ルーマニア・ブルガリア大周遊17日間の旅行記
 <2012.10.16(火)~11.1(木) (株)ワールド航空サービス>

     ~旅行14日目・10月29日(月) 曇り後小雨~  




                                No.24

 モルドヴィツァ修道院は、グラフモールルイから50㎞弱ですが、この教会に到着したのは、11時30分前でしたから、ヴォロネツ修道院から約45分かかったということになります。
 この修道院は、標高1109mのチュムルナ峠の近くにある同名の村に所在しています。
 なお、この村自体も農家の伝統的な木材の家屋が並び、どこでも屋根付きの車輪巻き型の井戸が見えるそうです。農家と井戸の彩りは素晴らしく、修道院の見学がてら、村も見学するだけの価値があるそうです。
 まさに「一見の価値あり」といったところなのでしょうネ!惜しいことをしました。

 話を修道院に戻します。
 
この修道院は、シュテファン大公の息子、ベトウル・ラレシュ公が1532年に建てたものです。(地球の歩き方)
 四方から教会堂を囲う高さ6m厚さ1.2mの城壁があって、数本の見張り塔が要所に配置されています。
 また、壁画は16世紀に制作されており、当時のモルドヴァ地方の日常生活を描写する場面が見られます。
 教会内部の身廊にある「キリスト磔刑像」は、壮絶なテーマと優れた表現力で、ルネサンスのイタリアにおける「十字架降下」などに遜色のないものとなっているそうです。
 外壁の絵画は、1537年に制作され、南側の絵は、保存状態が良く626年のコンスタンティノープルがペルシャ人に包囲された戦闘場面が描かれています。(政府観光局HP


 小生のコメントとしては、「教会の祭壇とイコノシスタスも、もちろん素晴らしいが、反対側の壁に描かれた大きな絵が美しく、素晴らしい!」となっています。
 これは、もしかしたら、拝廊(教会堂を入ってすぐの間)の内壁にある「聖母の祈り」や、入口の上にあるアーチに描かれている「聖母のやさしさ」のことかもしれません。



  <モルドヴィツァ修道院入口>

  <モルドヴィツァ修道院の黄葉>

 天気は、ご覧のように小雨が降る天気でしたが、修道院入り口の右側にある樹木が見事に黄葉していました。自然美に見とれて修道院のことを忘れてしまいそう!?
 まず、修道院全体の写真をご覧いただきましょう。


 
  <モルドヴィツァ修道院>

  <修道院の見張り塔?>

  <修道院の全体写真>

 左上の写真は、入口付近から撮影したものです。また、右上は、入口付近の右方向を撮影したものですが、見張り塔のような建物が奥に写っています。右下の写真は、左奥に進んで修道院の全体像が分かるところで撮影したものです。

 次に、南側(修道院の入口門から見ると左奥)にある教会堂の入口などをご覧いただきます。


  <彩り鮮やかな建物入口>

   <修道院の博物館>

 ご覧のように、玄関廊といわれる教会堂の入口は、とても保存状態が良く、彩り鮮やかな美しい絵が私達を待っていました。
 教会堂の中の絵は、先ほどの軽いコメントにもありますように「それ以上に素晴らしいもの」で、まさに感動もの!でした。

 右上の写真は、エフレンという司教の命令で1612年に建てられたルーマニア語で土小屋(clisarnita)と呼ばれる2階建ての建物です。
 修道士の住居と細密画の教室、または美術品の倉庫として(の)機能を備えてきたそうです。
 現在は、
「博物館」となってあり、17~18世紀の貴重書のほか、モザイク美術や、ロシアの女帝エカテリーナの銀彫刻などを所蔵しているそうです。(政府観光局HP)
 私達は、残念ながら博物館には入場しませんでした。

 続けて、この修道院の特徴となっている「コンスタンティノープルがペルシャ人に包囲」された歴史的な場面(626年)を描いた外壁の絵をご覧いただきましょう!

 
      <コンスタンティノープルの包囲の場面>

 
      <これもコンスタンティノープルの包囲の場面> 

 この大きな写真は、2枚とも626年の「コンスタンティノープルの包囲の場面」のようですが、1453年にコンスタンティノープルが異教徒のトルコ人に征服されたことを意識して描いているのでしょうか?負けているペルシャ人がトルコ人になっているというのです。
 ところで、下の写真は、バラが主役になってしまいました。下手な写真ですね!

 さて、この修道院を12時20分に「サヨナラ」して、次の訪問地スチェヴィツァ修道院に向かいます。
 でも、その前にモルドヴィツァの
PENSIUNEA VALCANというレストランでお昼のご馳走をいただきます。

  。    ワールドさんのメニューでは、料理の名前がラダウチ風スープ、伝統的なハンバーグポテト添え(右上)、季節のフルーツ(左下)の3品となっていますが、右下の甘みを抑えたケーキを入れて4品でした。
 生憎、スープの写真を撮影していませんでしたが、4品とも
「うまい!」でした。
 お酒?地元の果実酒をいただきました
   
   

 このレストランでゆったり時間を過ごしてから13時50分頃にスチェヴィツァ修道院に向かいました。


 <レストランの裏側の光景>

  <同じく!>

 そして、うっすらと雪が残るチュムルナという峠を越えて14時50分ごろスチェヴィツァ修道院に到着しました。
 まず、氷柱が下がる寒いチュムルナ峠の様子(14時15分頃)をご覧くださいませ!


  <手首が鉄砲を撃っている?>
 
   <霧に包まれたチュムルナ峠>

  <幻想的ですね!>

   <冷たい氷柱> 

 10月の下旬ですから寒いのは当たり前?小生も霧の中に霞んでいます。
 スチェヴィツァ修道院には、14時50分には到着しましたので、この峠からは30分弱の距離ということになります。


  <スチェヴィツァ修道院入口付近>
 
   <同じく修道院の入口付近> 

 上の2枚はスチェヴィツァ修道院に到着した時の様子ですが、ご覧のように一面に黄色の絨毯が敷き詰められていました。写真だけを見ますと、人気がないためか「ちょっぴり」もの悲しい雰囲気ですが、黄色の鮮やかな自然美に溢れていました。

 政府観光局のホームページでは、「この修道院は、1582年から84年の間に建造されており、彩画を持った
北モルドヴァの修道院の中で最も新しいが、最も優れているといわれている。」とし、しかし、「残念ながら新しいためか、それとも建設様式が次世代のものとみなされたためか、世界遺産の選考の際、対象外となってしまった。」と説明しています。

 でも、最も優れている修道院が「世界遺産に登録されない!」なんてあり得ないことです。前ページで申し上げたとおり
2010年に登録されています。

 さて、政府観光局の説明文は丁寧で分かりやすいが、長い文章であるため、ここでは、小生が政府観光局と地球の歩き方の文章を適当にアレンジして紹介します。
 まず、門をくぐって最初に目に入る「天国の梯子」ですが、適当な写真があったかな?その前に修道院の全体像をご覧いただきましょう!

 
  <スチェヴィツァ修道院>

   <修道院の入口付近から>

 ところで、「天国の梯子」という絵は、どのようなものなのでしょうか?題名から判断すると、「梯子」という言葉がヒントになりますね。
 そこで、小生が撮影した写真を確認したのですが、梯子が描かれている絵はない!と思いましたら、最後に「ありました!」。

 
   <右側に小鳥が飛んでいるように見える聖人が印象的な「天国の梯子」> 

 修道院の壁画は、淡い緑がベースに、主に赤紫と青を中心に描きこまれており、金色が多用されていて、まさに「緑と光でつくられた歌」とたたえられている(政府観光局HP)そうです。
 そして、最も顕著な壁画が
「貞操のはしご」で、現世で徳を積んだものが天使に導かれて天国へ上り、罪を犯した者が満足げに微笑む悪魔の手に入るという様子が描かれている(同上)そうです。
 でも、この政府観光局HPの「貞操のはしご」は、「天国の梯子」と書いたつもりが誤って「貞操」となってしまったのかも知れませんね!

 この絵以外にも特徴的な壁画がありますので、地球の歩き方の文章を引用しながら写真を見ていきたいと思います。


  <東面の聖人伝?>
 
  <入口のアーチの絵>

 東面には、聖人や天使たちが壁を埋め尽くしている「聖人伝」がありますが、左上の写真がこの絵になるのでしょうか?
 また、南面にはダビデの父エッサイに始まるキリストの系譜を描いた「エッサイの樹」があるそうですが、それに該当する写真がありませんでした。
 そして、西側の入口アーチをくぐったところには「最後の審判」が描かれいるそうですが、他の修道院の絵と違いすぎますので、右上の写真ではないような気がします。

 なお、この修道院にも小さな博物館があるようですが、気がづきませんでした。

 ここの見学が終了(15時30分頃)しますと、5つめのアルボーレ修道院に向かいました。 その途中、真っ黒な陶器を作っているという
「マジナ村」に立ち寄りました。Tさんには、色々ご配慮をいただいて本当に有り難いことです!


   <「マジナ村」の陶器づくり>
 
    <陶器の完成品>

 
アルボーレ修道院には、夕刻の16時25分に到着しました。
 スチャバ市から北西に約30キロ、グラフモールルイから北に約50キロのところにありが、バスの便がよくないので観光客も少ないようです。
 私達が到着した時にも見学している人がいないので、「ひっそり」しているというのが第一印象でした。


 <静寂のアルボーレ修道院>

  <アルボーレ修道院の入口>

 左側の写真が修道院の道路沿いの塀です。入口は右写真のように焼き煉瓦で建てられていて、中に入りますと、「モルドヴァ公国の領主が建立した他の教会堂と比べて、貴族の一人に過ぎなかったアルボレ大将が建てたこの教会堂は小さく、装飾が控えめで、全体的に質素である。(政府観光局HP)」そうです。
 また、地球の歩き方でも、「ほかに比べると規模が小さい。モルドヴァ公国の一貴族が創建した教会堂。完成は1503年。壁画は西側によく残っており、緑を基調としたフレスコ画が周りの芝生と調和して美しい。「聖人たちの生活」と「創世記」などが描かれている。」と記しています。

 この両者の文章を参考に写真をご覧いただきますが、今までの修道院では撮影禁止であった建物の中の様子を撮影することができました。


 <アルボーレ修道院の全体像>

 <修道院の正面の一部>

  <修復中の教会堂>

  <壁画の中の「最後の審判」>

 ほかの修道院でも中に入って見学していて、
壁やイコンに描かれた色鮮やかな絵に感嘆の声を発したものですが、今までの修道院は撮影禁止だったものですから、皆さんにお見せすることができませんでした。
 右上のイコンに描かれた美しい絵がその修道院内部の様子ですが、色鮮やかですよネ!
 左下の写真は、修復中の様子ですが、この場所は、「創世記」や「聖人伝」、「最後の審判」などが描かれている南側の外壁ですね?
 なお、西側外壁は、下から「コンスタンチノープルの包囲」があり、真ん中に「聖母の生涯」「モーゼの物語」などがあり、上部には「イエスのエジプト逃亡」「幼児の虐殺」があり、まるで聖書の大型絵本のようになっている(政府観光局HP)そうですが、よく見てこなかったな!

 修道院内部の写真がもっと見たい?


 <アルボーレ修道院の天井>
 
  <聖母とキリスト?>

 ところで、Tさんメモでは、「
洗礼者ヨハネのフレスコの場面はバスの中でじっくりお話しさせていただきました・・・笑」となっていましたが、どんな面白いお話しがあったのでしょうか?残念ながら、小生はまったく覚えておりません。

 こうして、この修道院見学が16時40頃終了しますと、グラ フモールルイのホテルに戻って夕食です。
 場所は、ホテルP階レストランで18時30分集合です。
 私達のんびり夫婦も時間前にはレストランに向かったのですが、「驚き!」が待っていました。
 「フォークショーが素晴らしい!」?それも驚きの原因ですが、本日の夕食はビュッフェスタイルとなっていて、お客は私達だけのようでした。
 そして、細長いテーブル2席に多くの椅子が用意されていて、先に席に着いていた殆どの皆さんが奥のテーブルに腰掛けていたのです。
 「そんこと驚きでも何でもない、お前たちがレストランに遅くいったから、手前の席についたのだろう?」という声が聞こえそうですね。
 その通りなのですが、23名のツアーメンバーのうち、私達を入れて4名だけが奥の19名のテーブルと同じ長さの手前のテーブルに座ったのですから、そのアンバランス感といったら何とも言えない雰囲気なのです。
 なぜ、こういうことになるのか?といいますと、ツアーメンバーの中に一人だけ皆さんから嫌われていた女性がいて、その女性と同席になることを嫌った結果が席のアンバランスの原因だったのです。
 しかも、この時には、「mugifumiさんの席は、ここにあるわよ!」と奥のテーブル席に誘われてしまったものですから、私達も奥の席に座ってしまったのですが・・・

 なぜ、ここで旅の汚点みたいなことを申し上げるのかといいますと、翌日のブカレストまでの列車の旅で誰がこの方と同席するのかという問題があったからです。
 その顛末は次ページで申し上げます。ここでは、夕食とフォークショーの様子をご覧いただき
たいと思います。

   好きなものを頂けるためか?このスープは「美味しかった!」  野菜中心の食生活?ビュッフェスタイル大賛成!
   

 このショーをTさんは「ブルガリアとの違いが感じられましたね。」とメモしていますが、洋服と踊りがルーマニアの方が質素でしょうか?






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