ルーマニア・ブルガリア大周遊17日間の旅行記
 <2012.10.16(火)~11.1(木) (株)ワールド航空サービス>

       ~旅行8日目・10月23日(火)  曇りときどき晴れ~ 




                                  No.14


  今日は、ブルガリアに「さようなら」を告げてドナウ川を渡ってルーマニアに入国します。
 本日の予定は、8時15分にホテルを出発して、①バスでドナウ川を渡りルーマニアに入国、その後、ブカレストで昼食、ブカレストの簡単な観光(車窓?)をして宿泊地のシナイアに向かいます。

 まず、朝食の様子ですが、前日と同じヴェルコ・タルノボのホテルですので、省略して国境までの様子をレポートします。
 ヴェルコ・タルノボから国境までは地図で見ますと約200キロメートルぐらいのようですが、なだらかな丘陵地帯が続き「これ!」といった光景はありませんでした。
 ブルガリアとミワさんに別れるのがつらくて変な感傷に浸っていたので光景どころではなかった?
 そんなことはなく、国境が近づいてドナウ川が見えてきますと、「どういう手続きが必要なのか?」興味が「沸々」と湧いてきました。
 ブルガリアは2007年にEUに加盟したそうですが、ルーマニアは未加盟なのでしょうか?
 通貨は、両国ともユーロにはなっていません。

 
  <ルーマニアに向かう様子>

 <ブルガリア最後のトイレ休憩>

 左の写真が8時50分、右のトイレタイムが9時20分頃ですからホテルを出発してから1時間強といったところです。
 ここから、どのくらい走ったのでしょうか?先ほど申し上げたドナウ川が見えてきました。でも、小生の記憶違いでなければ撮影禁止でしたからドナウ川は写っていません。


 <国境に近づく!>
 
 <同じくバスから撮影>

 上の写真は、2枚ともドナウ川手前のブルガリアの光景で、ここから20分ぐらいで国境の駐車場に着いたようです。
 
 さて、川を越えますと、国境の駐車場(ルーマニア領?)で両替をして、ルーマニアでお世話になるバスに乗り込みました。
 ルーマニアのバスの方がちょっと古くて小さめかな?と思ったのですが、席の数はブルガリアのバスより多いようです。
 ここは、まるで広場のようで、多くの犬がいました。でも、人になれているのかまったく吠えませんので安心です。


 添乗員のTさんのメモには、この部分を次のように記述してありました。
 
「8:15ホテル出発し、ブルガリア最後の短いドライブへ。10:30国境の町ルセへ。ブルガリアとルーマニアの国境には自然の国境線として500㎞に渡りドナウ川が流れています。ルセとギュウギュウ(本当!)の間にはドナウ一長い2200mの「友好の橋」があり、ここを超えてルーマニア入国です。」

 このバスで私達を歓迎してくれたのは、ガイドの「カティ」さんとドライバーの「ドリン」さんです。
 カティさんは、ブルガリアのミワさんほどではありませんが、流暢な日本語を話す若い美女で、ドリンさんとともに帰国するまでルーマニアの案内をしてくださるそうです


  さて、ここからルーマニアの旅が始まります。ルーマニアのルーマニア観光の参考になることを記述しておきます。

 
ルーマニアの通貨は、レウLeu(複数はレイLei)といいますが、2005年にデノミが実施され、現在、レウは新ルーマニア・レイ(RON)と表記されています。日本円から直接両替はできませんので、ユーロから両替することになり、1レイは、約25円となっています。

 中欧で唯一ラテン民族の血筋を引いているは、ルーマニア人だそうで、そのためか人々は陽気で明るく、困っている旅行者を見たらほうっておけないようなところがある(地球の歩き方から)といいますから、自然や歴史・文化に触れながら人情溢れる楽しい旅ができそうです。

 また、旅行者が関心があるルーマニアの世界遺産は
 1 ドナウデルタ(ヨーロッパ最大の湿原地帯で野生生物の宝庫。)
 2 モルドヴァの修道院群(5つの修道院)
 3 ホレズ修道院 
 4 トランシルバニアの要塞教会群
 5 オラシュチエ山脈のダキア人要塞
 6 シギショアラの歴史地区
 7 マレムレシュの木造教会
 の7つだそうですが、私達はこのうちどこを見ることが出来るのでしょうか?


 国境からブカレストまでは150㎞ぐらいのようですが、その間の景色も平坦な畑と丘陵地帯が続き「これは面白い!」というようなものは見当たりませんでした。この間、10時40分時頃にガソリンスタンドでトイレ休憩がありました。
 そして、12時40分過ぎにブカレストのレストランに到着しました。昼食のメニューが「中華料理」となっていましたので、楽しみです。

 
 <ルーマニア最初の景色>

 <ブカレスト市内?> 

 右側の写真は、12時20分ぐらいに撮影したものですからブカレスト市内の光景だと思いますが、どのような建物なのかはわかりません。
 楽しみの中華料理をご覧いただきましょう!

 レストランの名前は、ワールド航空サービス社が配布したメニューでは「FORBIDDEN CITY]となっていました。でも、左側の写真中央の鉄格子には「王府大酒店」と書いてありました。
 肝心な味の方ですが、メモには
「色が悪い中華」とあり、「味はまぁまぁ!」「ご飯はインディカ米」と記してありました。
 左上の写真の食べ物は「鶏肉」の炒め物だったと記憶しています。
 なぜ、はっきり記憶しているのか?といいますと、小生の隣に座った女性が「鶏肉」がまったく食べられない方だったからです。

 これまでのツアーでも「肉」や「イモ類」がまったくダメな方もいましたので、驚きませんでしたが、何でも食べられる自分の幸せに感謝したいという気持ちになりました。

 昼食の後は、ブカレスト市内観光の予定で、日程表では「簡単な車窓観光」となっています。 ブカレストには、30日に宿泊することになっていますが、31日には帰国することになっていますので、市内観光は、この日に「じっくり」見たいものです。
 でも、ブカレストは、観光地しては評価が低いようです。
 その理由は次の通りです。

 「20世紀初頭には、「バルカンの小パリ」と称されるほど美しい町並みを誇っていた。が、現在、その面影をかろうじてとどめているのは、旧市街のごく一部と凱旋門に続く通り沿いのみであろうか。古い教会や歴史的な建築物は、独裁を続けた共産党の手によって、ことごとく破壊されてしまった。そのため、この町には歴史的な見どころが驚くほど少ない分、通りを歩いていると、とてつもなく巨大な建物群が目にとまる。まるで故チャウシェスク大統領の野望を有形化したかのような、旧共産党本部や国民の館・・・・。(地球の歩き方から)」
 こういう歴史があったことを聞きますと、破壊した理由の如何を問わず「人間は、何と愚かなのだろうか!」と悲しくなってしまいます。
 それでも、ペンタゴンに次ぐ世界第2の大きさの国民の館や旧共産党本部などが新しい歴史を作っていくというのでしょうか?


 <旧共産党本部>

  <国民の館>

 左側の旧共産党本部は、現在、労働省になっており、建物前に聳える細長い塔が印象的ですが、頂上付近のところが何かの象徴でしょうか?赤く染まっていたと記憶しています。
 この建物は、革命広場にあり、1989年の12月22日に故チャウシェスク大統領がこの建物のテラスから大群衆に最後の演説をしたといいます。しかし、ブーイングに遮られ、その直後、屋上からヘリコプターで逃亡したのです。

 また、右の
国民の館は、故チャウシェスク大統領が、日本円で約1,500億円を投じて作らせたという巨大な宮殿で、部屋数は3107だそうです。
 どのような目的で、そのような巨大な建物を作ったのかといえば、宮殿内部を見れば「私欲を満たすためだった」ことがよくわかるそうです。
 
「宮殿内部は、天井、壁、窓枠にいたるまで純金の装飾が施されている、幅18m、長さ150mにも及ぶ回廊Hunour Gallery、高さ18m、総面積2200㎡の大ホールUnion Hallなど圧巻。宮殿を支える大柱は、白、赤、黒、ピンク、ベージュの色をした大理石で、ルーマニア中から集められたという、まさに贅の限りが尽くされていた陰で、国民は飢餓を強いられていた。(地球の歩き方)」
 
 建物中に入ったのか?もちろん!入っていませんが、ワールド航空サービス社さんのご厚意でバスから降りて見学することができました。(通常、車窓観光はバスの中から見ておしまい!です。)
 国民の館は、写真では小さく見えますが、本当に巨大でした!現在は、各政党のオフィスが入っているほか、国際会議やコンサートにも使われているといいます。

 なお、ブカレストの見どころとしては、この二つ以外に北部にある凱旋門(第1次世界大戦の勝利を記念して1919年に建設)、ルーマニア国営テレビ局、中心部の革命広場、
クレツレスク教会(革命広場に建つ18世紀の教会)、旧王宮跡、中央市場、南部の大主教教会、ゲンチェア墓地(チャウシェスク大統領とその夫人エレナが眠っている墓地)、植物園、国立美術館などがあるそうです。
 
 Tさんのメモには、「・・・や秘密結社、大学図書館など。凱旋門などをご覧いただきました。」となっていますが、中心部の旧共産党本部と南部の国民の館の印象が強くて、他のものは、良く覚えていないのです。


    <クレツレスク教会>
 
     <大学図書館>

 この後は、14時30分ごろにブカレストを離れて「カルパチアの真珠」といわれるシナイアに向かいました。
 シナイアは、王侯貴族の別荘が建ち並ぶ街ですから、素晴らしいところなのでしょうね!
 途中、15時30分頃にガソリンスタンドでお手洗い休憩です。
 ブカレストからシナイアまでは目算で120㎞ぐらいでしょうか?鉄道でも2時間から3時間15分かかるといいますから、私達がホテルに到着した17時15分という時間は「順調!」だったといえると思います。

 そのシナイアで何を見るのか?ですが、「それは明日の楽しみです!」といってしまいますと面白くありませんね。
 そこで、このページでは、カルパチアの真珠といわれるシナイアについて「地球の歩き方」で小生が勉強したことを申し上げます。
 
「シナイアは、ルーマニアの中央を“つ”の字型に走るカルパチア山脈(標高2000㍍級の山々が連なり、麓から山脈を覆う樹海は四季折々の自然美を見せてくれる)の中の奇岩怪石で知られるプチェジュ山Muntii Bucegiの中腹に位置し、標高800㍍の景勝地です。
 町の歴史は、17世紀にシナイア僧院が建立されたときに始まり、18世紀にはブカレストの王侯貴族たちの別荘として繁栄しました。
 そのため、宮殿風の小さな館がところどころに建ち並び、ルーマニアのほかの都市にはない町並みが見られます。
 ブカレストからも近いので夏は避暑地、府屋はスキーリゾートとしてたくさんの観光客を引きつけます。

 そして、その見どころは、
シナイア僧院ペレシュ城などですが、メインストリートのカルロ1世通りBd.Carol Iを起点にすれば良いようです。
 幸い、私達がお世話になったMONTANA(モンタナ)ホテル(地球の歩き方では、ニュー・モンタナ「New Montana」)は、この通りに面していて、通りを挟んだ向かい側には郵便局と電話局がある町の中心にあるようです。

 さて、ホテルの部屋(218号室)に落ち着いて窓から外を眺めますと、目の前にカルロ1世通りがあり、その美しい町並みに魅了されて、夕食前に散歩をすることにしました。


 <赤い草花>

 <ホテルの前(郵便局と電話局?)>

 <どこかの別荘?>

 <これも同じ?>

 上の右側写真は、部屋から撮影したもの、左の写真は、ホテルから見て左方向に通りを歩いて撮影したものです。この二つに赤い夕日に照らされている山が印象的ですね。
 また、下の写真は、ホテルを出て右方向に通りを歩いて撮影したもので、数多くの別荘風の豪邸が建っていました。
 18時30分を過ぎていましたので、薄暗くなっていましたので、綺麗な写真が撮れなかったのが残念です。

 それしても、ホテルの裏側にあるはずのロープウェイ乗り場が、ホテルから右方向に600㍍ぐらい歩いた場所にあったのですが、写真の鮮やかな赤い標識は、ロープウェイではないのでしょうか?
 また、ロープウェイとゴンドラは、違うものでしょうか?
 ところで、この標識の言葉(TELEGONDOLA)の意味は?
 TELEは、テレビジョン? GONDOLAはイタリアの乗り物(ベネチアのゴンドラのこと)や、スキー、リフトなどのつり籠のこと?
 

 こうして、この町の散策を楽しんだ後は、ルーマニアでの最初の夕食(「19時ホテル0階にあるロビー集合」ですが、外のレストランではありませんよ!)です。

 
 

 右上の赤いトマトが印象的なサラダの方が左写真のメインディッシュ「チキンのサルティンボッカ」より美味しそうですね。デザートは「エクレア(チョコ)」となっています。
 小生のメモには、「野菜のクリームスープ」は、「レタス、トマトなどにチーズ・・・
いける!(美味!)、チキンのサルティンボッカは、「キャベツの千切りを炒めたもの?とジャガイモ、鶏肉?」とあり、味の論評はありませんでした。






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