No.11
ところで、9ページのグラナダのイスラム支配について浅い知識で勘違いしていたことがあります。それは、イスラムの「後ウマイヤ朝」がこの地で「イスラム文化を花開かせた」と言ったことですが、実際には「後ウマイヤ朝」は、11世紀初頭に滅亡してしまい、また、都はグラナダではなく、コルドバでした。
この後、この地(グラナダ)を治めていたイスラム王朝がありましたが、それが「ナスル王朝」です。1237年建国とさていますが、当時はレコンキスタといいましてキリスト教勢力(カスティーリャ王国)がイスラム教勢力に奪われた領土を再征服する運動(戦争)を展開していました。
この国(ナスル王朝グラナダ王国)は、国は小さかったのですが、巧みな外交政策とペストやカスティーリャ王国の内紛などで生き延びて1492年に滅亡するまで、このグラナダで繁栄し、アルファンブラ宮殿に見られるような文化的遺産を後世に残したそうです。
ところで、日本ではカステラという食べ物がありますが、その語源が「カスティリャ」ではないかと聞いたことがあります。
昔(江戸時代?)スペイン人に日本人が「この食べ物は何というのか?」と聞いたら、出身地を聞かれたと勘違いして「カスティーリャ」と答えたことから、あの黄色い食べ物のことを「カステラ」と言うようになったと聞いたことがあります。
などという冗談はともかく、私たちは、まず、アルファンブラ宮殿の離宮といわれる「ヘネラリフェ庭園」を見学しましたので、その素晴らしい光景をご覧いただきましょう。
杉の刈り込みと水路が印象的! |
ピンクの花は? |
もっと、まわりの様子や草花が見たい?確かに色鮮やかな草花が咲き乱れていましたが、「何と美しいのだ!」と感嘆しながら夢中でビデオ撮影していたものですから、写真の方が疎かになってしまいました。それでも、いくつか咲き乱れる草花の様子がわかる写真が残っていました。
咲き乱れる草花 |
花のトンネル? |
アセキアの中庭へ? |
レコンキスタといわれるキリスト教国との戦いは、この宮殿の危機であったと思いますが、これほど見事に建造物が戦争の被害やその後のキリスト教の王国による破壊などにあわずに残ったいうことは、何を意味するのでしょうか?それほど、この宮殿が素晴らしい!ということなのでしょうね。
ところで、このアセキアの写真を見てどこが印象的ですか?小生などは、真ん中の水路に目を奪われてしまうのですが、砂漠の民であるイスラムの人々にとって、水は神に近い存在だったのではないでしょうか?
以上のようなコメントが小生のメモには残っていて「見学の2時間が「あっ」という間に過ぎたアルファンブラ宮殿でした」となっています。でも、スペイン旅行のハイライトとでも言うべきアルファンブラ宮殿の記事がこれで終わりでは皆さんに叱られてしまいますね。
そこで、多少、理屈っぽくなるかも知れませんが、この続きを書いてみたいと思います。
「おしっこ」のような噴水があるアセキアの中庭の見学後は、左側に見える建物(屋根がある通路)を通って正面の建物に行き、そこに彫られた彫刻などを眺めて、そこから右、左のどちらに曲がったのでしょうか?
そこには、紫の花が咲く大きな樹木と数多くの噴水が印象的な四角い池がある空間がありました。(写真右)そして、そこには上にあがる階段があり、そこを登りますと、アルファンブラ宮殿が朝の光に輝くように見えました。
そこは、二階でしょうか?真下に紫の花が見えましたので、写真の右側に登ったことになるのかもしれません。
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