

 ≪Burestという表示が見える建物≫

 左上の写真は、昼食のレストランから約1時間30分走ったところの光景です。そして、右上
の写真は、その後、約10分走って16時ジャストぐらいに到着した建物です。
 ここの場所?トイレ休憩に立ち寄ったところですが、何というところなのかは分かりません。
 さらに、ここから50分弱走りますと、ポルトを象徴するドウロ川に架かる「ドン・ルイス1
世橋」が見えてきました。


  ≪ドン・ルイス1世橋≫

   ≪対岸の大きな建物は?≫ 

   ≪橋を覗くと車が走っている!> 

  ≪同じく対岸の右側の光景≫

 ドン・ルイス1世橋については、前のページ(No.8)のバターリャの観光を終えてポルト
に向かう際に「遠方に見えた」とお伝えして、橋の説明をしている通りですが、近づいてみます
と、上は鉄道(地下鉄)、下は車が使う(上下とも人も)橋だということが良く分かりました。

 右上の写真の「対岸の大きな建物」は、ノッサ・セニョーラ・ド・ピラール修道院です。

 左下の写真の車が出入りする橋の入り口のようなところには、大きな文字で「PONTE LU
IZE1(Ponte de Dom LuisⅠの間違い?)」という標識がありました。

 さて、ドン・ルイスⅠ世橋の近くでバスを降りて、「カイス・ダ・リビイラ(Cais da Ribeira)」というドウロ川の細長い護岸のようなところを歩きました。ここからは、クルーズ船や1世橋といったドウロ川の様子が見え、そして、護岸の右側には、レストランやカフェにがあり、その後ろにはカラフルな建物が並んでいました。


  ≪車とレストラン?≫

  ≪ドウロ川に浮かぶクルーズ船≫
 ちょっと忙しいのですが、ポルトの市内見学
はこの時間だけのようです。
 そして、その見所がドン・ルイス1世橋付近
にあり、「ポルサ宮」と「サン・フラシスコ教会」となっています。
 これからカイス・ダ・リビイラの裏手にある
二つの建物に行くことになっていますが、小雨
が降ってきましたので、少々不安になってきました。
 さて、カイス・ダ・リビイラ地区の近くには
「エンリケ航海王子の生家」もあるようですが
、どの建物なのか分かりませんでした。
 

  ≪カラフルな建物が並ぶ≫


【ポルトちょこっとガイド】

 ポルト(Porto)は、リスボンから北へ約300㎞、ドウロ川北岸の丘陵地に築かれた起伏の多い街です。人口約23万人、この国の商工業の中心地として栄えました。
 川の南側がローマ時代にカーレ(Cale)と呼ばれるいう州で、港(Portus)の役割も持っていたので、ポルトゥス・カーレと呼ばれていたのですが、これ言葉が国名のポルトガルの語源になっているそうです。
 ローマ帝国の衰退後、西トーゴの時代を経て、8世紀にイスラム教徒に支配されたのですが、11世紀にイスラム教の支配から国土を取り戻したフランス貴族がいました。
 彼は、その報酬として、ドウロ川とその北のミーニョ州とに挟まれた地域を
与えられ、その地名からポルトガリア伯爵と呼ばれたそうです。
 ポルトガルの国土は、ポルトガリア伯爵の息子で初代国王となるアルフォンソ・エンリケスの海軍によって南に広がり、現在の大きさになったといいます。
 こういう話を聞きますと、ポルトがポルトガルの発祥の地であるということが理解できます。



 ということで、バスに乗りながら遠方のサン・フラシスコ教会を見て、ポルサ宮に向かいました。


  ≪サンフランシスコ教会≫

  ≪途中、路面電車が≫

 ポルサ宮に到着しますと、建物の中央にある階段から中に入ったのですが、どうしたことか!一枚も撮影しなかったのです。
 この建物は、1834年に建てられ、最近まで証券取引所として使われていました。
 宮殿ではありませんが、アルハンブラ宮殿を模して造られた「アラブの間」などが豪華なものであることから「宮」と呼ばれているそうです。
 見学後、今夜の宿泊地ヴァナ・ド・カステロに向かいましたが、ポルトの最後の記念にとエンリケ航海王子公園などの光景を撮影することができました。



   ≪エンリケ航海王子像≫

   ≪エンリケ航海王子公園など≫

 ヴィアナ・ド・カステロ(Viana do Castelo)は、ポルトから乗り合いバス
で約2時間の距離ですが、何時頃にホテルに到着できるのでしょうか?
 などといってますが、ほぼ予定通り19時20分頃ホテルに到着しました。
 ホテル到着前に暗くなっていましたが、ヴィアナ・ド・カステロの夜景が撮影できましたので
、ご覧ください。


 ≪ヴァアナ・ド・カステロの夜景≫ 

   ≪同じく≫ 

 ああっ、そうそう、大事なことを忘れて忘れていましたネ。夕食ですよ。
 ヴィアナ・ド・カステロのホテルでいただきました。
 このホテル、国営のポサーダ(POUSADA DE VIANA DO COSTELO)
だといいますが、どんなものが出てくるのでしょうか?


  ≪クリーム(豆)スープ≫

   ≪チキンのグリルとポテト≫ 

 写真は、2枚のみでしたが、このほかに「小タマネギとトマト」、「デザートバイキング」もあったようです。
 味?見た目よりも美味しかったのですが、グラスの赤ワインが5ユーロは高いですね。









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 このページ(No.9)は、アーモンドの花咲くアルトドウロ地方を掲載しています。