No.22


 その巨大な祭壇の衝立の写真?もちろん、撮影したはずですが、写真ではなく、ビデオで詳細に撮影していました。

   大きすぎて全体が入らなかったようです。
 これを拡大して撮影したものも残っていますので、次の写真を見てください。
  
       <黄金の祭壇衝立>


 この3枚以外にも衝立(レタベル)の拡大画面がありますが、先ほど申し上げた聖母マリアとキリストが描かれていることが確認できると思います。動画を静止画に焼き直しましたので、ちょっとピンボケになってしまいました。

 さて、この大聖堂にはこの他に4つの像に担がれたコロンブスの棺があるはずですが、写真が見あたりません。
 コロンブスは、皆さんご存じのようにレコンキスタが終了したカトリック両王(フェルナンド王とイサベル女王)の支援を受けて、1492年に第1回目の航海に出発しています。大西洋を渡り新大陸を発見するのですが、新大陸はアメリカ大陸ではなくインドだと最後まで信じていたそうです。それにしても、コロンブスのインディアンに対する悪逆非道な振る舞いには、開いた口が塞がりません。今でも英雄であるという評価があるのでしょうか?
 それに、先住民がいるのに、どうして「新大陸発見」となるのでしょうか?ヨーロッパの白人から見た歴史観ではないでしょうか?

 大聖堂を出ますと、次は約140㎞離れたコルドバへ向かいますが、その前に昼食です。メルルーサ(魚料理)となっていますが、鱈を油で揚げたもののようです。レストランと料理を見てください。場所は、大聖堂からバスで40~50分くらいのところですが、コルドバではないようです。


 この後、昼食会場からバスに約2時間揺られて、コルドバに到着しました。約2時間かけて、この世界遺産の街を見学しますが、先ず、メスキータというイスラム教の施設を生かしたキリスト教の教会を見学したのです。

 コロドバもセビリアと同じように古代ローマ帝国、西ゴート王国に支配され、6世紀には東ローマ帝国の領土となりました。
 711年、イスラム教徒に征服され、756年に成立した後ウマイヤ朝はコルドバを首都とします。10世紀には、トレドと並んで西イスラム文化の中心地として発展し、世界最大の都市となったのです。
 その後、1236年にキリスト教勢力のカスティーリャ王国のフェルナンド3世に征服され、15世紀にレコンキスタが完了すると、メスキータもカトリック教会に改装されました。

 最初に見学したメスキータは、この後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマン1世により建設がはじまったモスクです。


  <メスキータ>

 <オレンジの中庭を見ている?>

 メスキータの内部ばかりが強調されて外観がはっきりしません。ネットなどの写真を見ても、その傾向があります。
 ところで、右側の写真で皆さんは、どこを見ているのでしょうか?「お前が知っているだろう!」といわれそうですが、記憶にないのです。
 教会の中にはいると、イスラム教徒が身を清めた池がある「オレンジの中庭」に出ますので、それを見ているはずですが、目の方向からしますと、90㍍以上の高さがある鐘楼(写真左)を見ているのかもしれません。
 それにしても、メスキータでもセビリアの大聖堂と同様に中庭のことを「オレンジの中庭」と言っているのですから、面白いものです。オレンジは「ミカンの木」のことをいっているのだと思います。


 ところで、「メスキータ(mezquita)」という言葉の意味は?と思ったのですが、スペイン語でモスクという意味だそうです。しかし、一般的には固有名詞としてコルドバのカトリック教会、司教座聖堂(聖マリア大聖堂)を指す場合が多い、とされていますので、メスキータといえば、コルドバの大聖堂のことなのですね。


 中にはいると、ご覧のように薄暗い空間に広がる「円柱の森」に目を奪われてしまいます。入口のすぐそばのエリアは、アブド・アッラフマン1世の時代に建設された最も古い部分で、重い天井を支え、しかも、多くの光を取り込めるように2重アーチになっているそうです。





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