<Portugal>
 連泊で巡るポルトガルの美しい町
や村12日間の旅

 <2013.3.5(火)~3.16(木)・ユーラシア旅行社>

    ~3月13日(水)旅行9日目  太陽が眩しい!晴れ~







                                  No.18


  ポルトガルの首都 リスボン(Lisbon)

   午後からの観光(リスボン近郊ケルース宮殿)

 楽しい昼食が終了しますと、アーモンド祭りの代替え観光となっている「ケルース宮殿」に向かいました。
 リスボン近郊にあるミニヴェルサイユといわれる宮殿で、リスボンから西へ13km高速道路を約10分走りますと到着しました。



  <到着手前の光景> 

  <宮殿と同じ敷地に立つ教会> 

 次のマフラ修道院観光も予定されているためか、少し慌ただしい感じで、まず、宮殿の中を見学しました。
 この宮殿の見どころは、優美な建物の内部とフランス式、イタリア式庭園だそうです。

 ケルース宮殿は、ドナ・マリア1世とその夫ドン・ペドロ3世の夏の離宮として、18世紀に建設されたそうです。
 現在は、賓客のレセプションなどに使われています。
 私たちは、宮殿内をどういう順序で見学したのか?といいますと、まず、「鏡の間」、次に「音楽の間」、「明かりの間」、「マリア王女の間」、「スモーキングルーム」、「コーヒーの間」、「ダイニングルーム」、「角部屋」、「アズレージョの間」、「ろうそくの間」、「かっての宮殿入り口」、「プライベートルーム」、「大使の間」、「ジャカランダのフローリーングの間」、「待合室」、「ピクニックの間」、「ドン・キホーテの間」、「カルロス王女の間」、「着替室」、「テラス」という順に廻りました。
 良く覚えているな?!
 もちろん、添乗員さんのメモにそのように書いてあったからで、物覚えの悪い小生が記憶に残っているはずはありません。

 写真を全部撮影したのか?そんなことはありえません。庭園を含めて1時間強でこれらを見て回ったのですから無理でしたね。


  <ケールス宮殿>  

  <宮殿の「鏡の間(王座の間)」>

 左上の建物は、中の見学が終了してから見た宮殿の正面ですが、かみさんが「ばっちり」撮影していてくれました。(良かったな!)
 「鏡の間」は、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間と同じように見えますが、スケールが違うように感じました。
 小生は、ヴェルサイユ宮殿も訪問しましたが、大きさと豪華さに圧倒された記憶が残っています。
 さて、次はどこの間を見学したのでしょうか?


  <「鏡の間」の彫刻> 

   <「鏡の間」?>

 見学した部屋は、先ほど申し上げた通りですが、鏡の間はすぐに分かったのですが、その後に訪れた「音楽の間」などがどこなのか分からない!というのが正直な話です。
 仕方がないので、かみさんの分を含めて撮影順にご覧いただくことにします。


  <マリア王女(マリア1世)?>

  <ドン・ペドロ3世?>

 左上の写真は、鏡の間の間にありましたが、描かれてる人物がマリア王女なのか、また、右上の写真の絵がどの部屋に展示されていたのか、そして描かれている人物がペドロ3世なのか分かりません。
 描かれている人物は、若すぎてウキペディアに描かれている1777年のペドロ3世の人物画とあまりにも違いすぎるのです。

 ドン・ペドロ3世?と表示した人物の絵があった部屋には、かみさん好みの装飾品などがあったのでしょう!


   <壁?の草花>

   <床の絨毯?>

    <壁に描かれた草花>

   <壁?に描かれていた文様>

 上の写真は、何を撮影したのかさえ分からないのですが、撮影時刻から判断しますと、角部屋またはアズレージョの間(ソデの間)で撮影したものです。


  <どこの間(ダイニング、角部屋)?>

   <アズレージョの間(ソデ部屋)?> 

  <どこの間(ローソク?)>

   <どなたの寝室?>

 折角、撮影してきたのに場所が不明なのですから情けない限りです。
 なお、帰国してから調べますと、壁のアズレージョと馬車が印象的な部屋のことを「ソデ部屋」と称しているものがいくつか見つかりましたが、「ソデ部屋」というのは、どこかの部屋を仕切った部屋のことではないではないでしょうか?

 さて、次に出てくる光景も場所が分かりませんが、建物の中から外を撮影しましたので、「かっての宮殿入り口」付近の光景なのかも知れません。
 そして、再び建物の中に入りますと、主な見どころの「ドン・キホーテの間」、「カルロス王女の間」ですが、気になっている「ドン・キホーテの間」の写真がありません。


  <内部から見えた宮殿の建物>

  <カルロス王女の間?> 

 ところで、「カルロス王妃の間」のカルロスとは、1889年から1908年までポルトガルの国王であった「カルロス1世」のことかも知れません。この王様は、1908年2月にリスボンのコメルシオ広場付近で暗殺されているそうです。
 ポルトガル最後の国王マヌエル2世は、カルロス1世とその王妃フランス国王ルイ・フィリップの曾孫アメリアの子だということですから「カルロス王女」とは、「アメリア」のことでしょうか?


 さて、カルロス王女の間から着替え室という建物の中の見学が終了しますと、テラスに出て外を眺めた後に宮殿の裏側を廻りながらイタリア庭園、ポルトガル庭園、フランス庭園を見学しました。


  <フランス式庭園> 
 
  <宮殿の裏側> 

   <フランス式庭園の彫刻> 

  <フランス式庭園と宮殿> 

 ケールス宮殿の見学が終了しますと、バロック建築の傑作といわれる「マフラ修道院」に向かいました。

  午後からの観光(マフラ修道院) 

 マフラ(Mafra)という町は、リスボンから北西に約40㎞の距離ですが、ケールスからも同じような距離だと思います。14時35分にケールス宮殿を後にしてマフラの町には15時15分前に到着しました。
 この町は、人口5万人ほどの小さな町ですが、18世紀前半にジョアン5世がスペインのエル・エスコリア宮に対抗し、また、数年来の願いであった王女誕生(ジョアン5世とマリア・アナ王妃の子供)を神に感謝し、この町に巨大な修道院を建立しました。
 この「マフラ修道院」が町の見どころとなっています。



   <マフラ修道院>

   <モロッコでの布教の絵?>

  <宗教芸術コレクション?>

 修道院に入って何を見学したのか?ですが、ケールス宮殿同じように何が何だか理解できないうちに見学が終了してしまいました。
 見学した順番は、添乗員さんのメモによれば、「モロッコでの布教の絵」、「宗教芸術コレクション」、「看護婦の間」、「台所」、「寝室(1部屋ごとにキリストと聖母マリアのタイル)」、「ディアナ女神の部屋」、「謁見室」、「王様の祈りの間」、「女王のベッドルーム」、「洗面室」、「長い廊下前の部屋」、「英雄の間」、「運命の間」、「サン・マルティンの間」、「ジョアン5世の間」、「お風呂(1年に1回)」、「マヌエル2世のベッドルーム」、「女王の着替室」、「音楽の間」、「パチンコの間」、「楽器の間」、「狩りの間」、「食堂」、「図書室(4万冊)」となっています。

 でも、これらの部屋などを正確に言い当てることなど小生にはできない相談ですし、撮影できた「間」などは本当に少なかったのです。
 僅かに撮影した右上の写真2枚の説明文も、どこの間なのか自信がないものですから「?」マークをつけてしまいした。

 そんな説明できないような写真ですが、せっかく撮影したのですから掲載したいと思います。

 
  <金細工?のコレクション>

   <王の服装品?>

 上の写真2枚も「宗教芸術コレクション」だと思います。
 そして、その5分後に入った部屋には、次の光景が待っていました。


 <看護の間という名の修道僧の部屋>

   <看護の間>

 添乗員さんのメモの通りであれば、上の写真の場所は、「看護の間」ということになります。

 ところで、帰国して調べますと、この建物の建設は、17171年に始まり、当初は13人のフランシスコ会修道士が活動できる修道院のみを建設するという小さな計画であったが、植民地であったブラジルから金が入ってくるようになると、当時の国王(ヨハネスⅤ)と王の建築家が計画を変更し、修道院に加えて豪華な宮殿様式の建物を建築することになったそうです。

 建物は、13年もの月日を要し、5万2千人の労働者を動員して造られたといいます。
 最終的には、フランスなどから持ち出されたパイプオルガンと2つのカリオンを含む異国の芸術の数々を備えた大理石で美しく飾られた宮殿建築の建物になったのです。
 そして、そこに4万冊の蔵書を誇る図書館を設けるとともに、330人の修道士を収容可能な修道院として建設したようです。

 



  <看護の間のベッド>
 看護の間という表示がある部屋は、病棟だという説明もありますが、修道僧が使っていた部屋というより看護という言葉から連想するのは、「病棟」なのかも知れません。
 それでも、ここは修道院なのですから、この部屋で修道僧が生活していたことは間違いないと思います。
 

 ところで、こんなカプセルホテルのようなプラバシーがない部屋で修道僧は修行していたのでしょうか?

 さて、「看護の間」の見学が終了しますと、王の居室などの宮殿に向かったようです。

 ところで、この建物を称して「部屋の数が驚くほど多いが、ヴェルサイユ宮殿やシェーブルン宮殿のような派手さはない。それでも、壁や装飾には、巨大宮殿の名残りが見える。」というような説明が見受けられますが、これは、修道院の中の王宮の部分のことを言っているのだと思います。
 この王宮に関連した部屋としては、「謁見の間」、「女王のベッドルーム?」、「狩猟トロフィーの間」、「ディアナ女神の部屋」などがあるようです。



  <謁見の間?>

   <女王のベッドルーム?>

 この後、英雄の間や、運命の間、鹿の角が飾られた食堂などを見学して、蔵書が4万冊もあるという「図書館」に向かいました。
 2階の裏側にあるロココ調の図書館は、オーストリアのメルク修道院の図書館に匹敵する大きさを誇るもので、この宮殿の必見の場所だといえます。



    <木製の書棚が並ぶ図書館>

   <木製の手すりで仕切られている>

 この図書館は、長さが88m、幅9.5m、高さ13mで、床も大理石のタイルで覆われています。
 ここの蔵書には、14から19世紀にかけて西洋の知識が収められているそうです。


 さて、最後にマフラ国立宮殿(修道院)の正面からの像をご覧いただきたいと思います。
 そして、ポルトガル旅行の情報サイト「ようこそポルトガル」を引用しながら説明が不足してところを補充してみたいと思います。


 
<マフラ国立宮殿(修道院)>

 「ようこそポルトガル」では、次のように説明しています。

 1730年に完成したこの宮殿には、1200の部屋に加えて4万冊近くの蔵書を誇る図書館、大理石が美しいバチカンのサン・ピエトロ寺院を模倣したバジリカ、330人の修道士を収容可能な修道院が併設されています。また、鐘楼には世界最大級の鐘が備え付けられ、この鐘の音は24km先まで聞くことができるそうです。

 <小生の独り言>
 この文章を読みますと、修道院という印象が薄れてしまいます。宮殿という言い方が相応しいのかも知れませんね。
 なお、バジリカ(basilica)とは、「キリスト教以前のローマ時代の建造物の形式、長方形の平面を持ち、法廷や商取引などさまざまな目的のためにつくられた。」そうです。
 ようこそポルトガルに戻っていただいて・・・


 この宮殿には、人を食べることができるほどの大きなネズミが住み着いている。マタ、エリセイラまで繋がる秘密のトンネルが存在するなどの伝説が言い伝えられて、見学者をさらに楽しませてくれます。
 また、マフラには王家が狩猟のために作った狩猟公園があり、今日は大自然を残す公園として一般公開されています。ポルトガル政府によりこの2つを「マフラ宮殿とマフラ修道院、王家の狩猟公園」の名前でユネスコの世界遺産の暫定遺産に搭載しています。


 以上で「マフラ宮殿(修道院)の観光が終了です。
 ここから宿泊先のリスボンのホテル、ドン・ペドロに向かいました。
 19時30分にホテルのロビーに集合してファドを聴きながらディナーをいただくことになっています。
 レストランは、バイロ・アルトという地区にあるアデガ・マシャド(Adega Machado)という店です。ホテル、ドン・ペドロからは1㎞以上ありますが、どんな雰囲気だったのでしょうか?

 19時50分に到着して23時10分までポルトガルの民族歌謡ファドを聞きながらの食事でした。なお、ファド(fada)とは、運命または宿命を意味するそうです。何となく、暗いイメージがしますが、どうなのでしょうか?


  <アデガ・マシャド>

  <ファドを歌う女性>
   

 食事の内容は、「レンズ豆のスープ」、「仔牛のステーキ」、「フルーツサラダ」、「ワインなどの飲み物」となっていますが、歌に酔いしれて味などはサッパリ覚えておりません。

 これで旅行9日目の予定がすべて終了しました。明日は、終日自由行動となっていますが、添乗員のNさんおすすめのコースに行くしかないようです。








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 このページ(No.18)は、リスボン近郊のケルースとマフラ宮殿を掲載しています。