<Portugal>
 連泊で巡るポルトガルの美しい町
や村12日間の旅

 <2013.3.5(火)~3.16(木)・ユーラシア旅行社>

    ~3月14日(木)旅行10日目  快晴~ 






                                  No.20


   リスボン市内観光(ロシオ広場、サン・ロケ教会など)

 ▲ テージョ川をフェリーで渡ってレストランへ

 
さて、国立古美術館の見学が終わりますと、昼食の時間になりましたが、市電で「カイス・ド・ソデレ駅」に戻ってフェリーに乗ってテージョ川対岸の「カシーリャス(Cacilihas)」というところにあるレストランに案内していただきました。



   ≪カイス・ド・ソドレ駅付近≫

   ≪フェリー船の案内板≫ 

    ≪海のようなテージョ川≫

  ≪対岸からの4月25日橋≫

 こうして対岸に到着しますと、海鮮料理(GRILLED FISH、SHELL FISH)の看板があるレストラン(MARISQUEIRA)に入りました。


 ≪レストランMARISQUEIRA≫
 

 このレストランでの昼食は、文字通り海鮮料理、特に、エビがメインでした。味?エビですから日本人が大好きな料理ですので、美味に決まっている?ご想像にお任せします。
 小生は、この時も赤ワインをいただいてしまいました。
 自由行動ですから、この時の交通費と昼食代金は、自費です。(フェリー10分間の乗車で往復2ユーロ、レストラン30ユーロほど)

 ▲ 「ロシオ広場」から「モラエスの生家」へ

 昼食が終わりますと、フェリーに乗って「カイス・ド・ソドレ駅」に行き、ここから地下鉄で「ロシオ駅」に向かいました。  
 バイシャ地区の「ロシオ広場」に向かい広場では、買い物やカフェなどで1時間から2時間のフリータイムを過ごすことになっています。
 ところが大きな勘違いをしていました。
 ロシオ駅で降りましたので、目の前に広がる公園は、「ロシオ広場」と思っていたのですが、この広場は、「フィゲイラ」という広場だったのです。


  ≪フィゲイラ広場≫

    ≪広場のジョアン1世像≫

 この広場は、リスボンの中心地にある大きな広場です。
 16世紀まではここに王立病院があったが、1755年の大地震で病院が損傷し、廃止され、その後は青空市場になりました。
 そして、ここに1885年頃、巨大な屋根のある市場が建設され、1949年に市場が廃止され、空き地となったという歴史があります。
 この空き地となった広場に1971年、彫刻家レオポルド・デ・アルメイダという人の手によって造られたブロンズ製の「ジョアン1世像」がおかれたそうです。

 私たちは、ロシオ広場でフリータイムを過ごさず、添乗員さんが案内してくださるという「モラエスの生家」に向かいました。
 ロシオ広場から徒歩とケーブルカーに乗車しての見学でした。
 リスボンは起伏に富んだ地形で7つの丘の街といわれています。



 ≪ケーブルカー、ラブラ線≫ 
 また、トラムが走れないような急な斜面にはケーブルカーが走っています。

 リスボンのケーブルカーは、3路線ありますが、重宝するのがレスターウラドーレス広場からバイロ・アルトに登るグロリア線だそうです。

 でも、私たちが乗車したケーブルカーは、「モラエスの生家」がある方向に走っている「ラヴラ線」でした。

 

 やがて私たちが目指して「モラエスの生家」に到着しました。
 モラエス(ヴェンセスラウ・デ・モラエス)という方は、ポルトガルの海軍士官、外交官で1899年にポルトガル領事館が神戸に開設されると副総領事となり赴任、その後総領事となり1913年まで勤めた方です。
 1902年から1913年までポルトガルの著名な新聞に日本の政治外交から文芸まで細かく紹介しており、それらを収録した図書全6冊が刊行されています。
 また、1913年に職を辞任後も徳島に移住して没したそうです。
 著作としては、「オヨネとコハル」、「日本精神」、「ポルトガルの友へ」などです。


  ≪モラエスの生家≫

≪ポルトガル語と日本語の案内≫


 何と書いてあるのか?



 葡国海軍士官にして作家たりし
 ヴェンセスラウ・ジョゼ・デ・ソーザ・モラエス
 (1854-1929)が生まれ育ちたる
 はこの家なり。
 長き歳月を愛する日本に過ごしたるかれは
 祖国に思いを馳せつつかの地に死せり。

      日本国 宇留野 清年 書
 

 と書かれています。

 ▲ サンタ・ジェスタのエレベータとサン・ロケ教会

 さて、ここの見学が終わりますと、「サンタ・ジェスタのエレベータ」と「サン・ロケ教会」に向かいました。
 サンタ・ジェスタのエレベータの内容については、P17で説明していますので、そちらをご覧いただきたいと思いますが、モラエスの生家からは、ロシオ広場などがある中心部、つまり南に向かって行く必要があります。
 かなりの距離がありましたので、出発してから約1時間後の17時過ぎに到着しました。

 このエレベーターは、P17でも触れましたが、バイシャ地区とシアード地区やバイロ・アルト地区を繋いでいますので、1902年に完成して以来、市民の貴重な足になっています。
 このエレベーターを利用すれば、低地のバイシャ地区から小高い丘に立つ「カルモ教会」まで簡単に登ることができ、また、45メートルの展望台からは、リスボンの市街地を一望することができます。



  ≪サンタ・ジェスタのエレベータ≫

  ≪リスボン市街地テージョ川方向≫

   ≪同じくサン・ジョルジェ城方向≫

 この後は、エレベータを通ってバイロ・アルト(高い地区という意味)地区にある日本の天正遣欧少年使節が滞在したというサン・ロケ教会(Igreja de Sao Roque)に向かいました。
 偶然ですが、教会の東側に建っているサン・ロケ博物館(Museu de Sao Roque)もカメラに収まったようです。

 サン・ロケ教会は、1584年に天正遣欧少年使節が1ヶ月ほど滞在したイエズス会の教会です。(イエズス会は、キリスト教カトリック教会の男子修道会。1534年にイグナチオ・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらによって創設された。世界各地への宣教に務め、日本に初めてカトリックをもたらした。)
   ≪サン・ロケ教会と博物館≫



 ≪教会の解説・・・ウキペディアから≫

 この教会の原型となった礼拝堂は、1506年から1515年にかけてマヌエル様式で建てられました。
 サン・ロケは、黒死病から信者を守ってくれると信じられており、ジョアン3世は1523年にサン・ロケ教会のそばに黒死病が原因で死んだ者たちの専用の墓を造らせたのです。1540年、イエズス会から派遣された最初のサンフランシスコ・ザビエルなどの会員たちがポルトガルに到着。
 イエズス会は1553年にサン・ロケ礼拝堂を所有、すぐに小さな礼拝堂を大きな教会にすることを決めたのです。
 現在の建物は1565年から1587年にかけて簡素なマルエリスム様式(後のルネサンス様式)で建造されたのです。(以下、略)



 この教会の内部の特徴としては、一つだけの側廊を持つ主礼拝堂と本堂に沿った8つの礼拝堂ですが、その内装は、1世紀をかけてマニエリスム、バロック、ロココ様式で飾り立てられていることや平らな木造の天井などだそうです。

 といいましても、ヨーロッパの教会は、「暗い」というイメージがあり、どのようなものなのか、今まで見てきた各国の教会と何が違うのか?という素朴な疑問が沸きますが、あまりの金ピカぶりに驚いてしまいました。


   ≪サン・ロケ教会≫

   ≪主祭壇の横にある礼拝堂≫

 左上の光景が教会の正面(祭壇)で主礼拝堂ですが、その左右に見えるアーチ状の空間が礼拝堂(8つ)になっていて、聖母マリヤやキリスト像などがその中央におかれています。
 それぞれの祭壇は、黄金色で埋め尽くされ、その精緻な美しさに圧倒されてしまいました。


 
   

 中でも、奥にあるサン・ジョアン・バプティスタ礼拝堂は、「瑠璃(るり)や瑪瑙(めのう)、モザイクで飾られたリスボンでも有数の美しいチャペルだ」という話ですが、残念ながら撮影していませんでした。

 ▲ サン・ペドロ・アルカンタラ展望台とケーブルカー(ピッカ線)

 サン・ロケ教会の見学が終わりますと、「夕暮れ時が美しい」というサン・ペドロ・アルカンタラ展望台に向かいました。
 この展望台は、サン・ロケ教会の北側にあるケーブルカー、グロリア線の向こう側にありました。



   ≪展望台から望むリスボン市街≫

  ≪絵画の販売≫ 

 この展望台は、小さな公園のようになっており、ここからは、オレンジ色に輝いた赤い屋根が連なるリスボンの街並みとサン・ジョルジェ城が見渡せました。
 また、ここではご覧のようにリスボンの美しい光景を描いた絵画を販売していました。

 さて、次はリスボン名物とでもいうべきケーブルカー見学です。
 場所は、本日、最初に見学したリビイラ市場の北側を5分ほど歩いたところにある「ピッカ線」です。



  ≪ピッカ線の駅の入口≫
   

   ≪線路を走るケーブルカー≫

 ピッカ線の下側の駅は、ご覧のようにお店の入口のような感じの建物になっています。
 前にもの触れましたが、リスボンのケーブルカーは3路線がありますが、それぞれ大きさが違い、このピッカ線が一番可愛らしいと思います。
 上側から下側までの距離がわずか283mで、3分間ぐらいの乗車時間なのに運賃が高いのですが、乗客は殆どが観光客ですから文句は出ないということでしょうか?
 まぁ、確かに可愛らしい乗り物ですから旅の良い記念になりますね。落書きがなければもっと良いのに残念です!

 その後、「トリンダーデ」というレストランで本日の夕食です。


 見た感じが美味しそう?そうなんですが、味の方はまったく記憶がありません。
 この日は、すべて自由行動ですから豪華なものを期待したにしては、ご予算が20~30ユーロ(3,000円から4,000円)少ないのかも知れません。



 食事が終わりますと、このレストランから2~3分の所にある「LUSO」というレストランでファド&民族舞踊ショーを案内するそうですが、お断りしてタクシーでホテルに帰ることにしました。

 明日は帰国です。早めにホテルに帰って英気を養いましょう!








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 このページ(No.20)は、リスボン市内観光(ロシオ広場など)を掲載しています。