<Portugal>
 連泊で巡るポルトガルの美しい町
や村12日間の旅

 <2013.3.5(火)~3.16(木)・ユーラシア旅行社>

    ~3月13日(水)旅行9日目  太陽が眩しい!晴れ~







                                  No.17


  ポルトガルの首都 リスボン(Lisbon)

   リスボンの朝

 この旅も終盤さしかかってきましたが、本日は、首都のリスボン観光です。
 宿泊しているホテルが5つ星ホテルなのに外観の写真がない!のですが、大きすぎて上手く撮影できませんでした。
 そこで、昨夜の到着時に撮影したものを参考に掲載しますので、ご覧ください。
 また、味の方は「イマイチ」の感のあったホテルのレストランでしたが、雰囲気が高級感に溢れていましたので、こちらもご覧いただければ幸いです。



  <ホテル DOM PEDRO> 

   <ホテルのレストラン> 

 さて、「〇〇の朝」という本論に戻っていただいて・・・まず、昨夜お世話になったドン・ペドロの評価を申し上げます。
 到着時の説明では。高貴な方も宿泊したという5つ星ホテルですが、夕食はいささか評価が低かったのですが、なかなかのもでした。
 ホテルといえば、二つのスーツケースが置けるのかが気になりますが、私たちの宿泊した部屋502号室は十分な広さがありました。また、ベッドもセミダブル、浴槽、シャワー、トイレなどの水回りも合格でしたから「高い評価」をつけたいところです。

 今日はモーニングコールがありませんが、9時00分出発で6時30分からH階(ロビー)のレストランで昼食ができるそうです。


  <生ハムなど大盛り!> 
 朝から食欲がある!ので、お皿が一つでは足りない?そうなのです。見るからに美味しそうでついつい手が出てしまいました。
 添乗員のNさんも珍しく「生ハム、チーズ、サーモンなど豪華な朝食」というメモを残していました。
 でも、小生は、「野菜なし!、卵は珍しく目玉焼き、マンゴー、イチゴをいただく。」また、「ヨーグルトは香りも良く最高!」と感じました。

 さて、このホテルは、リスボンの中心部のアモレイラスショッピングセンター付近にあり、旧市街の外側に位置しているようです。
 最初に訪問する
「ベレンの塔」「発見のモニュメント」があるベレン地区は、ホテルがある中心部から西に約6キロといった距離のようですから観光するには大変便利なようです。
 さて、そのリスボンですが、どんな街なのでしょうか?ここで、いつものちょっことガイドでご案内したします。



 【リスボン(Lisboa)ちょこっとガイド】

 ポルトガル語では、リスボアと発音するリスボン(英語ではLisbon)は、大西洋に注ぐテージョ川の河口から約12km上流にあるポルトガルの首都です。年間を通して温暖で「7つの丘の街」と呼ばれると呼ばれる起伏が激しい土地に約48万人、近郊を含めると約240万人が暮らしています。しかし、右記ペディアによりますと、原因は分かりませんが、1981年には807千人、都市圏人口300万人となっていたものが2011年には517千人になるなど年々減少しています。なお、市域の面積は84.8㎢ですから、人口密度はかなり高いと言えます。

 その歴史は古く、古代よりフェニキア人やカルタゴ人によって港として利用され、ローマ、イスラムの支配を経た後、1147年アルフォンソ1世がイスラム教徒から街を奪回し、1260年にはアルフォンソ3世がコインブラからリスボンに遷都しています。15世紀から始まる大航海時代にはアジアや南米との交易によって莫大な富がもたらされ、ジェロニモス修道院やベレンの塔といった壮麗な建築物が造られました。

 見どころとしては、「リベルダーデ通り周辺」、「バイシャ周辺」、「バイロ・アルト周辺」、「アルファマ周辺」、「ベレンと市西部」、「市北部」となっています。




 という見どころになっていますが、私たちは「ベレンと市西部」に向かいました。
 ここは、市中心部からテージョ川に沿って6kmほど西にあり、大航海時代の栄華を今に伝えるモニュメントが残り、世界文化遺産に登録されています。
 大航海時代というのは、15世紀初めのヨーロッパ列強が争っていた時代に、エンリケ航海王子が敢然と未知の海に乗り出し、海洋国家ポルトガルの創始者となった時代のことを指すそうです。

 さて、大航海時代の栄華を表すモニュメントですが、「国立馬車博物館」、「ジェロニモス修道院」、修道院の西塔中央にある「国立考古学博物館」、同じく西端の「海洋博物館」、さらに修道院の南でテージョ川沿いにある「発見のモニュメント」、同じく「ベレンの塔」などがあります。

 私たちは、最初に
「●ベレンの塔」を見学しましたが、近くで見えた光景をご覧ください。


  <テージョ川の光景> 

   <トーレ・デ・ベレン公園>

 上の2枚の写真は、ベレンの塔がある「トーレ デ ベレン公園」から撮影したものです。
 テージョ川には、ご覧のように「4月25日橋」が架かっていますので、その先には私たちが宿泊したホテルなどがあるリスボンの中心街があります。
 また、この公園の中の飛行機は、1922年にリスボンからブラジルのリオデジャネイロまでの大西洋横断飛行に用いられた飛行機のレプリカだそうですが、ここに到着してすぐにこの光景に出会ったのですから「これは何だろうか?」驚いてしまいました。
 そんなことより注目すべきは「ベレンの塔」ですよネ。


  <朝日に輝くベレンの塔> 

 「朝日に輝く!」などという俗っぽい言い方をするな!と皆様から叱られそうですが、青空に映える白いお城のようで本当に美しいものですね。だから、思わず大きなサイズで表示してしまいました。
 司馬遼太郎氏は、この塔のことを貴婦人がドレスの裾を広げている姿にたとえて「テージョ川の貴婦人」と表現したそうですが、まさにその通り!だと感じました。

 この塔は、マヌエル1世の命により建築家フランシスコ・デ・アルーダが指揮を執り、1520年に完成しました。最初は行き交う船の監視と河口を守る要塞としての役割でしたが、後に税関や灯台としても使われました。

 建物として見ますと、左下の細長い部分は、上の部分がテラスで中央には航海の無事を祈った聖母マリア像が置かれているそうです。その下は堡塁で、一番下が潮流により海水が入り込む「水牢」、その上が「火薬庫」、さらに、その上が窓に向かって大砲が並ぶ「砲台」となっています。

 などと説明しますと、塔の中を見学したように思うかも知れませんが、外から建物の美しさを見ただけでした。
 続いて右側の建物ですが、1階が「司令官の間」、2階が「国王の間」、3階が「謁見の間」、4階が「礼拝堂」になっているそうです。
 ベレンの塔の見学が終了しますと、テージョ川沿いに東に向かいますと
「●発見のモニュメント」がありました。

 このモニュメントは、1960年にエンリケ航海王子の五〇〇回忌を記念して造られました。



    <発見のモニュメント>

 ご覧のように何人もの人物が船に描かれていますので、何も知らない小生などには「これは一体何だろうか!?」と興味が沸々とわいてくる記念碑でした。
 どのような人々が描かれているのかといえば、大海を乗り出す勇壮なカルベラ船を手に持って帆船の先頭に立っているのが、エンリケ航海王子で、その後にアフリカ・ポルトガル帝国を形成したアルフォンソ5世、インド航路を開拓したヴァスコ・ダ・ガマ、初の世界一周を達成したフェルナン・デ・マガリャインス(マゼラン)など天文学者、宣教師、船乗り、地理学者などが続いています。
 なので、大きさを変えてもう少しご覧いただきましょう。



  <モニュメントの先頭部分> 

   、<左に続く部分>

 このモニュメント広場には、足下に大理石の世界地図と各地の発見年号が描かれていました。


  <日本の地図>

   <イベリア半島の地図> 

 日本の地図の横に書いてある数字?「1541」ですからもう500年弱経過していることになりますね。
 この後は、モニュメントの北側にある「ジェロニモス修道院」に向かいました。
 修道院が入っている建物には、西棟部分に「国立考古学博物館」や、さらにその西端に入っている「海洋博物館」があります。また、修道院の手前には、「ベレン文化センター」と「ベラル美術館」があり、このベレン地区にあるこれらの建物は、15世紀初めにエンリケ航海王子が築いた大航海時代を象徴するものとなっているようです。

 まず、ジェロニモス修道院の正面と左方向の細長い外観をご覧ください。


  <ジェロニモス修道院>

   <修道院の左方向>

 ジェロニモス修道院は、エンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業を称え、また、新天地開拓へと船出していく航海の安全を祈願してマヌエル1世が1502年着工し、約100年の月日をかけて完成した建物だそうです。

  写真の右下には、南門が見えていますが、スペイン人建築家ジョアン・デ・カスティーリョによって1518年に造られた門です。
 小さくて見づらいのですが、門の上には、イエスを抱く聖母マリア像とそれを囲む24人の聖人の像が置かれています。

 1584年には、日本の天正遣欧少年使節団がここを訪れたといいますが、建物の大きさや精緻な美しさなどに驚いたのではないでしょうか!?
 
  ≪修道院の南門≫

 また、写真には写っていませんが、高い塔と塔の間に西門があり、その扉には、フランス人彫刻家ニコラ・シャントレーヌの作による「祈りを捧げるマヌエル1世と守護聖人ヒエロニムス」、ジョアン3世の母「王妃マリア」の姿を描いた像があります。
 などと見てきたようないい方をしていますが、恥ずかしいことに撮影していませんでした。
 私たちは、この門から修道院に入りました。

 中に入りますと、一番の奥に祭壇らしきものが見えています。
 ここは、サンタ・マリア教会で、両脇には2つの石棺が目に飛び込んできました。


  <突き当たりに内陣が見える> 

  <ヴァスコ・ダガマの石棺> 

 教会に入って左側に置かれているのが、インド航路を発見したヴァスコ・ダガマの棺で、右側にあるのが、その偉業を一大叙情詩としてうたいあげたポルトガル最大の詩人、ルイス・デ・カモンイスの棺です。


 <ルイス・デ・カモンイスの棺> 
 この修道院は、バスコ・ダ・ガマなどがもたらした富で設立したのですから、ガマの石棺が教会に置かれているは当然なのかも知れませんね。

 ところで、バスコ・ダ・ガマの棺には、帆船やインドからもたらされた胡椒の実などが描かれています。
 異国の珍しい動植物やロープ、貝など大航海時代を象徴するモチーフを刻んだこの装飾は、国王の名にちなんで
「マヌエル様式」と呼ばれるようになったそうです。 

 さて、ここを進んで行くと、低いアーチがあり、その先には、サンタ・マリア教会の内陣がありました。
 教会は、身廊と二つの側廊からなる三廊式の建物で、豪奢な彫刻や絵画、ステンドグラスで飾られています。また、天井に向かって高く聳えるリブ(支柱)はヤシの木を模したといわれ、海をモチーフにした模様が刻まれています。



  <複雑に交差する支柱>

  <南側側廊のステンドグラス>

 教会の正面にある内陣の祭壇飾り板は、宮廷画家ローレンソの作ですが、その手前には向かって左側にマヌエル1世と王妃マリア、右側に息子のジョアン3世と王妃カタリナの棺が置かれていますので、いわば「王家の霊廟」といえると思います。
 
 残念ながら、近くから撮影していませんでしたので、拡大写真でご覧ください。でも、これでは、左右の壁のようなところにある棺の様子が分かりませんね。

 さて、ローレンソ作の飾り板ですが、5枚でキリストの生涯を描いているそうです。

 

   <教会の内陣>

 こうして教会の見学が終了しますと、中庭を囲む55m四方の2階建ての回廊に出ました。
 この回廊は、修道士の祈りと瞑想のための空間だったようですが、アーチを連ねた正方形になっています。
 1回はフランス人建築家ボイタック、2階はその死後に建築を引き継いだジョアン・デ・カステーリョが手がけた回廊で、完成度の高さからマヌエル様式の最高傑作といわれています。


  <修道院の回廊>

 <幾重にも施された回廊のアーチ> 

 修道院の見学が終了しますと、ポルトガル名物といわれる「とろけていて甘いお菓子!」であるゲイジャーダ(エッグタルト)をいただきました。


  <リスボン名物ゲージャーダ>
 どなたが奢ってくれたのかな?
 皆さんでいただきましたが、甘いものが苦手なためか小生は、その味の記憶が曖昧です。

 この後は、曲がった家、共同の洗濯場があるなど情緒豊かな「アルファマ地区」というリスボンの下町を散策することになっています。

 修道院をバスで出発したのが11時過ぎで11時25分頃にアルファマにつきました。

 まず、出発直後に見えた修道院付近の光景や、下町にしては「大きいな!」と思った建物の様子をご覧ください。


  <多くの人々が集まる建物>

   <塀に囲まれた建物(右方向)>

 このピンクの建物は、修道院を出発して直ぐに見えたものですが、皆さん、どういう建物だと思いますか?
 なんと!「ポルトガル大統領の公邸」だそうです。
 私たちが訪問したとき(2013年3月)の大統領は、社会民主党の「アニーバル・カヴァコ・シルヴァ」という方です。(現在は、2016年から同じ社会民主党の「マルセロ・レベロ・デ・ソウザ」という方だそうです。)

 さて、バスはテージョ川沿いに走りますと、アルファマ地区に向かいますが、アルファマ地区の手前の「バイシャ」という地区にある「コメルシオ広場」を見学せずに、カテドラル(リスボン大聖堂)付近で降車したようです。
 コメルシオ広場は、1755年の大地震や、1908年にカルロス1世と皇太子が暗殺されるなど様々な歴史の舞台となった有名な広場で、広場の中央にはドン・ジョゼ1世の騎馬像が建っているといいますが、見学できなかったのが心残りです。

 話をバスを降りたところに戻していただいて、最初に申し上げた「下町にしては大きいな!」という印象を受けた建物をご覧ください。



   <ピンクの近代的なな建物>

  <建物の中を見学?>

 左上の建物は、帰国してから調べたのですが、「Chafariz D’EI Rei」という近代的なホテルのようです。
 だからでしょうか?ここの場所は、カテドラルもそうですが、アルファマ地区ではないようです。
 この先に右上の写真のように古い建物が並んでいますが、この手前の建物をくぐってカテドラルに向かうようです。
 言い方に自信がなさそう?そうなのです。
 最初に見学した場所がどこなのか?未だに分からないのです。
 でも、リスボンで最も古い街並みを残すといわれるアルファマ地区に、この場所から歩いて向かったことは間違いありません。
 まず、大きな壁とみかんの木が印象的な階段の模様と、「RUA DA JUDIARIA」という表示がある水飲み場?の光景をご覧ください。


  <階段と大きな壁とみかんの木>

  <階段下の水飲み場?と表示板>

 この階段を上がるとどこに向かうことになるのでしょうか?
 また、右上の写真にある表示板の言葉「RUA DA JUDIARIA」は何を意味しているのでしょうか?
 直訳すると、「ユダヤ人通り」というとになるようですが・・・
 「地球の歩き方」などでは、アルファマのことを「迷路のような路地や白壁の家々は、かってのイスラムの影響を色濃く残している」とか「リスボンの下町」などと説明していますが、もしかしたらユダヤ文化の影響もあったのでしょうか?
 なお、右側の写真にトンネルのようなところが見えていますが、バスを降りてここをくぐりますと、上のような光景が広がっていたという次第です。

 さて、ここからアルファマの見学がスタートしました。
 とはいいましても、時間が15分程度でしたから「あっ!」という間でしたので、何枚か写真をご覧いただきましょう。


  <階段下近くの店>

   <白壁が目立つ家々>

  <洗濯物がぶら下がっている> 

  <狭い路地を歩く>

  <野菜売り場?>

  <共同の洗濯場>

 ここを歩きますと、確かに迷路のような路地と白壁の家々が目立ちますが、野菜や洗濯物を見ますと、ここに住んでいる人々の生活が垣間見えますので旅行者にとっては、「ただぶらぶら歩き回る」だけで楽しいのかもしれません。

 ここの見学が終わりますと、リスボン旧市街の北にあるエドゥアルド7世公園内にある「BOTEQUIM DO REI」というレストランで昼食をいただくことになっています。
 バスで20分弱の距離でしたが、その間、面白い光景が見られました。

 まず、「パウロのカステラ」という看板がある店を発見しました。
 場所は、コメルシオ広場の東側「Rua da Alfandega」という通りに面しているようです。(でも、現在、この店は日本に転居してしまい、閉店した!というような情報もあります。)


 また、この周辺にはリスボンの名物ともいえる路面電車(トラム)が走っているなどバスから見える光景に身体が大忙し!でした。
  

   <パウロのカステラ>

<トラムだぞ!>

 パウロのカステラの店のところを西に進みますと、左側に「コメルシオ広場」がありますが、広場と官庁舎との間を走っているオウロ(Rua da Ouro)通りを北に向かいますと、バイシャ地区のランドマークといわれる「サンタ・ジェスタのエレベータ-」が遠方に見えるところに差し掛かりました。


 <サンタ・ジェスタのエレベーター>
 このエレベーターは、フランス系のエンジニア、ラウル・ムスニエル・デ・ポンサルドによって設計されたもので、20世紀初頭につくられたものです。
 高さ45mの巨大な鉄塔の内部をクラシックなエレベーターが上り下りするそうです。
 エレベーターを降りると、展望台があり、また、、バイロ・アルト地区(バイシャ地区の西側で丘の上に広がる高い地区)に通じる連絡橋があり、「カルモ教会」の裏側に出られるそうです。
  ここを過ぎると、広場のような光景が見てきました。
 「ロシオ広場」です。正式名は、ペドロ4世広場」ですが、ロシオ(公共の広場)という愛称で親しまれています。
 鉄道や地下鉄の駅、バス停などが集まるバイシャ地区の中心地です。中央の円柱の頂には、初代ブラジル国王になったドン・ペドロ4世のブロンズ像が立っています。
 この広場の西側には、ロシオ駅が、その先にはリベルダーデ通りに入る手前に「レスタウラドーレス」という広場が見えてきました。

     <ロシオ広場>

     <ロシオ駅>

  <レスタウラドーレス広場>

 ポルトガルは、16世紀末からスペインに60年間支配されてきましたが、民族の自立を願う愛国者によって再独立を果たしました。「レスタウラドーレス」とは、復習者たちという意味ですが、この広場の中央に立つ高さ30mのオベリスクは、勝利と再独立の精神を表すものとなっているようです。


  <広場のオベリスク>

   <広場のフォス宮>

 広場の周辺には、観光案内所が併設されている「フォス宮」などの19世紀から20世紀の建物や、ホテル、郵便局、カフェ、レストランなどがあり、ロシオ広場と並ぶリスボンの中心的な広場となっています。
 ここを過ぎますと、いよいよ昼食会場である「エドゥアルド7世公園」に近づいてきました。



  <エドゥアルド7世公園>

   <公園の遊歩道>

 エドゥアルド7世公園は、1902年イギリスのエドワード(エドゥアルド)7世がリスボンを訪問したのを記念して造られた斜面を利用した緑豊かな公園です。中央に幾何学模様の植え込み、両側には遊歩道が整備されたフランス式の庭園です。

 私たちが昼食をいただいたレストラン「ボテチン・ド・レイ(BOTEQUIM DO REI)」は、この公園の中にあります。いただいたものは、「ポルトガル風スープ」、「魚のカルディラーダ(ブイヤベース)」、「メロン」などとなっています。
 小生は、飲み物として小瓶のビールをいただきました。



<レストラン入口> 

  <スープ>

<カルディラーダ> 

  <メロン> 

 味の方は、ススキ、イカ、イワシ、タコとジャガイモが煮てある「カルディラーダ」、ジャガイモとにんじんの「ポルトガル風スープ」とも「まあ、まあ」の味でした。

 昼食が終了しますと、ケールース宮殿に向かいました。







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 このページ(No.17)は、ポルトガルの首都リスボン観光を掲載しています。