ルーマニア・ブルガリア大周遊17日間の旅行記 <2012.10.16(火)~11.1(木) (株)ワールド航空サービス> ~旅行9日目・10月24日(水) 曇り後晴れ~ |
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No.15
昨日は、ブルガリアからルーマニアに移動するためのような日程であったので、今日からルーマニア観光がスタートすると言っても良いと思います。
そのスタートの日に泊まった場所が「カルパチアの真珠」といわれるシナイアです。
まず、宿泊したホテルの名前と評価を申し上げます。
名前は、ワールドさんの日程表では「MONTANA(モンタナ)」、地球の歩き方では「New Montana(ニューモンタナ)」となっています。
名前が違うのはおかしい?でも、地番と電話番号が一致していますので、同一のホテルで間違いないと思います。
また、地球の歩き方で「町の中心にあり、郵便局と電話局は通りを挟んで向かい側。」と説明していることからも、このことが確認できます。
このホテルの評価は、高級な5つ星ホテルとなっていますが、実際も「部屋がちょっと狭い!(小生のメモ)」以外は、浴槽やシャワー、トイレなどの水回り、温度調整(セントラルヒーティング?で暖かい)、部屋(218号室)の向きなど大変Goodな環境でした。
さて、本日も朝食から始まります。場所は、ホテルの0階レストラン、時間は7時からです。
お前の朝食はいつも同じ?ハム、サラミ、ソーセージ、卵(茹)パン、チーズなどですが、この日は珍しく野菜がありました。 それに、コーヒーとヨーグルトといった感じです。 味?「食べやすい!」というメモが残っていましたので、美味だったのでしょうね。 |
朝食の後は、8時30分にホテルを出発してシナイアの観光ですが、ここには1泊で、今夜はシギショアラに泊まります。
そのため、今朝は、7時にモーニングコールと食事、7時45分スーツケース廊下搬出となっていて、結構、忙しいものです。
私達のんびり夫婦は、食事の前にスーツケースを廊下に出してから7時30分頃にレストランでの食事に向かいましたが、すでに多くの皆さんが食事を済ましているようでした。
続いて、本日の予定ですが、まず、シナイアのペレシュ城とシナイア僧院、そして、ドラキュラのモデルとなったブラン城、黒の教会や聖ニコラエ教会などがあるブラショフの観光をして、シギショアラのホテルに向かう予定となっています。
シナイアについては、前のページで記述したとおり、まさに王侯貴族の別荘地に相応しい素晴らしい景勝地でした。しかも、10月は、ルーマニアを彩る黄葉が輝いて何ともいえない美しい光景が広がっていました。
などと、最初からシナイアを賛歌するような言葉を並べましたが、このように小生が感動した場所は、ホテルから歩いても20分ぐらいで行けるというペレシュ城でした。(バスで行きましたが・・・)
まず、黄葉に輝く小道(8時26分撮影)と美しい建物をご覧いただきましょう!
でも、この建物はペレシュ城ではありませんよ!
<人間も黄葉している?> |
<どこかの別荘、それともホテル?> |
いかがですか?黄葉が鮮やかな黄色に染まっていますよね。「黄葉だから黄色が当たり前?」
それはともかく、このいわば別荘地は、大きな樹木に覆われていて、見どころのペレシュ城とシナイア僧院以外にも多くの美しい自然と右の写真のような建物がありました。
「はやくメインのペレシュ城を見たい!」という声が聞こえそうですね。でも、その前に大きな広場のような空間に広がる紅葉と瀟洒な建物をご覧いただきましょう!
<赤も混じっている紅葉> |
<どこかの別荘?> |
<ベリショール城> |
<ベリショール城の正面> |
いかがですか?写真を見ただけでも、いかに素晴らしいところかが想像できるのではないでしょうか?
この光景が広場のような場所から360°に広がっています。ここに行くのなら、秋が良い!と思いました。
そんなことを言ってたら、大事なことを忘れてしまいました。そうです!下の写真の木組みのような建物ベリショール城は、どんなものなのか説明しておきたいと思います。
ベリショール城は、「ベレシュ城と同じ敷地内の左奥にある」のですが、私達は、ベリショール城を先に見学しました。この城は、カルロ1世の狩猟用の城で、1902年の完成といいますから110年くらい前の建物ということになります。内部は、「豪華なシャンデリア、カーペット敷きで、来客用の寝室まである。」そうですが、私達は見学しませんでした。
現地に行ってみますと、その豪華な雰囲気に圧倒されてしまい、皆さん、建物の前で「はいチーズ」とシャッターを切っていました。
でも、「もったいない!」ことをしてしまいました。
それは、右下の写真の右方向の小道を100メートルほど行きますと、チャウシェスク大統領が使っていたという豪華な別荘「フォイショール城」があるというのです。
小生は、旅行に行く前にその情報を地球の歩き方で知っていたのですが、失念していたのです。
後から調べますと、非公開になっているそうですが、外観は見られたはずです。本当に残念!です。
、さて、ベリショール城の見学が終わりますと、左上の写真の通路に戻って、先を歩いて行きますと、新しい光景が広がっていました。
何が見えたのか!?もちろん!お目当てのベレシュ城です。建物の高い部分が木々の隙間から霞んだように見える写真をご覧いただきましょう!この場所は、椅子や机などが置いてあり観光客がシャッターを切るようにセットした場所でしょうか?
<遠くに霞むベレシュ城> |
<小道の反対側に広がる紅葉> |
左の写真は、写真用にセットされたような建物から撮影したもの、また、右の写真は、そこから小道を歩いてベレシュ城の正面が見られる場所に近づく途中で撮影したものです。
「お前の写真は、小さい!?」
それでは、思い切って大きく引き延ばしてみましょう!
<美しい!ペレシュ城> |
この写真を見て「これほどとは!」と感嘆する方も多いのではないでしょうか?
ここで、ペレシュ城の説明をしておきます。
ペレシュ城は、1875年にカロル1世がルーマニア王室の夏の離宮として、8年の歳月をかけて建てた宮殿、ルーマニアで最も壮麗な城と称えられるほど美しい!ルネッサンス、バロック、ロココの各様式を取り入れたドイツルネッサンス様式で建てられており、いくつもの彫刻、噴水、が配された庭園からは、シナイアの渓谷が一望できる。宮殿内の部屋数は160はあるといわれ、各部屋にはカルロ1世の集めた絵画、彫刻などの美術品、陶磁器、金銀、宝飾品や中世の武器などが飾られている。
ヨーロッパの教会を見学しますと、「なんとか様式」という説明を受けますので、小生も一時は、その特徴などを覚えたこともありましたが、すっかり忘れてしまいました。
でも、その様式にかかわらず、見た目が美しいものが好き!ですね。
それと、城の内部ですが、贅の限りを尽くしたと感じるベルサイユ宮殿やルーブル美術館(元宮殿)などでも、豪華すぎて何が何だか良く覚えていないのですから、ここでも同じ経験をするのではないかと思います。
というのは負け惜しみで、内部どころか近寄って見学することもなかったのですから残念な限りです。
さて、美しいペレシュ城を横目でにらみながら小道を進んでいきますと、次の訪問地「シナイア僧院」が右方向に見えてみました。
左の写真は、ペレシュ城からシナイア僧院に向かう途中の黄葉の小道、右写真は、そこから10分弱歩くと見てくるシナイア僧院の遠景です。
シナイア僧院は、緑の屋根に赤と白の縦縞と横縞の壁が印象的ですね!
ここで、シナイア僧院の勉強です。
シナイア僧院は、17世紀にワラキア公カンタクジノCantacuzinoがこの地を訪れたのを記念して建設された僧院で、この町の名前の由来にもなっています。
門を入って正面に見える大司教Biserica Mareは、19世紀にドイツから招かれてルーマニア王国の国王になったカルロ1世が建設したものですが、左の門をくぐった所にある古い教会Biserica Vecheは17世紀末にカンタクジノの後を継いだブルングヴェアヌ公がポーチを増築した以外、当時のまま保存されています。
ということは、シナイアという名前は、この教会からとったということですね。
そして、教会の敷地に入ると、確かに建物が二つ見えます。先ほどの説明で「門を入って正面」と書いてありますが、小生の感じでは「右側」の「緑の屋根に赤と白の縦縞と横縞の壁」があるのが19世紀の建物、「左側」の「緑の屋根に白の壁」の建物が17世紀の建物ということになります。
そして、「教会の入口に描かれたフレスコ画は必見。」という案内(地球の歩き方)がありますが、どんなものだったのでしょうか?
<19世紀建設の教会> |
<17世紀建設の教会> |
<牧師さん:17世紀教会の入口にて> |
<フレスコ画> |
パンフレットなどに写真が載っているシナイア僧院は、19世紀のものですが、ここには入場できませんでした。
入場したのは、17世紀の古い教会で右上写真のように中庭があり、また、ご覧のように必見のフレスコ画があり、入場して見学したのです。
なお、もう3枚ほどフレスコ画の写真をご覧いただきましょう!
同じように見えますが、左右対称になっているようです。
入口の天井に描かれているフレスコ画ですが、分かりづらいですね! |
さて、お楽しみの昼食ですが、場所は、次の訪問地ブラン城のレストランCASA DI BRANです。
でも、昼食が先だったかな?次ページをご覧ください。
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