ルーマニア・ブルガリア大周遊17日間の旅行記 <2012.10.16(火)~11.1(木) (株)ワールド航空サービス> ~旅行9日目・10月24日(水) 曇り後晴れ~ |
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<ブラン城手前の光景> |
<ブラン城の入口付近> |
さて、右上の写真の門から中に入りますと、坂道になっている城への進入路があり、辺りは鬱蒼と茂った黄葉の樹木と瓦葺きのように見える苔むした屋根が印象的な平屋の建物などが目に飛び込んできます。 左写真は、城の構内を説明した看板ですが、何でも撮影していますね。 でも、このお城がどういう形になっているのか、全体像が分かる良い写真が撮れませんでした。(言い訳するな!) |
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<敷地内の黄葉> |
<瓦葺き屋根の建物> |
最初は「トランスバニア風スープ」、メインは2番目の「名物サマーレ サワークリーム添え」、3番目は「パパナッツ サワークリームとジャムを添えて」 となっています。 小生のコメントは、トランスバニア風スープを「コーンスープと間違っているようで・・・コーンではない!イマイチ」と評しています。 また、名物サマーレ サワークリーム添えは、「ママリガと肉のキャベツ包み」とメモし、ママリガの味を「うーん」と評していますので、イマイチということですね。 最後のパパナッツは、「デザートは小麦粉系?」とメモしてあり、味の評価はありませんでした。 |
<バスの中からブラショフ市街が!> |
<スファトゥルイ広場の旧市庁舎> |
聖ニコラエ教会は、街の中心から徒歩で15分ほど離れたスケイ地区にたつルーマニア正教の教会です。 スケイ地区とは、ブラショフがドイツ移民によって建設された当時、先住ルーマニア人たちが移住を余儀なくされて移った地域だそうです。 中心市街地とはスケイ門(現存)によって隔てられていて、ルーマニア人は、特別な許可がない限り街の中には入れなかったそうです。 教会は14世紀に建った小さな木造建築が始まりだそうですが、ここに移住させられたルーマニアの人々の心のよりどころだったのではないしょうか? |
「黒の教会」は、14世紀後半から15世紀初頭に約80年をかけて建設されたトランシルヴァニア最大の後期ゴシック教会だそうです。 街の中心にそびえ立つ高さ65㍍の建物ですから目立つのですが、ルーマニア正教会ではなく、カトリック教会だそうです。 なぜ、「黒」という名前か?ですが、「地球の歩き方」では、「1689年にハプスブルク軍の攻撃に遭い、外壁が黒焦げなったことから、この名がある。」と解説しています。 ところが、現地で受けた説明では、「地震による周辺の火災(の煤)で黒くなった」という話でした。 どちらが正しいのか?小生には分かりませんが、Tさんの話では、どちらも間違ってはいないようですから、両者の原因が相俟って、より黒光りしたということでしょうか? なお、内部には、ルーマニア最大級のパイプオルガン(4000本のパイプと4つの銀盤1839年制作)やトルコのアナトリア産の絨毯がある、といいますが、あまり印象に残っていません。 |
<歴史博物館(旧市庁舎)> |
<広場周辺の様子> |
<シギショアラの夕日> |
<旧市街の様子> |
<斜めの天井と窓がある私達の部屋> |
<ホテルの外観:3階建て?> |
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